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凍て咲く花  作者: 瑪瑙
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決意は孤独

帰宅すると、まずコートを脱ぎ、それからソファに座った。

スマホに開かれている画面は、静馬とのトーク履歴だ。

今日あった出来事を静馬に報告するべきか、秋桜は帰りながら考えていた。

静馬と玲司の関係は良好ではなく、切迫した状況ということは秋桜も、薄々気づいていた。

私が会話をしてしまったせいで、静馬が不利になるのは嫌だった。

答えを出せないまま、キッチンに立ち包丁を握る。

野菜の切れる音だけが聞こえる。

お風呂に入り、髪を乾かす。

ベッドで横になってみるが、全然眠れない。

午後十一時四十五分。

まだ起きているだろうか。

「今日、水陰さんに会いました。

少し気になることを言っていたのですが、メッセージではうまく伝えられそうにありません。

もし時間があれば後日お会いできませんか?」

さっき書いた文章が、下書きとして保存されていた。

送信ボタンの上で手が止まる。

余計な波は立てたくない。

それでも、静かに送信ボタンを押す。

思っていたよりも早く既読がついた。

長文を打っているのか、返信はなかなか来ない。

既読がついてから、三分が経過しようとしていた時、突然着信音が鳴る。

慌てて起き上がり、画面を見る。

表示されている名前を見てすぐに指が動いた。

通話ボタンを押す。

「…もしもし」

思っていたよりも声は落ち着いていた。

電話越しに低い声が聞こえる。

「今、家か。」

「はい。」

「何を言われた。」

勝手に接触したことを怒っているのか、声からは判断できない。

「最近公園に行ってないんですね、と。」

電話越しに呼吸が変わった気がした。

「他は。」

「私の周りが騒がしい、とも。」

そこで初めて静馬が息を吐いた。

「お前、なんて返した。」

責めるような声ではない。

「寒いですからって。」

静馬は何も言わない。

「人を信じやすそうだ、とも言われました。」

声ではなく、物が動くような音が聞こえてきた。

椅子か、机か、なんなのかは分からない。

「顔に出てたかもな。」

脅しているようにも聞こえるが、声は怒ってはいない。

その一言に少しだけ空気が軽くなった。

「出ていたなら、あいつはもっと踏み込むが。」

「出してないつもりです。」

「つもりか。」

声から呆れているのが分かる。

「会う必要があるな。明日開けておけ。」

「はい。」という返事は思っていたより早く出た。

その後はすぐに、眠りにつくことができた。

翌日、指定されたのは秋桜の行ったことのないお店だった。

さほど遠くはなかったので、歩いて向かうことにする。

秋桜が店の扉を開けた時、既に静馬は席についていた。

「遅くなりました。」

「いや。」

向かいに座ると、注文を済ませ、店員が去るのを待ってから本題に入った。

「昨日の続きだ。」

「公園のことを出されたのか。」

「はい。」

「他に探られるようなことは。」

「直接は。ただ…。」

「人を信じやすそうだと。」

「揺さぶりだな。お前を動揺させたかったんだろう。」

「怖かったか。」

そんな事を聞かれるとは思わなかった。

「少しだけ…」

曖昧な返事だが、嘘ではない。

「もし、また玲司と接触することがあればその場で俺に連絡しろ。

難しいかもしれないが、あいつの狙いはお前じゃない。」

「今回連絡してきたのは、正解だ。」

「なんで、公園のこと知ってたんでしょうか…」

「恐らく、尾行でもしてたんだろう。」

静馬がカップを持ち上げる。

秋桜はまだ口をつけていなかったことに気づき、慌てて一口飲む。

「あいつはお前を試しただけだ。」

「よく一人で耐えたな。」

それは、ほんの僅かな労いだった。

秋桜は揺れている紅茶を眺めながら、「ありがとうございます…」と答える。

「だが油断はするな。」

「俺に関わった以上、巻き込まれる。」

「分かってます。」

少しだけ強気で言ってみたが静馬は何も言わない。

でもその沈黙は昨日の車内と違い、冷たくない。

ただ静かだった。


夜、事務所の会議室にはいつもより多くの人が集まっていた。

静馬がいるからか、無駄口を叩くものは誰一人いない。

静馬は奥の席に座ったまま、冷たい目で部下たちを見回す。

「尾行の件はどうなった。」

若い衆の一人が椅子から立ち、前に出て言う。

「例の公園付近、監視カメラは一通り確認しましたが、特定には至っていません。」

指名されるのがよほど嫌なのか、誰も静馬の方を向かず、俯いている。

