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竜侍  作者: 栗山明
第一章 2
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第二章 12

竜の胴体のような形の木の棒があった。

その対面に、幼き頃のトヨヒサは立っていた。手にした木刀――通常の物よりも長く太い――の柄を両手でにぎり、肩に担ぐように構え、腰を深く落とす。

シマヅ流竜剣術の基本の構えである《竜斬りの構え》だ。

 そしてトヨヒサは、木刀を全力で振り下ろした。

 破砕。

棒が半ばからへし折れた。

木刀のほうも、あまりの威力に折れていた。

『一の太刀ですべてを決する』というシマヅ流竜剣術の理念を体言する一撃だった。

 そばに立っていた眉の太い男が、腕を組みながらこう言った。

『トヨヒサ。なして竜叫を出さんのじゃ』

『親父。逆に聞きたか。あんな狂ったような声を出す意味があるんか? あの声のせいで、俺らの剣術は気狂いの剣なんて呼ばれとる。俺はそれが恥ずかしくて』

 そう言ってトヨヒサは、父親であり師匠でもあるシマヅ・イエヒサに反論した。

 するとイエヒサはこう答えた。

『考えてみ、トヨヒサ。竜と刀で斬りあう俺らが、まともだと思うか?』

『まあ、たしかに』

『それに竜叫にはちゃんとした意味があるんよ』

『どういう意味じゃ?』

『一つは相手を萎縮させること。現に俺らの剣術を気狂いの剣と呼んで、多くの奴らはビビっとるが。目論見どおりっちゅうわけじゃ』

『ほかにもあるんか?』

『ああ、もう一つは己の恐怖を打ち消すためじゃ』

『恐怖?』

『戦いは恐ろしかもんじゃ。痛み、殺し、殺され、死んで、死なれて。恐ろしかことが満載じゃ。しかし臆してばっかでは、守れるもんも守れん。だからそんなときは叫ぶんじゃ。すると不思議なことに怯えが消え、ただ一振りの刀として戦いに望める』

