表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜侍  作者: 栗山明
第一章 2
13/30

第二章 9

三階の廊下が崩落する少し前。

 一階の廊下を、トヨヒサは走っていた。

平行して士道衣の糸目男――アキも走っている。

駆けながらアキが炎を吐き、念力を放つ。それをトヨヒサが避けるたびに、壁に火がつき、砕かれた木材の破片が宙を舞う。さらに、事態を知らずに部屋から出てきた男衆や遊女が、念力をぶつけられてきりもみ、炎で悲鳴ごと焼き尽くされる。用心棒も姿を現すが、双刀の乱舞に巻き込まれ、物言わぬ骸となった。

 まさに地獄絵図。

 炎で彩られた廊下を疾駆しながら、トヨヒサは預かり所を探していた。遊郭の掟で、入店の際に斬竜刀や脇差しといった刃物は、そこに保管しておく決まりなのだ。

 だがその預かり所は見つからず、念力を避けるために飛び込んだ部屋は、台所だった。

水がめや、かまどなどが置かれたその部屋で、トヨヒサは壁を背に立ち尽くす。

 視線の先――台所の入口をふさぐように、双刀をもったアキが立っていた。

「しつこい奴じゃ。おまけに息吹をバカスカ吐きやがって。手前、火竜の逆鱗を飲んだか」

「だったらなんだ」

 トヨヒサの問いに、アキは吐き捨てるように答えた。

 息吹――それは竜の吐く特殊な息のことだ。竜は肺のそばに竜管という器官があり、そこにたまった毒を息に混ぜて吐き出すことで、息吹を吐き出すことができる。

 竜官の毒の性質は竜ごとにちがい、その性質ごとに種類が分けられている。

火を吐くなら火竜、風を吐くなら風竜という具合だ。そしてアキは答えたとおり、火竜の逆鱗を食って、火の竜管を手に入れた竜人のようだった。

こちらをにらみつけるアキを、トヨヒサは鼻で笑った。

「顔が量産型なら逆鱗も量産型ってか。手前、笑いの才能があるのう」

「ほんとう……竜狩りの民ってのは、いつまで経ってもどこで会ってもむかつくなァ」

「そんなにほめられると、照れる」

 トヨヒサがそっけなく答える。応じるようにアキが地を蹴り、けん制の念力。透明の弾丸をトヨヒサは避ける。そばで板敷きが弾け、正面で双刀が横薙ぎに振るわれた。

トヨヒサは身をかがめてやりすごし、頭頂部の黒髪が何本か散った。

アキが薙いだ勢いを利用して旋回、雷のように双刀を振り下ろす。

トヨヒサは両手の篭手でそれ受け、かたむけて力を流し、右の裏拳を繰り出す。

篭手が念力の壁に激突し、ぐおん、と空間がうねった。

しかしひるまずに両手で乱撃し、念力の壁を破壊。そのまま追撃しようとして、踏みとどまる。その鼻先を双刀がよぎり、アキが大きく飛び退いて距離を取った。

 そしてその胸郭がふくらむ。

(させるかよ)