「内部の可能性は。」

誰かの椅子が軋んだ。

息を呑む音が聞こえてきそうだ。

幹部の一人が眉を動かす。

「…疑っておられると。」

「別にお前らを疑っているわけじゃない。

ただ可能性を潰しているだけだ。」

静馬は一人一人の表情を観察するが、動揺しているような素振りを見せる者はいない。

報告はこれで終わり、このままそれぞれで解散、ということになった。

会議室には三宅と静馬だけが残っている。

「やはり、水陰でしょうか…」

三宅は尋ねるが、静馬は窓の外を見ていて、答えない。

今日は雪に加え、風が吹き荒れている。

街灯の灯りに照らされる雪は舞い散る紙片のように見える。

「あいつが再編を急いでいる理由が分かるか。」

三宅の口にした疑問には答えず、静馬は逆に質問を返した。

「そりゃあ、この街を支配したいんじゃないですか?」

質問の意味がわからない三宅は当たり障りのないことを言ってみる。

「なぜ支配したい。」

「それは、わかりませんけど…」

「自分の失敗を掻き消すため、とか。」

静馬からふっと笑いが漏れる。

三宅は笑わなくてもいいでしょと言わんばかりの顔だが、三宅の的外れな返答に笑っているわけじゃない。

むしろその逆で、三宅は勘が鋭いなと感心していた。

「お前、案外頭が切れるよな。」

「ほんとっすか。」

三宅は照れくさそうに、頭を掻いている。

静馬は溜め息をつき、椅子に深く腰を沈める。

「玲司は俺の一つ下だが、俺と同い年の時にこの世界に入ったらしい。」

静馬が三宅に個人的な話をすることは珍しく、三宅は興味津々といった様子で耳を傾けている。

「なぜ、こっち側に来たのか理由は知らないが、多分家庭や生育環境の問題だろう。

まあ、言ってしまえば俺と同じようなものだ。」

この時初めて、三宅は静馬の過去に触れた。

何度か気になったことはあったが、静馬は自分についてほとんど語らない人間であることを知っていたため、言葉にしたことはなかった。

「五年前、あいつの恋人が片桐組と他の組の抗争に巻き込まれて死んだ。

一般人だったらしいが、たまたま近くにいたんだろう。

運が悪かった。」

誰かの銃口が目標からずれて、その弾が当たったらしい。

いわゆる流れ弾だ。

しかも即死ではなく、死因は出血死だった。

こんな事を三宅に伝える必要はないか、と今回は割愛した。

「それから、あいつはだいぶ変わった。

最初は恋人を失ったことで、精神的に参っちまったのかと思っていたが、もっと酷かったな。

最終的には組の再編に行き着いたらしい。」

玲司が睡眠薬を服用するようになったのは、この頃からだ。

静馬は知っている。

玲司は無茶をする性格だ。

「あいつは取り返しのつかないところまで行ってしまった。」

窓の外の、吹雪を見ながら呟く。

「だからこそ、やつの動きには気をつけろ。内部にも、表向きでは分からないやつがいるかもしれん。」

三宅の目が一瞬会議室の端にある、椅子の下の影に向く。

誰もいない席に微かに人の気配を感じた気がした。

静馬はそれを気にする素振りもなく、三宅に続けて言う。

「お前はまだ、あいつの全貌を知らない。

だが、これから少しずつ見えてくるだろう。」

会議室の古い暖房が、時折カチッと音を立てる。

三宅の背筋に悪寒が走り、深く椅子に座り直す。


事務所の外では、雪が勢いを増していた。

玲司は自分の部屋で書類を広げ、指先でページをなぞりながら考えていた。

「もう、時間がない…」

目の奥が赤く光っているように見える。

過去の光景が頭にこびりついて、離れないのだ。

五年前――

あの夜、玲司は組同士の抗争により恋人を失った。

その出来事が、玲司の全てを動かしていた。

誰のせいでもない、ただの偶然だったはずの事故が、自分の責任のように思えてならない。

ペンを取り、再編計画の書き込みに没頭する。

床に落ちた新聞が、カサカサと音を立てる。

犠牲を出さずに組をまとめる。

これが玲司の目標であり、生きる力の源だった。

しかし、その胸の奥には消えない孤独と、もう戻らない過去の影が蠢いていた。

時計の針は刻一刻と進んでいる。

その音は、玲司の心を静かに蝕んでいるようだった。


一方、秋桜は窓の外に積もる雪を眺めながら、昨日の出来事を思い出していた。

静馬は秋桜に「あいつは試しただけだ。」と言った。

どうして自分を試す必要があったのか、まだ秋桜には分かっていない。

胸の奥がざわつき、少し怖くなる。

でも、あの時の静馬の声に冷たさはなく、わずかに安心も漂っていた。

「油断はしない。」と自分に言い聞かせるように声に出して、スマホをぎゅっと握りしめる。

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