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竜侍  作者: 栗山明
第一章 2
28/30

第三章 11

下り坂を駆け抜けるトヨヒサの前方に、セキガ平原が見えた。一瞬、頭の中に連邦戦争時の記憶が浮かぶが――ためらうことなく、そのぬかるんだ忌まわしき地を踏みしめた。

 視線をめぐらせ、豪雨の帳の先に、右手を振りかぶるデピュルの姿が見えた。

 その眼前にはマヒル。

 今まさに、その命が刈り取られようとしていた。

 しかしトヨヒサは遠すぎた。

ここからでは馬を走らせても、到底間にあわない。

 使うしかない――竜の力を。

 デピュルの右腕が、マヒルの左胸に向けて突き出される。

 トヨヒサは息を吸い、竜管の毒と一緒に吐き出そうとする。

 が。

 視界が漆黒に染まる。

闇に一対の赤色の瞳。トカゲのような頭が現われ、そのせり出した口の中に牙で身体を貫かれたヒサヨの姿があった。トヨヒサの胸の中にわきあがる『死』の恐怖が――。


 ――臆するなっ、兄上っ!


 ヒサヨの声が、聞こえた。

 トヨヒサの両眼が見開かれた。

「チェエエエエエエエエエストオオオオオオオオオオ」

ほとばしる竜叫が内なる恐怖をかき消し――加速の息吹が吐き出された。

刹那。

トヨヒサが消え、

デピュルが横っ飛びに吹っ飛んだ。

彼女は土砂を巻き上げ、平原を跳ねるように転がった。

念の鞭が解け、地面に落ちるマヒル。

その身体を、デピュルと入れ替わるようにして出現したトヨヒサがやさしく受け止める。

おくれて、疾走により蹴り上げた泥が、風圧で弾け飛んだ雨粒と一緒に背後で落ちた。

 ぼうようとした目つきで、マヒルがこちらを見上げる。目の前にいる男が誰か気づいたようで、苦しさとよろこびがない交ぜになったような表情となった。

「きて、くれたんだ」

トヨヒサは彼女の手をつかむ。その篭手におおわれた手の震えは、止まっていた。

「竜狩りの民は、義に厚いからのう」

 うっすらと竜鱗模様の浮かぶ顔に、脂汗を浮かべながら、トヨヒサはそう言った。急加速したことで、身体に負担がかかって、脇腹の痛みが増したのだった。

「力、使えるようになったんだね」

「応っ」

 トヨヒサはうなずき、彼女を平原に立たせた。それからその金髪をぐしぐしと撫でる。

「よう、がんばった」

「当然。死んでたまるかっての」

 にしし、とマヒルが笑った。

釣られてトヨヒサも笑いそうになったが、弾かれたように森のほうを向き、マヒルを背にかばう。腰に佩いた斬竜刀の柄に手をおき、いつでも抜刀できるようにする。

 雨でかすむ森の奥から、青竜刀を手にユルヨが歩き出てきた。肌にはうっすらと竜鱗模様が浮かんでおり、頭に負った怪我から流れる血が、顔を縦断していた。

「いい目だ。実にいい目じゃないか、シマヅ。まるで鬼だ。戦鬼だ。身震いするぞ」

「まだ生きてたんか、手前」

「ああ、まだ生きているさ。だが今から死ぬ。今からここが、私の死に場所となる」

 ユルヨがちらりと視線を横手に飛ばし、トヨヒサもそちらを見る。先ほどトヨヒサの高速飛び蹴りを受けて吹っ飛んだデピュルが、身体についた泥を払いながら歩いてきた。

「そうか、そうか、そうなのか。貴様らが先ぢゃ。先に心の臓腑を抉りたもうか」

 そういって、デピュルは足を止めた。

 豪雨の中、まるでいつかの遊郭のときのように、三すくみができ上がった。

三人は互いに鋭い視線を交わす。

最初に口を開いたのは、トヨヒサだった。

「まるで自分が人間よりえらかみたいな言い方じゃのう、女」

「そうさ。その女は、人間より偉いんだよ、シマヅ」

「……やっぱりか。女、手前は――竜じゃな?」

 トヨヒサの問いに、

「そうぢゃ。わちは気高き竜ぢゃ」

 デピュルはよどみなく答えた。

 そんな予感はしていた。

そしてこれで、デピュルがマヒルを狙う理由がはっきりした。

 かばう少女の左胸を指差し、トヨヒサは声を張り上げた。

「手前がクソガキを殺したところで、手前の娘の逆鱗は返ってこんぞ」

「え? どういうこと?」

「ジジイたちが手前に飲ませた混合逆鱗。その中に、あの女の娘の逆鱗が混ざっとったんじゃろう。竜にとって、逆鱗っていうのは、その竜の力の源であり、象徴であり、誇りであり、そのものと言ったところじゃ」

 トヨヒサは敵二人から目を離さずに、言葉をつづけた。

「クソガキよ。自分が死んだあとに、犯されたと考えてみ? 当人にとっちゃ死んじまったから何のこっちゃなか。しかし、手前の家族はどうじゃ? 友人は? 恋人は? その所業を許せるか? 許せんよな。許せるはずがなか。赤の他人の話でさえ、胸糞が悪い。そうなったら、どうあってもその尊厳を取り戻そうとするじゃろ? そのために、犯した相手を憎み、ぶち殺して晒し首にしてやろうと考えるじゃろ? 