 トヨヒサは後ろにあった水がめをつかみ、人一人分くらいはあるその壷を、片手で放り投げた。アキの口から炎が噴出。炎と水が絡み合い――水がめが爆発。

台所に大量の湯気が立ち込めた。

先ほどまで見えていたアキの姿が、濃霧のような湯気に阻まれて見えなくなった。しかしそれは同時に、アキにもまたトヨヒサの姿が見えていないということだ。

 トヨヒサはかまどの上にあった鍋を――中は空だった――引っつかみ、それを手に疾走。

湯気を切り裂く銀光が、正面から突き出された。

かかげた鍋底で切っ先を受ける。

耳障りな音を立てて、一本の直刀が鍋底を突き破った。

だがすでにトヨヒサは首をかたむけており、顔はそこになかった。身体をひねる。鍋ごとアキの身体を引っ張り、土に叩きつけた。ぶわっ、と湯気が消し飛ぶ。

 トヨヒサは奪い取った双刀の片割れを鍋底から抜く。そして均された土の上で片ひざをつくアキに、直刀を打ち下ろした。

斬撃を防ぐべく、アキもまた同じ直刀を水平にかかげる。

双刀が激突。竜鉄製の刃がこぼれる。

銀の粒子をきらめかせて、アキが後退。トヨヒサは追う。台所から再び廊下に飛び出した二人の間で、二本の直刀が乱舞。黒煙が切り裂かれ、刃の欠片が散る。

幾度目かの交錯後、銀の尾を引いて二人は距離を取った。

周囲では炎と黒煙が渦巻き、人間では息をすることすら困難な状況だった。

しかし竜人ならば、念力で防ぐことができる。

事実アキは、身体の周囲を包む水泡のような透明の力場を展開して、平然と――といっても戦闘のせいで肩は上下しているが――呼吸をしている。

だが一方のトヨヒサは、口周りを手でおおい、呼吸を最小限にとどめていた。

そんなトヨヒサの様子を見て、アキが怪訝そうに目じりを吊り上げた。

「おまえ、なめているのか? どういうつもりだ。なぜ――念力を使わない」

「そんなもん、俺の勝手じゃろうが」

「声を出さないのも、おまえの勝手か? 竜狩りの民は、戦いの際に狂ったような雄叫びを上げるはずだ。かつて戦場で竜狩りの民の戦いを見たときは、そうだった」

 アキの言うとおりであった。竜狩りの民に伝わる剣術において、『竜叫』という発声は基本であった。相手に斬りかかる際に声を上げる。例外なく、だ。その竜叫と圧倒的な腕前から、竜狩りの民の剣術は『気狂いの剣』と称されて、人々から恐れられていた。

 それはトヨヒサもわかっていた。そしてそう教えられていた。

 だが――。

「俺の勝手だと、いっとるじゃろうが」

「そうか。なめている。本気でなめているな、貴様」

 ぎりっ、とアキが歯を食いしばった。

 焼け落ちた天井の建材が、二人の間に落ちる。

それが地面につく前に、二人は疾走。

アキが左手から、鞭の形状をした念力を放出。燃える建材を弾く。垂直から水平に進行方向を変えた赤き弾丸が眼前に迫り、トヨヒサはそれを避け――ずに、なんと片手でつかみとった。そして掌があぶられて焦げるのもかまわずに、燃える建材を即座に投げ返す。

 さすがに予想外だったのか、アキの顔が驚愕に染まり、身体をねじる。とがった建材が肩をかすめ、白装束から血が噴出。それから体勢を立て直そうと構えなおした。

 一閃。

 トヨヒサの刀が、アキの腹を撫で切った。

横一文字の傷口から血潮があふれる。奔る銀光。一直線に突き出された切っ先が、アキの左胸に突き刺さり、真っ赤な血霧をともなって背中から飛び出した。

彼の糸目が極限まで見開かれ、

「ク……ソッ」

 その首が刎ねられた。

悔しそうな顔のまま彼の首が転がり、残った身体が力なく崩れ落ちた。燃え盛る炎に飛び込み、熔けていくアキの顔を見下ろしながら、トヨヒサは言った。

「死に顔もそっくりじゃな。さすが三つ子」

 轟音。

 見上げる。三階にまで回った火の手が廊下を焼き、灼熱が降ってきた。その降りしきる建材を避けようとして、とんでもないものを見つけた。

きゃああああっ――。

「――クソガキッ?」

 おどろきのあまり足を止めてしまったトヨヒサ。

 どしんっ!

