第二章 1
第二章
野に咲く草花や針葉樹が風にゆれ、心を落ち着かせる草の香りを運んでくる。
上には青空、左右には野原と林、前方にはまだ距離があるせいかかすむ小高い山が見える。そんな緑あふれる街道を、黒髪の男は黙々と歩いていた。
「ねーねー、話聞いてってば」
黒外套をまとって歩く男の背後から、マヒルと名乗った少女の声がする。
あれからずっと、彼女は男のあとをついてきていた。
「おーい、あんたー、あんたー、あんたーっ」
「やかましか」
「だって名前知らないんだもん。教えてよ、名前」
鼻っ面にしわを寄せてから、男は言った。
「……シマヅ・トヨヒサ」
「え、シマヅ? 竜狩りの民でシマヅって、あんたってあのシマヅ一族なの?」
「悪いか」
「だってシマヅ一族って言ったら、竜狩りの民をまとめる将軍みたいなもんでしょ? しかも東方十二英雄の『狂侍』シマヅ・ヨシヒロの血統なんでしょ? すごいじゃない。ちょっと、握手してよ、握手っ」
勝手にトヨヒサの手を取って、うれしそうにその手をにぎってくるマヒル。十歳以上離れている上に、身長差もあって、二人のその姿はまるで兄弟のようだった。
街道を歩く旅人たちも、二人の姿を見て、どこか微笑ましげな笑みを浮かべている。
しかし当人であるトヨヒサはうとましいと思い、彼女の手を振りほどく。
マヒルは気を悪くした様子もなく、調子よく会話をつづけた。
「いやーどうりで強いと思ったわけよ。さすが、あたしの目には狂いはなかったわね。実にいいボディーガードを見つけたわ」
「……」
「ところでどこに進んでるの? ていうかここって地図の上ではどの辺なの?」
「……」
「あ、あんた今こいつバカじゃねーのとか思ったでしょ? ちょっと理由があるんだってば。だってさ、ヨンノ村を出て、みんなで馬車に乗って出稼ぎのために首都に向かっていたんだけど、その馬車が盗賊に襲われて、みんなまとめてつかまったのよ。んで、目が覚めたら牢屋の中よ? てっきりどっかに売られるのかと思ったら、ちがうのよ。その牢屋の中から連れ出されることがあるんだけどさ、連れ出された先でもうなんか死ぬかと思うくらい痛いことされてさ。あ、エッチな意味じゃないからね?」
「……」
「それでね、あたしはその痛い思いをして、何日も過ごしたわ。日数はわからないけど、とにかく長く。そしたらね、いきなり竜が現われたの。んで、あたしが捕らえられていた施設――士道場だったんだけどね――で竜が暴れている間に、あたしは牢屋から出て、そこから逃げ出したってわけよ。さっきあたしを捕まえようとしていたやつらは、その追手よ。あたしをつかまえて実験した盗賊の一味ね、きっと。まったく道者に扮するなんて、とんだ不届き者よね。そう思わない?」
「……」
「無視かよ。まあいいわ。で、ここはどこなの? 教えてよ、ねーねー」
「……」
「ねーってばっ」
「……」
「あんたシャイなのね。それとも美少女と話すのが苦手なの?」
「東方十二領連邦のミノウ領」
少女のうるささに耐え切れなくなって、トヨヒサは思わず応えてしまった。
するとマヒルは、
「え? なにが?」
「今、俺らが歩いとう領の名前じゃ」
「マジで? そうなんだ、ラッキー。ヨンノ村もミノウ領にあるからさ。いやー、案外近くてよかった。で、ミノウ領のどこらへんなの? その調子で教えてよ、トヨヒサ」
馴れ馴れしい少女に、トヨヒサは軽い苛立ちを覚えていた。そして同時に、なつかしさも。トヨヒサは足を止め、野袴の衣嚢から、長方形の薄型の箱を取り出した。
「なにそれ? 竜の財宝?」
「〝けいたい〟じゃ。よくわからん機能がたくさんついていて、こうすると――」
箱にふれると、箱の表面が発光。そして表面に丸い大陸が表示された。その東側は詳細な地図が描かれているが、中央超山脈から西方側はほとんど白紙だった。
理由は簡単。
そこは人の手の及ばない竜たちが住む世界――竜界なのだ。
人間では適応することのできない過酷な環境が広がるそこは、竜、もしくは竜人だけが足を踏み入れることができる場所だ。
