第二章 2
タタラの町は、これといって変わりどころのない町だった。
竜などの外敵にそなえて、町の周辺には石壁が積み上げられていた。
石壁の上には、緑色の半袖同心羽織に竜鉄式小具足を身につけた同心兵――治安維持よりも対竜戦に特化した同心――が立っており、火縄銃片手に町の外に視線を飛ばしている。
同心兵に守られた町の表通りには、古着屋や居酒屋、薬屋に風呂屋と言った木造の店が並んでおり、薄手で風通しのいい着物を着込んだ人々が行き交っている。
その人ごみの中に、トヨヒサはいた。
マヒルから逃げて、一時間ほど経っていた。
歩きながら、トヨヒサは切実な問題に頭を悩ませていた。
金がないのだ。
だから風呂屋で身体も洗えず、飯屋で飯も食えず、遊郭で女を抱くこともできない。そもそも金があったら、ヒラス村で捨てられた士道場で寝るなんて真似はしない。
「さて、どうしたもんか」
飯屋からただよってくる香ばしい匂いに、思わず食い逃げをしたくなる衝動に駆られるが、自制する。食い逃げをすれば、町を出なくてはいけなくなる。
日はまだ高いので、山越えをしようと思えばできる。いざとなれば野宿という手もあるが、色々あって疲れたので、出来ることなら宿場で一晩をすごしたかった。
するとどうしても金が必要になる。
そして手っ取り早く金を稼ぐ方法と言ったら――。
「……カツアゲするか」
となると、悪党の情報が必要となる。その聞き込みをしようと、周囲を見回す。宿場に隣接する馬小屋の前で、手綱を引いて焦げ茶色の馬を小屋に誘導する男を見つけた。
トヨヒサはその男に近づき、声をかける。
「すまん。聞きたかことがあるんじゃが」
「ん? なんだい?」
「ここらで悪党がぶらついているような場所はあるか?」
突然の質問に、男が警戒するように後ずさった。
「え? な、なんでそんなことを?」
「怖いからな。近づかんようにするためじゃ。俺はビビりでのう」
おどけたように肩を抱いて身体を震わせると、警戒が解かれたようで、男が笑った。
「ああ、なるほど。えっとそうですね、裏通りには近づかないほうがいいかと。あそこには賭場に通って借金こしらえて、その取立てに追われているような人がいますから」
「なるほど。了解じゃ。恩に着る」
早速、トヨヒサは裏通りに向かった。
裏通りでは、長屋が軒並みを連ねており、ひまをもてあました主婦たちが井戸を囲んで会議を開いていた。練り歩くトヨヒサがめずらしいのか、人とすれ違うごとに怪訝な目で見られる。黒外套の下の血の匂いが、もれているのかもしれない。
(はよう金を集めんとな)
トヨヒサがそう思ったときだ。
「か、かんべんしてくださいっ」
心の声に反応するように、引き戸のしめ切られた家から、悲痛な声がもれてきた。
トヨヒサは音もなく忍び寄り、その戸を少しだけ開けて中をのぞき込む。
こちらに背を向けて、玄関を占領する五人の男たちがいた。その肩越しに、床の上に土下座する老人と、若い娘が見えた。気配を殺して、その様子を見守ることにする。
「ジョウさん。うちで散々遊んでおきながら、金がないので払えませんなんて、かんべんもクソもないだろう。こっちだってね、慈善事業でやっているわけじゃあないんだ」
男の一人が言うと、老人が床にひたいをこすりつけて懇願する。
「待ってくださいっ。おねがいしますっ。絶対に、近いうちに払いますからっ!」
「ダメだ。返済期限はとっくにすぎているんだ。払えないっていうなら、そちらのおじょうさんにうちの店で働いてもらうことにしましょう」
表情を強張らせる若い娘を前に、男たちが下種な笑い声を発した。そして男の一人が若い娘の手をつかみ、自分のほうに引っ張り寄せた。
「ま、まってくだせえ!」