落下してきた建材とマヒルに、トヨヒサはべしゃっと押し潰されてしまった。

「いったぁ……お尻いたぁい」

「――邪魔じゃあっ」

 背中に乗った建材ごとマヒルを弾き飛ばす。短い悲鳴を上げて彼女は転がり、運よくまだ焼けていない壁に後頭部をぶつけた。

「くぅう……なにすんのよっ。って、ああああああ!」

 こんなときでも、彼女は相変わらずやかましかった。

 黒髪や肩に乗った破片を手で払いながら、トヨヒサは半眼で彼女を見据える。

「会うなり早々、人の顔を指差すな」

「指差すに決まってるでしょっ。バカっ。よくも逃げたわねっ」

 マヒルがずんずんとこちらに詰め寄り、腰に手をそえて胸を反らした。

「あんたのせいであたしがどれだけ大変な目にあったか……わかるっ?」

「わからんし、俺も似たようなもんじゃ。それより、いい加減に逃げんとまずいぞ」

 今はまだこうして建物の形を保っているが、壊れるのは時間の問題だ。早いところ外に出ないと、先ほどとは比べ物にならないほどの建材に押し潰される。

 そうなったら、さすがに死ぬ。

 竜の力を使えば助かるだろうが――トヨヒサに使う気はなかった。

 するとマヒルが――まだ怒っているようで――またこちらを小さな指で指差してきた。

「言われなくても逃げるわよっ。えらそうに指図しちゃってさ。逃げたくせに」

「あー、やっぱり手前は、めんどくさい女じゃのう」

「誰のせいだと思ってるのよっ」

「おら、とっととついてこい。ここを出るくらいの間は、手伝ったる」

 トヨヒサはマヒルの小さな手をにぎり、廊下を走る。すると、

「ちょっとストップ、ストップ」

「なんじゃ」

「ほら、あれ」

 マヒルが指差す先に、壁が燃え落ち、中が丸見えとなった部屋があった。そしてそこには大量の刀がおかれていた。預かり所だ。アキとの戦闘の際に、見落としていたようだ。

「あんたの刀もあるじゃん。取らなくていいの?」

 正直助かったが、礼を言うのは癪だったので言わず、燃えるその部屋から斬竜刀と脇差し――でかい上にセットになっていたので見つけやすかった――を返してもらう。

 二つを腰に佩き、再びマヒルをつれて走り出した。

 そして入り口前の土間に着き――ここも変わらず燃えている――通路を抜けて外に出ようとして、「ちょっとまって」とマヒルが声を上げた。

「今度はなんじゃ」

 彼女は燃える籬を見ていた。そこには囚われたまま炎に焼かれ、異臭をただよわす遊女の亡骸があった。それを沈痛な面持ちでしばらくながめてから、マヒルはこちらを見た。

「行こう。あたしは、生きなきゃ」

 生気の満ちた彼女の碧眼をのぞきこみ、トヨヒサの脳裏を、黒髪黒瞳の少女の顔がよぎった。色も顔つきもちがうはずなのに、その二人の瞳のかがやきはよく似ていた。

 無言のまま走り出そうとしたトヨヒサは、しかし足を止めてしまう。

 のれんの向こう側――外のほうが騒がしかった。

人の怒号と、物が破壊される音が混じりあっている。

小橋を渡った先で、緑の半袖同心羽織と竜鉄式小具足をまとった同心兵たちが、士道衣を着た四人の道者と戦っている姿が目に入った。

 数の上では同心兵のほうが二十人ほどで、優っていた。だが、道者たちはあの糸目三兄弟と違わず竜人のようで、竜との戦いに慣れた同心兵たちでも、苦戦を強いられている。

 しかし苦戦をしているとは言っても、劣勢なわけではなかった。

同心兵長の指示に部下たちが従い、前衛が刀や槍で切りかかり、隙を突いて後衛が火縄銃を撃ち込むという、統制の取れた動きで、道者たちと張り合っていた。

 このまま倒して欲しいが、そうなると今度はこっちのほうに矛先が向くだろう。

「表は無理じゃな。裏に行くぞ」

 トヨヒサは方向転換し、舌打ちをする。

かたわらのマヒルから、息をのむ気配が伝わってきた。

 土間の先――板敷きの上に、胸から銀十字刀のネックレスをさげ、士道衣を着た二人の男がいた。金髪碧眼の男と、白髪で口周りに白いひげをたくわえた老人。

 ユルヨとゲンジロウだ。

「よく生き残ったぞ、実験体」

 ゲンジロウが言うと、マヒルがすばやくトヨヒサの背後に隠れた。

「あのジジイ、知ってる。あたしに実験したやつらの中で、一番えらそうにしてた」

「盗賊の親玉ってことか」

「盗賊? くかか、わしらをそんなくだらないものと一緒にするな」

 するとゲンジロウが、自慢げに胸を反らした。

「わしらはイシダ・ミツナに仕えていた武士よ」

「ああん? イシダ・ミツナって言えば、連邦戦争のときの西軍の長じゃろうが」

 十年前まで、東方十二領連邦の南西部にはイシダ領があった。イシダ・ミツナはそこの領主だったが、連邦戦争に負け、敗軍の将としての責任を取って切腹した。そしてイシダ領は解体され、今では東軍で活躍したミノウ・ケイジという男が治め、領名もミノウ領と改名されている。つまり今、トヨヒサたちのいる領こそ、元・イシダ領だったのだ。