この竜がやろうとしていることは、そういうことじゃ。竜にとって人間は餌。家畜。それが傲慢にも、死んだご主人様の身体を散々犯し、あまつさえ食うわけじゃ。腸が煮えくり返るどころじゃなか。だからあの女は手前から取り返そうとしているんじゃ。尊厳を。誇りを。その心臓を抉ってな。逆鱗と同化した臓腑を抉ってな。――そうじゃろ? 女」

そう問いかけると、デピュルは手をかかげ、拳を握りしめた。

爪が掌に食い込み、赤い血が流れ、それを雨が洗い落とす。

「人間ごときに、わちの娘が陵辱されていると思うと、たまらんのぢゃ。あの戦で娘を失ってから、十年。わちはずっと探しつづけてきた。卑しき人間に擬態し、わずかにただよう念の匂いをたどり、くる日も、くる日も、探した。そしてある日、突然その念が大きくなった。わちはそこへ行き――その娘を見つけた。わちの娘を食った、その家畜を」

 デピュルの黒瞳が、煉獄の炎のように真っ赤に変色した。

 竜は千年前に人類を東方に追いやったという事実から、人間を見下す傾向にあり、それは年老いたものほど顕著になる。そして老いた分だけ竜は力を増し、その証として百歳ごとに角が一本ずつ増える。デピュルの歳はわからないが、少なくともその人間に対する態度と生物の王者としての風格からいって、三百歳から、四百歳と推測できた。

百歳を越えた竜一匹で、竜武装した侍百人に値すると言われている。つまり推測どおりなら、デピュルは三百から四百人分の力がある。

町の一つくらいなら、簡単に滅ぼせるほどの力があるのだ。

 そんなデピュルが、家畜である人間に擬態している。

果たしてそれが、どれほどの屈辱なのか、トヨヒサには完全には理解できない。

だが、自らが汚辱にまみれても、大切な誰かの尊厳を取り戻したい、という気持ちは理解できた。しかし、だからといって、マヒルを殺させるわけにはいかない。

そのマヒルはといえば、怯えるように身をすくめ、トヨヒサの身体に隠れていた。

 そのおり、トヨヒサたち以外の声が響いた。

「あの日、研究所を襲った竜は、貴様だったのか」

 森の奥から出てきたのが、ゲンジロウが出てきた。今まで様子をうかがっていたのか、彼は雨でぐっしょりとぬれた士道衣の袖を打ち払い、憎悪の目でデピュルをにらんだ。

「よくもやってくれたな、貴様。貴様のせいで、わしの崇高なる目的がおくれることとなった! ユルヨっ! 斬れ、やつを斬ってしまえ!」

 自らのかたわらに立つユルヨに、ゲンジロウが命令を下した。

 するとユルヨは、呆れたようにため息をついた。

「あんたも似たようなもんだろ」

「なに?」

 ゲンジロウは問い返したが、その答えを聞くことは二度となかった。

 彼の首が、刎ねられた。

怒りにそまった顔のまま、ゲンジロウの頭が泥に埋まる。

 青竜刀についた血を振り払うユルヨ。

 目を細めて、トヨヒサが問いかける。

「手前、仲間じゃなかったんか?」

「仲間さ。十年前までな。ただし私が忠義を尽くしたのは殿のみ。その殿がいない今、私が忠義を尽くすのは私自身。そして私が望むのは、崇高なる死に場所だ。ようやくそれが整った。化け物に、それを狩る化け物じみた侍。どちらも超一流の怪物だ。死ぬにはもってこいの相手さ。それを邪魔されるのは、台無しにされるのは、いささか不愉快だ。そうだろう? 最後の晩餐は、静かに粛々と楽しみたいものさ」

 ユルヨが青竜刀を片手に、壮絶な笑みを浮かべる。

「私がお前らを殺す。お前らも私を殺す。まったくもって、いい死に場所だな」

 デピュルが拳を握り、底冷えする目で二人を見据える。

「下等にして下賎の種よ。そちたちに明日はこぬ。雨に打たれてさびしく死ね」

 トヨヒサは一息で斬竜刀を抜き放ち、肩に担ぐように――《竜斬りの構え》をとった。

「ごちゃごちゃうるさか。クソガキ以外はとっととおっ死ね」

 二人と一匹の視線が交錯。

その視線から、火花が飛び散った。


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