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凍て咲く花  作者: 瑪瑙
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闇に橙

閑静な住宅街の路地裏に大粒の雪が降っている。

午後11時頃から降り始めた雪は次第に厚さを増していき、深夜を回る頃には地面の色を消した。

足跡は1人分しかない。途中から雪を削るような、片足を引きずる様な跡に変わった。

九条静馬は血の滲んだ服の上から腹部を押さえ、壁に寄りかかったまま苦しそうに呼吸をしている。

真っ白な雪の上に落ちた血がやけに赤く写った。

雪って白くてふわふわしてて綿あめみたいだ。

食べたら美味しいのかな、なんて呑気なことを考えながら帰路についていた。

冬城秋桜は仕事帰りのため、黒のスーツを身に纏っていたが、雪を見ていると自分もこの白さに溶け込むような気がした。

街灯が少ない住宅街に積もった雪は、踏むたびにサクサクと心地のよい音が鳴ったため、一歩、また一歩と軽快に進んでいく。

誰もが寝静まる冬の夜はやけに静かで、耳鳴りのようなキーンという空耳が聞こえる。

やっと帰れる、というタイミングで上司から電話が鳴った。

仕事を押し付けられるのは日常茶飯事で、結局帰り道は、いつも遅くなる。

人通りの少ない住宅街を歩くのは、思ったより心細い。

変な人に出くわしませんように、と神様に小さくお祈りをしながら歩いていると、視界の隅に赤黒い点がちらりと映った。

辺りが静かすぎるせいか、自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえる。

白い雪の中に異質な色が滲んでいる。

頭では冷静に考えようとするが、嫌な想像が頭から離れない。

血…?

もう一度、今度はもっと近づいて見てみるが血以外に連想できるものがなかった。

鼻血にしては多すぎるし、誰かが怪我をしているとしか考えられない。

警察に連絡しないと…

分かっているのに体が言うことを聞かない。

もしかして、殺人事件…?

いや、そんなわけ…

血は建物の間にある細い道へと延びているが街灯の光が届いていないため、かすかにしか見えない。

このまま放っておくわけにはいかないよね…

秋桜の目には薄っすらと涙が浮かんでいるが、これは寒さのせいだと自分に言い聞かせる。


朦朧とする意識の中人の気配がした。

最悪だ…舌打ちをした。

死ぬなら人目のつかないところで、と思い路地裏に来たというのに。

すでに体の感覚は無くなり、視界も白味がかった点滅を繰り返している。

人の気配を感じてからどのくらいの時間が経ったのか、「誰かいますか!」と問いかけなのか、怒号なのか分からないような声で意識が戻る。

また意識が飛んでいたのか…と苦笑してしまう。

関わらないほうがいい、と警告しようとするのだが、思っているように声が出ない。

「来るな…」

秋桜に聞こえているのか分からないほどの、小さな声だったが今の静馬にはこれが精一杯だった。


え、?

今声が聞こえた気が…生きてる…?