そんな意外な人物の登場に、トヨヒサは怪訝な顔となる。かたわらで、「あ、だから自分たちのことを亡霊とか言ってたんだ」とマヒルが小さくつぶやいた。

「イシダの残党である手前らが、いったいどうしてクソガキを狙う」

「それは教えられんな。教える必要もない――ユルヨ」

「御意」

 すっとユルヨが歩み出し、その腰から青竜刀を抜き放った。鉛色の刀身は肉厚な上に幅広で、ゆるく反り返っている。もはや刀というよりは、巨大な肉切り包丁のようだった。

 斬竜刀と同じく、竜をぶった切るために鍛えられた刀だ。

 その対竜用武具の一つである青竜刀を手に、ヨルユの唇が弧を描いた。

「アキは殺したのか?」

「アキ? あの糸目のことか? あれなら丁寧に瓦礫の下に埋めてやったわ」

「そいつは重畳。その腕はさびついていないようだな」

「手前、俺のことしっとんのか?」

 言いながらトヨヒサは、手でマヒルを下がらせて、腰に佩いた斬竜刀の柄をつかんだ。そして長く抜きにくいはずのそれを、一息で抜き放った。

 竜を斬るために鍛え上げられたその長い竜鉄製の刀身が、炎を照り返す。

「一方的だがな。私も連邦戦争に参加していたのだ。西軍としてな。そして竜討伐隊にも参戦した。そこでお前の活躍を見させてもらった。自分より一回りは小さそうな子供が、自分以上の勇猛を振るっていたあの瞬間は、ゾクゾクしたものだ。もう叶わぬと思っていたが……。わざわざ竜人になったかいがあった。ありがとう。私が斬ってやろう」

「ざけんなっ、クソボケ。寝言は死んで言え」

 斬竜刀の柄を両手でにぎり、トヨヒサは下段の構えを取る。

 対するユルヨは青竜刀を右手一本でにぎり、左手はぶらつかせていた。

 周囲でパキパキと炎が木材を焼く音が響く。

どこかでまた天井が崩れたらしく、重々しい音が遊郭をゆらした。

 二人は身をかがめ、相手に向かって突進――と同時に横手に飛んだ。一瞬おくれて、二人のそばをよぎった赤い人影が板敷きに激突し、破片と黒煙をまき散らした。

 煙が晴れ、赤い人影の姿が現われた。道者である。白いはずのそれが赤いのは、左胸に空いた大穴から噴出する血で、士道衣が真っ赤に染め上げられているからだ。

 しかしその場にいる人は、誰一人として死体を見ていなかった。

 彼らの視線はすべて、のれんをくぐってきた女に注がれていた。

 黒髪を束ね上げ、胸元の開いた豪奢な黒の振袖を着ている。全身が黒尽くめでありながら、その肌は病的なほどに白く、唇は血を吸ったように赤かった。

 女を凝視するトヨヒサを、圧倒的な疑問が包み込んだ。

 遊郭の前では、同心兵と道者たちによる激闘が行なわれていたはずだ。

 のれんの奥に視線を飛ばす。

視界に、首をなくした同心兵や、左胸に大穴を開けた道者の姿が飛び込んできた。そのほかにも、表で戦っていた連中が様々な死に様を呈している。

(……なんじゃ、これ。こいつ、こりゃなんだっ)