「どけっ!」
伸ばした腕ごと、老人は蹴飛ばされた。若い娘が「おとっつあん!」と走り寄ろうとしたが、男たちがそれを許さずに引き戻された。
「さ、くるんだ」
「いや、放して!」
そこで、トヨヒサは引き戸を開け放った。
五人組がこちらを振り返りきる前に、拳が走る。
手近にいた男のみぞおちに衝撃が走り、倒れる前に、別の男のアゴを打ち抜く。次に別の男の股間を蹴り、さらにまた別の男の脇腹を叩き、最後の男を外に投げ飛ばした。
まさに電光石火。
そしてトヨヒサはうずくまる男たちを全員、外に放り出し、一列に並べた。
「おら、手前らさっさと立たんか」
威嚇するように地面を踏みつけると、五人の男がのろのろと立ち上がった。各々が痛む箇所を手で押さえ、弱りきった小鹿のような目でこちらを見てくる。
「なんなんだよ、おまえ。こんなことして、タダで済むと思ってるのか? 俺たちはな、この町を取り仕切っている山田組の構成員なんだぞっ」
「そうだそうだっ。ヤクザなんだぞっ」
「指をつめるぞこらァ」
勢いづいて男たちが次々に声を上げるので、トヨヒサは特に何も言い返さず、代わりに拳を与えた。おかげで男たちはさっきの倍以上に顔を腫らすことになった。
こっぴどく母ちゃんに叱られた子供のような男たちに、
「金」
トヨヒサは短く告げる。恫喝された男たちは涙目で素直に従った。彼らは巾着袋を取り出し、それを次々に手渡してくる。中身を確認してから、トヨヒサは目を細めた。
「手前ら、ジャンプしてみ」
「え?」
「はよう飛べ」
強い口調で言うと、おびえながら彼らは次々にジャンプ。
ちゃりんちゃりん。
小気味のいい音が、顔を引きつらせるモヒカン男のふところで鳴った。
「出せ」
トヨヒサは短く言い放った。
男は今にも泣き出しそうな顔で、隠していた巾着袋を献上。隠したがっていただけあって、その中身は銀貨三百枚――一年は遊んで暮らせるくらいの――という大金だった。
集金途中だったのかもしれない。やはりカツアゲするならあくどい連中に限る。
「よし。散れ」
すると青ざめた顔で、五人組は草食獣のように逃げ去っていった。
トヨヒサが奪った銀貨を一つの巾着袋にまとめていると、視線を感じた。老人とそれに寄りそう若い娘が、目を丸くしてこちらを見ていた。
「あ、あの、あんたは、いったい」
しばらく老人と若い娘の顔をながめ、二人の境遇を考える。
おそらく先ほどの連中は、トヨヒサが暴れた原因を二人に押しつけてくるだろう。
(……恨まれたら、あとあと面倒じゃな)
トヨヒサは巾着袋から銀貨を三十枚ほど抜く。そして残りの二百七十枚入った巾着袋を老人に投げ渡した。それをあわてて受け取った老人は、困惑するように眉を八の字に。
「あの、え?」
「借金こさえちまったんだ。どうせもう、この町じゃ暮らせんじゃろ? だからその金を持って町を出るといい。入らないなら、捨てちまうか、俺に返してくれ」
決して善意ではなかった。単なるカツアゲに巻き込んだことに対する迷惑料だ。
重ねて言うが、決して善意ではない。
銀貨三十枚を別に巾着袋にまとめてから、野袴の衣嚢に忍ばせ、トヨヒサは表通りのほうへ歩き出した。
すると若い娘が、
「あの、ありがとうございます!」
背中に投げかけられたその言葉に、まるで自分がいいことをしたみたいだ、と錯覚しそうになった。しかしトヨヒサの行為は、彼女を連れて行こうとしたヤクザと変わらない。
(相手が悪人だった。それだけの話じゃ)
自分が立派な人間じゃないということは、トヨヒサ自身がよくわかっていた。
それよりも、金の使い道を考えることにする。
まずは風呂、次に飯、そして遊郭で女を抱いて、宿場で寝る。
こんなところだろうか。