そして竜の財宝もそこにあり、一攫千金を狙う竜人が、それを取るために竜界に渡るのもめずらしくはなかった。トヨヒサが使っている〝けいたい〟もまた、そんな理由で竜界に渡った彼の友人が、取ってきた物だった。
昔は竜界にも人が住んでいて、栄華を極めていたのだが、ある日突然、竜が現われたことですべてが変わった。人と竜による戦争の地となった西方は汚染され、生き残った西方人は東方に移住し、西方文明に比べてはるかにおとる東方文明が人類の基準となった。
千年以上前の話である。そして竜の財宝とは、その西方文明の遺産なのだった。
ともあれ。
そんな遺産に、トヨヒサは指でふれながら、
「ほれ、地図が出たろう。前に買った、ここ一年のミノウ領内の町や村などを記した地図を、この〝けいたい〟の裏側にある写映機で撮って保存したものじゃ。紙だと俺はすぐに使ってしまうからのう。これは便利で仕方ない」
「紙だとすぐ使うって、何によ?」
「……男には色々あるんじゃ」
マヒルが首をかしげた。これ以上、この話題を引っ張るのも嫌だったので、
「えーっと、現在地を表示、っと」
大陸東方の南西部が拡大され、そこの詳細な地理が表示された。
「さっきの村は、ヒラス村というらしい」
「聞いたことないわね。その近くに森があると思うんだけど、そこに村とかない?」
「森はあるが、ヒラス村の周囲に村はなか。一番近いところで、ほれ、前に山が見えるじゃろ? あのミノウ山の麓にあるタタラ、って町くらいじゃ」
「じゃああたしは、地図に載っていない建物に閉じ込められたってこと? ま、盗賊のアジトだしね。そりゃ載ってないわよね」
そういって彼女は横から〝けいたい〟をのぞきこんできた。
「わ、これすごいわね。んで、ミノウ山を越えてからしばらく進むと、あ、セキガ平原があるんだ。そうそう、ここを越えてすぐのところにヨンノ村があるのよ」
一人でうなずくマヒル。
その隣で、トヨヒサは表面に映る『セキガ平原』の文字を見つめていた。
セキガ平原。
それは連邦戦争の決戦の舞台となった場所だ。
連邦戦争とは、十年前に東方十二領連邦で起きた戦争のことだ。
当時の連邦将軍が病気で死に、その跡目を巡って二人の跡目候補が激突した。
様々な謀略や裏切りが渦巻き、その結果、連邦は東軍と西軍に分かれた。
そしてセキガ平原で激突し、わずか一日で決着。結果、東軍の長――現連邦将軍であるトクナガ・イエノスを中心に、東方十二領連邦は再スタートを切ることとなった。
実はトヨヒサも、その戦争に参戦していた。
しかしいい思い出がないので、それを頭の中から追い出そうと努める。
「……ここからヨンノ村に行くとなると、徒歩で二十日、馬で八日ってところか」
「結構遠いみたいね。じゃあしばらくの間、ボディーガードのほう、がんばってね」
そう言って、マヒルに腰を叩かれた。
(なんなんじゃ、こいつは、本当に。なんなんじゃ)
トヨヒサは半眼で、自分を見上げる丸い碧眼を見下ろす。
あくまで彼女はついてくるつもりのようだが、こちらとしては、一緒にいたくはなかった。うっとうしいのはもちろん、彼女を見ていると、思い出してしまう。するとトヨヒサの視界で、金髪碧眼のマヒルの顔に、思い出の中にある黒髪黒眼の少女の顔が重なった。
(……ええい、クソボケ)
さっさと彼女と離れるべきだ。
人を背負わず――そう生きていくと決めたのだ。
だからトヨヒサはそっと腰を落とし、両手を地面につける。そのまま両足で地面を踏ん張り、尻をやや突き上げる。そして戦闘時のように、身体中の筋肉を適度に緊張させた。
奇妙な体勢を取るトヨヒサに気づき、マヒルが目をしばたいた。
「なにしてるの?」
「達者でな」
瞬間、トヨヒサはスタートを切った。地面を爆発させるように蹴って、目を丸くするマヒルのかたわらを一瞬のうちに駆け抜け、土煙の尾を引きながら全力疾走する。
背後から「あ、ちょ、ちょっと! うそでしょ!」なんて騒ぎ立てる焦燥の声が聞こえたが、それらはすぐに遠のき、やがて聞こえなくなった。
トヨヒサは大人気なく走りつづけた。
必死に。
逃げつづけた。