 すると女は燃える遊郭内を見回し、壁際で身をすくめるマヒルに目をやった。

「ああ、見つけた。見つけたぞ、愛しの娘」

「むす……め?」

 覚えがないのか、マヒルは間抜け面で首をかたむけてから、自分を指差した。

「あの、あたし、孤児なんですけど?」

「いたわしい、なんと醜き姿か。わちが助けてやろうぞ。このデピュルが、汚らわしき運命から解放してやろう。さあ、愛しの娘」

 すすだらけの彼女の顔を見ながら、その女――デピュルは言った。

 ずいぶんと大仰な言葉を使う女である。そしてデピュルはマヒルに近づき、その手を天高く振り上げ――左胸めがけて振り下ろした。

 炸裂。

爆撃にさらされたように、殴られた壁が木っ端微塵となる。さらにその一撃で広がった黒煙と炎が、デピュルの黒尽くめの身体を飲み込んだ。

 トヨヒサは視線を女からユルヨのほうへ。

彼の手元には、マヒルがいた。

女が殴る瞬間に、ユルヨが糸状の力場を彼女に巻きつけ、引き寄せたのだ。

 マヒルは自分を助けてくれたユルヨを見上げ、

「あ、ありがとう」

「貴様に死なれては困る。それだけ――」

 言いおわる前に、彼の身体めがけて斬撃が奔り、ユルヨは飛び退いた。

彼が着地したとき、すでにマヒルはトヨヒサの手の中にあった。

 次々に変わる状況に少女はついていけないのか、

「あ、え、あ、ん」

「なんじゃ手前」

 呆れ顔でトヨヒサは言い、左手にマヒル、右手に斬竜刀をつかんで壁近くまで下がる。

入り口側の黒煙が晴れ、黒い振袖を着るデピュルが姿を現した。

デピュルが入り口側、ユルヨたちが階段側、トヨヒサたちがその間という三すくみが築かれた。

「そちたちはまこと下賎ぢゃ。わちの邪魔をするでない。愚か者」

「黙れ。貴様こそ、何故実験体を殺そうとする」

「ていうかどいつもこいつも、このクソガキの何がいいっていうんじゃあ」

「あたし美少女だしね。ていうか、クソガキって言うなっ」

「ええい、なにがどうなっておるのだ。わしの革命を、成すべきことを阻むなっ」

 各々が好き勝手なことを言い放ち、言葉と視線が交錯する。

誰もが自分以外の全員が敵という状況に動けずにいた。

そのはずだったが――デピュルだけは違った。

 彼女の真っ赤な唇が開き、

「失せよ」

白い皮膚から大量の水に似たそれがあふれ、彼女を中心に膨大な念力が渦巻く。形成された竜巻のような力場が暴れ回り、周囲の黒煙や火炎が散り散りになり、土間の土や板敷きがめくりあがる。

トヨヒサは斬竜刀を高速で納刀し、マヒルを抱きかかえる。

瞬く間に念力の竜巻は勢力を伸ばし、ついにはトヨヒサやユルヨたちを巻き込み、その身体を弾き飛ばした。身体がもまれ、手足が千切れそうになる。背中に衝撃が走るたびに炎の壁や襖をぶち抜き、そのまま外まで突き抜けた。

遊郭の周囲に群がっていた野次馬の一人に激突し、それでも勢いはゆるまずに地面を跳ねるように転がり、平屋の壁にぶつかってやっと止まった。

おくれて、一緒に飛んできた破片が、平屋の壁に突き刺さった。

「あいてて、クソボケがっ」

身体を起こしたトヨヒサは、頭をさする。

ガンッ!

激突の衝撃で落ちてきた瓦が、頭に当たった。

視界できらきら星が瞬く。

「なにやってんのよ」

「……うるせえ」

 胸の中でこちらを見上げるマヒルのひたいを叩く。少女が胸の中から転げ落ちた。

「なにすんのよっ」

 ひたいを手でさすって文句を垂れるマヒル。それを無視して、トヨヒサは腰を上げ、軽くふらつく。念力と背中に受けた度重なる苦痛に、体力と意識を削られたようだ。

 こめかみを叩いて気合を入れなおしていると、マヒルが言った。

「いったいなにが起こったの?」

「女が念力を放った。それだけじゃ」

「それだけって……あれで?」

 二人の視線の先には、遊郭の残骸があった。念力の嵐によって炎は吹き飛んでしまったようで、炭化した建材が積み重なっていた。まるで戦場の跡地のようだった。

 念力は使用者の思念の強さしだいで、その威力と範囲が決まる。脆弱な思念で念力を放っても吐息程度の威力と距離しかないが、しかし逆に言えば、その思念が強靭ならば、ここまでのことができるのである。