『……ほんとか?』

『今度、戦場に行ったら叫んでみ。ほんとうのことじゃ。父を信じろ』

『そこまで言うなら、信じてみるが』

『ああ、そうせい。それにな、トヨヒサ。いいことを教えてちゃる。この竜叫を最初に発したのはな、創設者のシマヅ・ヨシヒロなんじゃが、しっとったか?』

 シマヅ・ヨシヒロ。竜狩りの民の祖先にして、名だたる武勇を残した者に送られる東方十二英雄の名を冠する一人だ。

 自分のルーツとも呼べる相手のことを、トヨヒサが知らないわけがなかった。

『そんくらい、十歳の俺でもしっとるわ』

『ほうかほうか、じゃあ、なして竜叫なんてものを剣術に組み込んだと思う?』

『それは、さっき父上が言うたではないけ』

『あれはな、言い訳じゃ』

『言い訳?』

『俺も親父から聞いたことなんじゃが、実はな――』

 イエヒサが何か言っているが、それを最後まで聞くことはできなかった。

 そのときトヨヒサは、すでに別の場所にいた。

 耳を劈く怒号と銃声と爆発音。

どこまでも広がる土の平野に、竜鉄式当世具足を着込んだ人や馬が倒れ、その身を自らが流す血の川に埋めていた。

そこは十年前のセキガ平原――連邦戦争の真っ最中だった。

裏切りや単純な戦力差など、様々な要因が絡まって東軍の勝利は目前だった。

西軍はすでに負けムードがただよっていて、玉砕覚悟で切り込んでくる者もいれば、負け戦と割り切って逃げ出す者もいた。

 トヨヒサは東軍にいた。

イエヒサがこの戦に参戦すると決めたとき、彼は弱いほうに与すると決めていた。

そして当初、東軍は二万、西軍は五万という戦力差があった。

誰もが西軍の勝利を確信していた。しかしイエヒサ率いる竜狩りの民の侍、千人が参戦することで戦力が逆転。たった千人、されどその千人すべてが竜人であり猛者だった。

そしてイエヒサたちの活躍もあり、東軍は奇跡の勝利を迎えようとしていた。

だが――ここで思わぬ誤算が起きた。

血の臭いを嗅ぎつけて、大量の竜がやってきたのだ。竜にとって人間は食い物である。それが大量に集まっているのだから、竜の来襲は当然の結果といえた。

竜の登場に戦場は大混乱。西軍の残党はもちろん、勝利の確定していた東軍の兵士も、せっかくの勝ち戦を前に死にたくないと逃げ出す始末。

しかし中には、立ち向かおうという心意気ある者もいた。

イエヒサはそういった連中に声をかけ、急ごしらえの竜討伐隊を編成。

そして竜討伐隊と竜の戦がはじまった。

竜の圧倒的な力に、討伐隊は竜狩りの民仕込みの戦術を駆使して応戦。

互角以上の戦いを繰り広げるも、徐々に押されていく。

竜の物量と無尽蔵の体力を前に、限界がきたのだ。

また一人、また一人と死んでいく中で、討伐隊に参戦していたトヨヒサが言った。

『親父。ここは退こう。このままじゃ、みんな死んじまう』

『……そうだな。生きてこその人生じゃもんなぁ』

 そしてその瞬間、討伐隊は竜から逃げることを目的とした集団になった。

東軍も西軍も関係なく、全員で必死に逃げた。

しかし竜も当然ながら追いすがる。

 それに対してイエヒサが取った行動は、捨てがまりと呼ばれる戦術の実行だった。

 捨てがまりとは、頭首を逃がすために、しんがりを務める部下が足止めをする戦術。

つまり――仲間のために命を捨てろというわけだ。

 竜狩りの民が、義に厚いといわれる由縁はここにある。彼らの戦術は常に、自分以外の誰かに命を預けることを前提としている。彼らの間では、絶対の信頼関係が成り立っているのだ。だからこそ、イエヒサの戦術実行の合図に、部下は何一つ文句を言わずに、

『この命、捨てがまろうぞ!』

 一人、また一人としんがりを務め、追いすがる竜に単身で挑み、死んでいくのだった。

 そしてそんな一人として、幼き頃のトヨヒサは平原の上で、《竜斬りの構え》を取った。

するとその隣で、同じように斬竜刀をにぎり、《竜斬りの構え》を取る少女がいた。

 当時、十二歳のトヨヒサよりも若い、黒髪黒瞳の少女だ。

『なにしとるとね、ヒサヨ』

『兄上ばっかりに、かっこいいことはさせんよ』

 少女――ヒサヨはトヨヒサの妹だった。

 彼女もまた、竜狩りの民の侍だったのだ。

『応、そうか。なら、捨てがまろうぞ』

『親父殿のために、あたしらの命、捨てがまろうぞ』

 トヨヒサとヒサヨは、迫る竜に向かって、『チェストオオオ』と竜叫を上げて斬りかかった。二本の斬竜刀が振るわれるたびに、竜の首や腕が両断され、血潮が舞う。

 竜叫が戦場にこだまし、二人の若き侍は、仲間たちのために命を燃やした。

 そしてそのときは、あまりにも唐突に訪れた。

 もはや何匹斬ったかもわからず、二人が全身血まみれになり、荒い呼吸をついているときだ。竜と人間の死体が幾重にも重なった平原に、生きた子供がいた。

 あまりにも不自然な状況だった。

だがしかし、心優しいヒサヨはついつい、

『キミ、なにしとるとね! あぶないからはよ逃げ!』

 近づいて声をかけてしまった。

すると子供は口の端を吊り上げ――その口が前にせり出した。頭から鹿の角が生え、瞳が赤く染まり、肌が竜鱗に変わり、頭が三倍以上に巨大化。

首から上がトカゲのような頭に変わり――ヒサヨの上半身がなくなった。

 食われたのだ。

 長い年月の間に、竜は人間に擬態する術を身につけた。人が竜の逆鱗を食って竜人になるように、竜もまた人を食うことで人間に変身することができるように進化したのだ。

そのことは、トヨヒサもヒサヨも知識として知っていた。

 なのに、止められなかった。

 トヨヒサの手足が震えた。どんな戦場に出ても、竜を前にしても不敵に笑えていたはずなのに。ヒサヨの死をきっかけに、ずっと奥底に沈ませていたものが浮上してきたのだ。

 恐怖。

 痛み、殺し、殺され、死んで、死なれての恐怖が。

 妹の死を通して、トヨヒサははじめて戦いの怖さというものを知った。

命を捨ててでも止めるはずだった竜を見て、ぶるりと震えてしまった。

自分を囲む無数の赤い瞳を見ただけで、もう何も考えられなくなってしまった。

トヨヒサは、みっともなく走った。

命を捨てがまろうという気はもはやなくなっていた。

斬竜刀を振り回して、必死に走った。

自らの役目を捨て、妹の亡骸を埋葬することもなく戦場から逃げ出した。

逃げ出してからも走って、走って、走って――。


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