81話 【ゼニス歴1079年 グレアム視点】
タルワ村の戦闘は、三日続いた。
千五百の兵で進んだはずの部隊は、最初の半日で陣形を崩された。
またも、銃の一斉射撃だった。
今度は儂も、本陣を前へ進めていた。距離をとった丘の上から、戦況を見ていた。
タルワ村は、ツテ村よりも地形が複雑だった。
小さな川が村の周囲を蛇行している。
森が川に沿って広がっている。
その地形を、敵は有利に戦っていた。
川を渡る連合軍の部隊に、森の中から射撃が降った。
渡河中の兵は、身を隠す場所がない。
「退け、退けと言っているのに——なぜ進む」
儂は、遠眼鏡を覗きながら、思わず声を出した。
連合軍の部隊は、退却の号令が出ているにもかかわらず、一部が前進を続けていた。
「グレアム様」
ガブが横で言った。
「敵が、退却を装っています」
「……また、釣り野伏せか」
「はい。森の奥に伏兵がいるはずです。ですが——」
ガブの声が、低くなった。
「我が方の兵も、もう何度か同じ手にかかっています。誰も、追わなくなっています」
「ならば、なぜ進むのだ」
「進んでいるのは——敵の方です」
儂は遠眼鏡を覗き直した。
川の向こう。
退却していたはずの敵兵が、突然向きを変え、川を渡っている連合軍の部隊へ突撃していた。
数は少ない。
だが、戦意がまるで違う。
「あれは——」
儂は目を細めた。
突撃する敵兵の顔が、遠目にも分かった。
飢えた顔ではなかった。
ガブも、同じものを見ていた。
「……腹が満たされている感じ、ですね」
儂は何も言えなかった。
補給線を断って、十日以上が経っている。
本来なら、限界を超えているはずだ。
だが、目の前の敵兵には力があった。
夕刻、戦況報告が届いた。
「グレアム様」
伝令の兵士が、本陣に駆け込んできた。
「南方輸送隊が——襲撃されていました」
「南方輸送隊?」
儂は地図を見た。
南方輸送隊は、後方からタルワ村方面への兵糧を運ぶ部隊だ。
前線から離れている。安全なはずだった。
「規模は」
「荷車二十台。護衛百名。すべて——奪われました」
本陣が静まった。
二十台の荷車。
それは、前線の部隊一万人が、五日間食べられる量だった。
「護衛は」
「半数が戦死。残りは退却しました」
なぜそんな重要なことが伝わっていない。
「なぜその報告が上がってこなかった!」
怒りにまかせ、伝令を怒鳴りつけていた!
「申し訳ありません! どうやら情報が攪乱されていたようです」
儂は、地図の南方輸送路を見た。
補給線を断つことに集中していた。
だが——その間に、こちらの補給線が、断たれていた。
断たれただけではなく、相手に奪われていた。
言語道断である。
いつから、こちら側の動きが、向こうに読まれていたのか。
「ガブ」
「はい」
「南方輸送路の経路は、いつ決まった」
「四日前です」
「誰が知っていた」
「本陣の主要な者だけです。グレアム様、ラドゥル様、それと——」
ガブは、少し言葉を止めた。
「内通者がいる、という意味ですか」
「いや」
儂は首を振った。
「内通者ではない。読まれた、ということだ」
「読まれた、というのは——」
「分からん」
儂は、地図を見つめた。
四日前に決めた経路。
その経路を、敵は事前に予測していた。
あるいは、決めた直後に把握していた。
この平坦補給方法の基礎を作った人間に心当たりがある。
どちらにせよ——これで軍師とやらの正体はほぼ確定した。
夜、再び本陣に報告が入った。
タルワ村の戦闘で、奪われた荷車の食糧が、敵陣に運び込まれたという情報だった。
その夜のうちに、敵兵の数が増えたという報告も入った。
数が増えたわけではない。
動ける兵の数が、増えたのだ。
これまで動けなかった、飢えで倒れていた兵が、再び戦列に戻っていた。
「グレアム」
ラドゥルが本陣に入ってきた。
「こちらの状況を教えてくれ」
「想定が、崩れている」
儂は、初めてその言葉を口にした。
「補給を断てば、向こうは折れる。そう思っていた。
だが——折れる前に、向こうが、儂達の補給を断ってきた」
「……これは」
ラドゥルは、地図を見た。
「窮鼠、か」
「ああ。窮鼠は猫を噛む」
儂は地図のタルワ村を見た。
黒地に、白い円の中に縦棒が1本
その旗の下で、誰かが、こちらの動きを読み、こちらの補給を奪い、敵の士気を回復させている。
「ラドゥル。これは、もう——限定戦ではない」
「そうか」
「カインを呼ぶ」
儂は、はっきりと言った。
「五年前のような、静かな終わり方は、もう望めない」
本陣の外で、風が強くなっていた。
平原の向こう、タルワ村の方角に、無数の火が灯っているのが見えた。
敵陣の篝火だった。