 ユルヨたちの姿は見当たらなかった。同じように吹っ飛ばされたか、はたまたあの建材の下か。そしてデピュルの姿もなかった。あれも下敷きになってしまったというのか。

 ひゅ。

 見上げる。

 頭上で煌々とかがやく半月。

それを背に黒い人影が高速で落ちて――迫ってくる。

 とっさにトヨヒサは、マヒルの着物の襟首をつかんで後方に投げた。

その間に黒い人影――デピュルが、流星のように突っ込んできた。

念力をまとった彼女の手刀が、トヨヒサの脇腹を抉る。

激痛。

肉がごっそりと持っていかれ、まとう念力により威力が増しており、衝撃で吹っ飛ぶ。大量の血潮をまき散らして、トヨヒサは横転する。

デピュルはそのまま平屋の壁に激突。壁が爆散し、土煙が舞い上がった。

 トヨヒサはふらつきながら立ち上がり、左手で脇腹を押さえる。猛烈な吐き気を覚え、吐血。内臓をやられた。おまけに脇腹に押しつけた指の間から、血が駄々漏れてくる。

 ものの数分もしないうちに、出血多量で死ぬと思われた。

 背後から、心配そうにマヒルが傷をのぞきこんできた。

「大丈夫なのっ、あんた」

「クソ……なんじゃ、この傷。おかしいぞ」

 痛みに顔をしかめて、トヨヒサは片ひざをつく。

脇腹の傷口からあふれる血が止まった代わりに、重みが増し、まるで石を抱えているような感覚を覚えた。いや、ようなではなく、実際に傷口が灰色に石化していた。

 この現象は、石竜の息吹によるものだ。

ということは、デピュルは石竜の逆鱗を飲んだ竜人ということだ。

だがそれがわかったところで、トヨヒサが圧倒的に不利という事実は変わらない。

(こりゃ……いよいよ、ヤバイかもしれんな)

 脳裏にチラつく『死』という文字。

それが頭をよぎるたびに、痛みとは別の意味で、手足が震えてくる。

十年前に似たような経験をした。

そして自分はそのとき――逃げ出した。

 では今回はどうする? 

 立ち向かうか、逃げ出すか。

 答えは――マヒルの手を引いて走ることだった。

「走れ!」

「あんた怪我が」

「やかましか!」

 平屋に突っ込んだデピュルに背を向けて、トヨヒサとマヒルは全力で走る。

背後から気配。

少女と一緒に横手の路地に飛び込む。

後ろで津波のような念力の波濤がよぎり、その先の建物をいとも容易く砕く。建物の倒壊する音に、誰かの悲鳴が混ざった。

 苦痛をこらえ、息を切らせながら、トヨヒサたちは路地を飛び出し、別の通りへ。

とにかく町の外に行く必要がある。しかし走りでは捕まってしまう。竜の力が使えるなら選択肢も増えるが――それを行使しようとすると、身体がどうしても拒否をする。

 だから――。

「宿場じゃ。宿場に、馬がいるはず。宿場はどこじゃっ」

「そんなのわから、きゃっ」

 走る二人を追って透明の弾丸が放たれ、足元の土塊が舞い、被弾した平屋の瓦が砕け散る。二人は路地に入り、直進し、路地から出て、また曲がる。

その間にも、石化による鈍い痛みと重量が体力を、追っ手の存在が気力を削っていた。

(このままじゃ……っ!)

