第一章 2
ユルヨは森の中を駆け抜けていた。一緒にいたゲンジロウとアキを置き去りにするほどの速度である。数分前に、ユルヨをふくめた仲間たち全員に念話が届いた。
念話とは、思念を物理的な力に変換せず、精神的な力のまま飛ばし、それを受け取った相手と思念で会話する竜の力だ。そして肝心の念話の内容とは。
――実験体をヒラス村の廃士道場にて発見。
というものだった。
そうして情報を得たユルヨは、すぐに走り出した。
木の根を踏み越え、石から石に飛び移り、そして森の外に飛び出した。
士道場裏の広場に着地したユルヨ。その細い眉が跳ね上がった。
広場の一部に、大量の血痕が残っていた。
それを越えて、裏口から士道場の講堂へと足を踏み入れた。
老朽化のひどいそこに、斬撃や念力による破壊の痕跡が残っていた。不自然に破壊されたニトベ神像や、建物に走る傷をながめていると、その一角に太った死体を見つけた。
念話を送ってきた太った男――ウタだ。
ユルヨは死体に近寄り、その黄色の肌にふれる。
心臓を刺される強烈な感覚と、それを成した黒髪の男の姿が脳に叩きつけられた。
眉根を寄せて左胸を押さえるユルヨ。
思ったとおり、ウタは死ぬ前に自らの思念を身体にひそめて、情報を残しておいてくれた。どうやら彼は、今、頭の中に映った黒髪の男に殺されたようだ。
しかもユルヨは、その男を一方的に知っていた。
昔、戦場で見たことがあるのだ。
(まさかあの男が生きているとは……わからんものだな)
いったいどういう経緯で、ウタが殺されることになったのか。
おそらくは、黒髪の男が実験体を助けたのだろう。
竜狩りの民は、義に厚い。
(……しかしこうなると、おかしいぞ)
ウタは一人ではなかったはずだ。彼と一緒にやせた男――イリも行動していたはずだ。
状況から察するに、連絡がない以上、イリも黒髪の男に殺されたと考えるのが自然だ。とすると、士道場前の大量の血痕。あれはイリのものではないないのだろうか?
だがそうすると――。
「なぜ、イリの死体がない?」
「ユルヨよ。いったいなにがあった?」
追いついたらしく、入り口からゲンジロウとアキが入ってきた。
「さあ、私にもよく――」
「ウタっ」
突然、アキが声を上げて、太った死体に駆け寄った。血まみれになった自分そっくりの顔をのぞきこむアキの細い目尻に、涙がたまり、つぅっとほほを伝った。
「なんで、なんでウタが死んでるんだよっ。なあ、なんでだよっ」
アキとイリとウタの三つ子は、生まれたときから、常に一緒だった。親に捨てられ、ひろわれた村では捨て子として、さげすまれて生きてきた。だからこそ、その結束は強い。
苦難を共に乗り越えてきた彼らの絆の深さを、ユルヨは理解していた。
しかし理解しているからといって、共感するわけではない。
正直なところ、他人事だ。
むしろ、うっとうしいとさえ思う。
ともあれ。
ユルヨは念話を飛ばし、ウタを殺した黒髪の男の姿と名前を届けた。
「こいつが……イリとウタを。覚えたぞ――シマヅ・トヨヒサ」
アキの糸のような目の奥で、憎悪の炎が燃えたぎる。彼は血を分けた三つ子の一人を両手に抱える。チビな彼よりもはるかに大きく太い死体を軽々ともちながら、士道場を出て行った。土に埋めるなり、火葬するなりして、葬るのだろう。
すると同じように念話を受け取ったゲンジロウが、白ひげにおおわれた口を開いた。
「事情は大体わかった。して、なぜイリの死体がないのだ」
「一つ気になることが」
「なんじゃ?」
「この場所から、知らない思念の波長をわずかに感じるのです」
竜や竜人の思念には波長という特性がある。それは『匂い』や『気配』に近く、たとえば念話で離れた相手に話しかけるとき、顔が見えないのでそれが自分の話したい相手かどうか判別できない。そんなとき、相手の波長を感じるのだ。もし知っている相手なら感じ慣れた波長が、知らない相手なら感じたことのない波長を、感じるというわけだ。
そしてユルヨは、仲間以外の念の波長を、この場所からうっすらと感じ取っていた。イリとウタ以外に、この場で、念力を使ったものがいるということだ。
ゲンジロウは、
「貴様の言っていた、シマヅとかいう男の念であろう」
と言った。しかし彼のことを知っているユルヨは、それがちがうとわかっていた。
(……まさかシマヅとはまた別の誰かが、ここにきたということか?)
そしてその別の誰かが、イリに何かしたのだろうか。
疑問は深まるばかりだが、考え込んだところで答えは見つからない。
一旦、思考を棚上げしてから、ユルヨは言った。
「それで、いかがいたしますか? 今すぐ実験体を追いますか? おそらくは、そう遠くに行っていないかと」
「いや、待て。ほかの仲間が合流するまで、ここで待機だ。何があるかわからんから、今はかたまって行動するのだ。それに実験体の行き先は察しがつく。疲れているだろうし、腹も減っているはずだ。とすれば、休むために町を目指すはずだ。ここから行けて、なおかつ近くにある町といえば、ミウノ山の麓にあるタタラの町だけだ」
「わかりました」
ユルヨは一礼し、うつむいた顔に、禍々しい笑みを貼りつけた。
(奴は今、シマヅはきっとあの実験体と一緒にいるはずだ。竜狩りの民ならば、小さな子を捨てるような真似はしない。あの捨てがまりをした男が、見捨てるわけがない。ということは、実験体を追えば奴と会う。奴と出会う。奴と殺しあえる。……楽しみだな)