その数は——前夜よりも、明らかに増えていた。
翌日、南方輸送隊を襲撃した部隊の足跡を追っていた斥候隊から、さらなる報告が入った。
「グレアム様、ご報告です」
「聞こう」
「襲撃部隊の退路を追跡しました。荷車の轍が、タルワ村の方向ではなく、いったん南へ向かい、その後、迂回してタルワ村方面へ合流していました」
「迂回した、理由は」
「分かりません。ただ——迂回した先に、小さな集落がありました。シバ村、という名のようです」
儂は地図を見た。
シバ村は、これまで儂達が把握していた村の地図には、なかった場所だった。
「地図にない村か」
「はい。住民の話では、新生アステリズム神聖国になってから、新しく作られた集落だそうです。
製粉と保管を専門にした、補給用の村だと」
儂は、地図に新しい印を書き加えた。
シバ村。
補給用の村。
奪われた荷車の食糧は、一度この村に運ばれ、そこから前線へ再配分されていた、ということだ。
「敵は、こちらの輸送路を読んでいただけではない」
儂は、地図を見ながら言った。
「奪った物資を、無駄なく使うための仕組みも、既に持っていた、ということだ」
「準備されていた、ということですか」
「ああ」
儂は、シバ村の印を、しばらく見ていた。
「敵は、補給が断たれることを、最初から想定していた。
だからこそ——奪われた時に、すぐに活かせる仕組みを、用意していた」
「相手にとっては、こちらの輸送隊を奪うことも、計画の一部だった、ということですか」
「全部とは言わん。ただ——『もしそうなったら』という想定を、いくつも用意していたはずだ」
ラドゥルは、しばらく黙っていた。
「これまでの戦の中で、こういう相手と当たったことは——なかったように思う」
「儂もだ」
儂は、地図から目を離した。
窓の外、夜空に、星が出ていた。
その星空の下に、シバ村があり、タルワ村があり、ツテ村がある。
すべての村が、五年の間に——五年前には存在しなかった仕組みを、内側に抱えていた。
それを作ったのは、フィデルと、
頭の中に、もう一人の名前が浮かんだ。
だが、すぐにその名前を、頭の外へ押し出した。
今は、考えるべきことではない。
考えても、戦況は変わらない。
ただ——その名前が浮かんだことを、儂は、自分でも認めないわけにはいかなかった。
夜遅く、本陣の外で、ガブが一人、火を見ていた。
儂が近づくと、ガブは振り返った。
「グレアム様」
「眠っていないのか」
「眠れません」
ガブは、火を見たまま言った。
「五年前、俺はまだ、こんな大きな戦は知りませんでした。
エルバートの時も、怖かったですけど——今回は、何か、違います」
「どう違う」
「エルバートの時は——終わりが見えていました。
向こうが、追い詰められていく様子が、分かりました」
ガブは、火に小枝を投げ入れた。
火が、少し大きくなった。
「今回の戦は——終わりが見えません」
儂は、ガブの隣に座った。
「儂も、同じだ」
「グレアム様も、ですか」
「ああ」
儂は、火を見た。
「だが——だからこそ、終わらせなければならん」
「どうやって」
「分からん」
儂は、正直に答えた。
「カインが来る。彼の戦い方を見れば、何か見えてくるかもしれん」
ガブは、しばらく火を見ていた。
「グレアム様」
「どうした?」
「もし——この戦が、エルバートの時より大きくなったら」
ガブは、言葉を選びながら言った。
「リオネッサ、いえ、治療院は大丈夫でしょうか」
儂は、その問いに、すぐには答えられなかった。
リオネッサの治療院。
ニールとイルル。
二人が、これまで支えてきた場所。
「……分からん」
儂は、火を見たまま答えた。
「だが、なんとしても守らねばならん」
火が、夜の中で、静かに燃えていた。
その火の向こうに、平原が広がっていた。
平原の先には、タルワ村があり、ジョウ村があり、カルディアがある。
その全てが、これから——燃えるかもしれない。
儂は、その予感を、もう、否定できなかった。
火の向こうから、ガブが、もう一言だけ付け加えた。
「グレアム様。もう一つだけ、聞いていいですか」
「何だ」
「もし——この戦が終わったら。俺達は、また同じことを、するんでしょうか」
儂はすぐには答えなかった。
火が、静かに爆ぜた音を立てた。
「それは分からん。あとは貴様等の努力次第だ」
儂はそれだけ答えた。
「…ズルくないですか、それ?」
ガブは、それ以上、何も聞かなかった。
夜が、深くなっていった。
遠くで、何かの音がした。
風の音か、それとも——別の何かか。
儂とガブは、同時に、その音の方向を見た。
何も見えなかった。
何かが始まる前の、静かさだけが、そこにあった。