 その矢先。

表通りの一角に宿場を見つけた。騒ぎはここまで届いているようで、通りで人々がてんやわんやとばかりに騒ぎまわっていた。

「クソが――邪魔じゃあ!」

 斬竜刀を抜き放ち、トヨヒサは雄叫びを上げて刀を振り回す。

突然の狂人の登場に人々がおびえ、耳に痛い悲鳴をあげながら遠ざかっていく。

「そうじゃっ! とっとと失せろっ!」

 宿場に隣接する馬小屋が見え、そこの柵から焦げ茶色の馬が顔を出していた。

馬小屋の柵を斬竜刀で切断。急いで手綱を引いて、馬を外に引っ張り出し、鞍にまたがり、マヒルを引っ張りあげた。小さな彼女を自分の前に乗せ、馬の横腹を蹴った。

軽快な音を立てて蹄が地を蹴り、馬が疾走。

身体が上下にゆれ、全身の傷がうずき、トヨヒサの気が遠くなる。ふらりと落ちそうになったが、あわてて体勢を立て直す。口にたまる血を、吐き捨てる。

逃げまどう人々をよそに、馬は風のように駆けて、ミノウ山方面に出る門に向かう。

横手で瓦が砕かれる音。

平屋の屋根を狼のように走り、こちらと並走するデピュルの姿があった。

彼女の口から念力の砲弾が放出され、一瞬前まで馬がいた地面に着弾。破裂した念力の余波が周囲の人を弾き飛ばし、土塊が間欠泉のように天高く吹き上がる。

暴れ出しそうな馬をなんとか御しつつ、

(たのむ、たのむ、走ってくれ、走ってくれっ!)

 トヨヒサはねがった。

 再びデピュルが念を放った。

 だがその念はトヨヒサたちではなく、その前方の平屋を狙ったものだった。

竜の胴体に似た形状の力場が、平屋に巻きつく。

釣竿のように引き上げられ、地面から平屋が引っこ抜かれた。

横長のそれが月光をさえぎり、通りの横幅よりも大きな影がトヨヒサたちをおおう。まさかの行動に、馬上のトヨヒサとマヒルが目を引ん剥いた。

(うそじゃろっ!)

 念力がしなり、平屋が投擲された。

月が落ちてくるようだった。

馬が恐れるようにいななき、マヒルが口をあんぐりと開ける。トヨヒサは斬竜刀を抜こうとして、右腕にしびれが走った。全身から訴えてくる激痛に身体が反応してしまった。

 ゆえに、斬竜刀を抜くことができず。

 巨大な質量がそのまま二人を押し潰す――前に空中で停止した。

(な、なんじゃあ?)

 驚愕しながらも、トヨヒサは馬の横腹を蹴った。無理やりにでも走ってもらう。馬もそれに応えるように土を蹴り上げ、死の影を飛び出した。

 背後で轟音。地震でも起きたかのようなゆれが生じ、トヨヒサは頭半分だけ振り返る。

沈没する船のようにほぼ垂直に傾斜して地面に突き立つ平屋の上に、ユルヨが立っていた。彼が、念力を用いて落下を食い止めたのだろう。

 なぜ?

 彼らにとってマヒルは大事なものらしい。あの女とちがって、生かして手に入れたいようだ。だから結果としてこちらを助ける形になったのだ。

それだけの話。

決して味方ではない。

 するとユルヨが腰に佩いた青竜刀を抜き、口元に残忍な笑みを浮かべて跳躍。縦回転しながら刀を振り下ろし、それをデピュルが白い右手で受け止める。

 金属同士がぶつかったような、澄んだ音が響いた。

(今のうちに……っ)

 視線を切り、馬を一気に門まで走らせる。

町から人々が脱出しているおかげで、門も開かれていた。門番たちの制止の声を振り切って、そのまま町の外に飛び出す。

無数の明かりと破壊の惨状を背に、街道から山道まで一気に駆け抜けた。

 やがて山道の途中で、走らせすぎたせいで馬がへばり、くずれるように倒れこんだ。馬上の二人も身体を投げ出され、近くの木の幹にぶつかった。

「いったぁっ……なんか、今日はぶつかってばっかじゃん」

 ぶつくさ文句を言いながら、マヒルは同じように倒れるトヨヒサを見て、息をのむ。

雑草の上に寝転ぶトヨヒサの目が、うつろになっていた。蓄積された疲労、大量に失った血液、そして石化による痛みのせいで、限界を迎えつつあった。

 ぼやける視界の中で、マヒルが自分を見下ろしていることがわかった。

すると彼女が周囲を見回したあと、何かを意を決するように表情を引きしめた。

(なにを……する気だ?)

 そう思うトヨヒサの脇腹に、マヒルがそっと顔を近づけ――。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