第二章 6
遊郭・山田亭の前に、ユルヨたちは立っていた。黒外套に士道衣を合わせた男の数は、ユルヨをふくめて七人。廃士道場で待機後、バラけていた仲間と合流したのだ。
「本当にここなのか? なぜ遊郭などにいるのだ?」
白いひげをさすりながら、ゲンジロウが眉根を寄せる。
「わかりません。ですが〝声〟はここから聞こえました。あれほどに大きな〝声〟は、まちがいようがありません」
「……調べてみるか。チョウジとゲンガは裏を、デンバとスグルは表を張れ。わしとヨルユとアキは店内を調べる。ついてまいれ」
『御意に』
ゲンジロウの命令に従って、それぞれが散開。風のような速さで四人の男がその場から消え、あとに残ったのは、ユルヨとゲンジロウとアキの三人だけであった。
歩き出したゲンジロウにつづいて、ユルヨとアキも小橋を渡り、のれんをくぐった。
通路が伸びていた。横手には籬があり、品定めをする男たちが群がっている。通路の先に、広々とした土間があった。そこには履物が並んでおり、一角には井戸が設置され、天井には紅葉や梅の花の絵が描かれていた。土間の先には板敷きの広間があり、そこの左右を貫く形で廊下が伸び、正面奥には階段があった。
三人は籬の遊女たちの顔を確認したが、そこに実験体はいなかった。女が遊郭にいる理由といったら、遊女になって客の相手をする以外ないはずだ。
(とすると、今は客の相手をしているところか?)
ユルヨは思考をめぐらせる。
すると受付所の男が三人に気づき、手もみをしながら近づいてきた。
「いらっしゃいませ。失礼ですがもしや、道者の方々でしょうか?」
武士道を信仰し、士道場に出家し、その証として士道衣をまとう者を道者と呼ぶ。
受付の男の問いに、ユルヨが答える。
「そうだが、なにかまずいか?」
「いえいえ。道者の方がくるのはそんなにめずらしくないのですが、士道衣を着用してくる方となるとそうはいないので。お気分を害してしまったのなら、申し訳ありません」
「かまわん。それに女遊びをしにきたわけではないからな。人を探しているのだ」
「人、でございますか」
「ああ、小さな女だ。西方系で、十歳くらいの。ここにきているはずなのだが」
「おや、それでしたらたしか……」
何かを思い出すように、受付の男が首をひねる。手ごたえはあり。
男が思い出すまで、ユルヨは待とうとした。
すると正面奥の階段を、降りてくる人影があった。黒髪黒瞳の男は不機嫌そうな顔で、黒い着物と野袴を着用し、篭手や脛当てなど、朱色の竜鉄式小具足を身につけていた。
黒髪の男――トヨヒサは忙しそうに廊下を走り回っている男衆の一人に、
「すまんが、俺の刀を取ってきてもらえるかのう」
「あ、お帰りですか?」
そんなやり取りをはじめた。
「あの……男」
ユルヨのそばで、アキが絞り出すように低い声を発した。途端に彼の身体から、危険な香りが立ち上る。ゲンジロウも気づいたようで、ハッとしてアキを見た。
よせ――とユルヨが言う前に、アキの糸目が見開かれた。
彼の胸郭がふくらみ、その口から火炎が吐き出された。
空気を焦がす赤い奔流に、トヨヒサとその近くにいた男が気づく。
トヨヒサはとっさに横転し、もう一人の男は棒立ちで火炎に飲み込まれた。
燃える牙は悲鳴を食い千切り、壁に食いつき、建材を糧に燃え盛る。
突然の凶行に、籬にいた遊女が金切り声を上げ、品定めしていた男たちが逃げ出す。そばにいた受付の男も、その波に紛れて外へ。
一瞬の間に、玄関は狂騒に包まれた。
(無茶をするな)
そう思うユルヨの視界で、板敷きを必死に転がるトヨヒサの姿が映った。逃げおくれた着物の裾に燃え移った火が、地面に押しつけられて消火された。
「なんだ手前っ。手前なんだこの野郎っ! なにを、なにをしやがるっ」
焦げた臭いを発しながら、トヨヒサが怒り狂った鬼の顔で叫んだ。
間断おかずにアキが疾走。黒外套を投げ捨て、その下に隠していた肉厚な双刀で斬りかかる。二条の銀光が食い込む前に、トヨヒサは飛び退いてかわす。
業火で半身を照らしながら、二人は相対する。
トヨヒサがアキの糸目顔を見て、その眉を跳ね上げた。
「手前、見た顔じゃな」
「貴様が殺した二人は、僕の兄だ。仇をとらせてもらおうか」
トヨヒサの顔に理解の色が広がり、それから犬のクソを踏んづけたような表情になる。
「他を当たれ、クソボケ。おとなしくあのクソガキでも捜してろ、細目盗賊」
「知るか、知るか、知るかっ! 実験体のことはもういい、もういい。僕は、そんなことよりも、おまえを殺す。兄たちのために、その首を刎ねて晒してやるっ」
「暑苦しいやっちゃのう」
彼のつぶやきは、アキの火炎にまぎれた。転がってそれを避けたトヨヒサの背後で、壁が焼け落ちる。そして二人は平行して走り、戦いの舞台を玄関から廊下に移した。
なし崩しとはいえ、楽しいことになってきた。
それにようやくあの男――シマヅ・トヨヒサと戦える。
ユルヨは腰に佩いた青竜刀の柄に手をおき、
「戦いはアキに任せるのだ。ユルヨ、お前は実験体を探せ」
ゲンジロウに制されてしまった。
柄に手をおきながら、ユルヨは目を細め、しばらくの間、二人が走り去った廊下を見つめる。ここからでは音しか聞こえないが、きっと二人は闘争を享受しているのだろう。
(いい死に場所を見つけたと思ったが……まあいい)
今はゲンジロウに従うことにした。もし自分の知っているシマヅ・トヨヒサなら、アキごときに負けはしない。連邦戦争で『捨てがまり』をしながら生き残ったあの男なら。
そしてアキを殺したあとは、いよいよ自分と戦うというわけだ。
死に場所が、確実に、足音を立てて、近づいてきている。
静かなる興奮を胸に、ユルヨは頭を軽く下げた。
「では、自分は二階と三階を探してまいります。ゲンジロウ殿は一階をお願いします」
「うむ。任せたぞ」
ゲンジロウを後にして、ユルヨは正面奥の階段に向かう。そこら一帯は炎が燃え広がっていたが、周囲に念力の壁を張り巡らせることで、炎の侵攻を防ぐことができた。
水泡に守られているようだった。その状態で、ユルヨは悠々と燃える階段を上った。