怪我をしているのなら、早く手当てをしないといけないと頭では分かっているのに、足が震えて動けない。

そうこうしているうちに、暗闇に目が慣れ始める。

壁に寄りかかるようにして、うずくまっている人が見えた。

髪や服には少量ではあるが、雪が被さっている。

雪が積もるほど長い間、そこにいたということだろうか…。

地面をよく見ると、先程落ちていた血とは比べ物にならないくらい大量に出血しているのがわかる。

「だ、大丈夫ですか?」

どうしよう、なんで反応がないの…

早く血を止めないと…

着ていたジャケットを脱ぎ傷口を塞ごうとするが、一瞬でジャケットが、暖かい液体で浸っていく。

ぎゅっと圧をかけようとするも、どこに手を当てていいのか分からず、生地が重くなるだけで出血は止まらない。

むしろさっきよりも出血量が多くなっている気がする。

「救急車、警察も呼ばないと…」

「はやくいけ…」

意識が戻ったのか、さっき聞こえた声よりも力強く話しかけてくる。

「でも!…血がたくさん出てて…」

もう一度止血を試みるが、手が滑り傷口をうまく押さえられない。

ドクドクと拍動しながら出てくる血には、全く止まる気配がない。

「よせ…」

「もう、手遅れだ…」

「諦めないでください…」

気が動転しているせいで自分が泣いているのか、怒っているのかも分からない。

「みなかったことに…しておけ」

彼の吐く息の間隔はどんどん長くなり、冷や汗をかいている。

「救急車!はやく……」

血のせいでスマホがうまく取り出せず、何度も液晶の画面を叩くが指紋認証はなかなか反応しない。

お願い…開いて…

暗闇の中、秋桜のスマホの明かりだけが光を放っている。

やっとの思いで電源をつけた。

だが、救急車を呼ぶときは110番だったか、119番だったか分からず、誰か出てくれるならどちらでも構わないという投げやりな気持ちで119番に電話をかける。

コールの音が何十分とも感じられるほど長い間続いているように思えた。

「はい、119番消防です。火事ですか?救急ですか?」

番号が合っていたのかも判断できなかったが、司令課員の声で秋桜はさっきよりも少し冷静になれた。

「救急です…!」

「場所はどこですか。」

詳しい地名は分からない。

けど、家からあまり遠くはない場所はず。

「深月区です…!潮見中央公園の路地です!」

深呼吸をして、乱れた呼吸を整える。

「どなたがどうしました。」

「苦しんでる人がいて、知らない人なんですけど、動けないみたいで、血が全然止まらなくて…」

「意識はありますか。呼びかけに応答しますか。」

「さっき、少しだけ……今はほとんど喋りません…」

声に出した瞬間これは現実だと突きつけられている気持ちになる。

自分の心臓の音がうるさいせいで、声が聞き取りづらい。

「呼吸はしていますか?」

司令課員はこちらの事などお構いなしに、先程と変わらないトーンで質問を投げかけてくる。

「はい、!してます。…多分大丈夫です!」

「あなたの名前と今おかけの電話番号を教えてください。」

言われるがままに質問に答えると、司令課員は「分かりました。直ちに向かいます。」と事務的に答えた。

電話が途切れると、辺りの音が一気に遠のく感覚に襲われた。

さっきまで話していた誰かの声が消えたことで、秋桜は暗い空間に一人、取り残されたような気になる。

だが、そんな気持ちになったのもほんの一瞬で、突然背後から現れた強い光が路地裏にいるふたりを照らす。

それに続き、低いエンジンの音が聞こえたと思ったらすぐに消え、数秒遅れてからドアの閉まる音が聞こえてきた。

秋桜は急に現れた車への困惑と車のヘッドライトに目が眩んでいて、目が開けられない。

車から降りてきたのは複数の男達で顔は真剣そのものだが、焦燥は一切ない。

無駄がない動きのためか、初対面にも関わらず秋桜は少し安心した。

男達は倒れている人に近づくと「若…」「誰が…」と押し殺したような声が交わされている。

一人の男が秋桜の方を見ている。

秋桜は自分が疑われているかもしれないと思い、声を張りあげながら、「救急車は呼びました。」と告げるが、動揺からか声が裏返った。

何人かがこちらを振り返える。

秋桜はさらに焦ったが、秋桜の考えていたような展開にはならず、「あんたが呼んだのか。助かった。」とあっさり感謝されたため、秋桜はほっとした。

ついさっきまで心細さを感じていた秋桜だったが、自分以外にも処置をしてくれる人が増えたことで、まだ体の震えは残るものの少しずつ呼吸が整ってきた。

この人たちがいれば助かるかもしれないと考えた。

その時、遠くからではあるが、サイレンの音が聞こえてきた。

少しずつサイレンが近づいている中、雪は止むことを知らないかのように降り続けている。

スマホを持つ手が冷たい。

秋桜の吐いた息が宙に飲み込まれるようにして溶けていく。

救急車の音は一本線を描くようにして、次第にこの路地に近づいてくる。

サイレンの音が耳を打つほど近い。赤い光が建物の壁に反射し、秋桜は無意識に目を逸らした。

「こっちです」誰かが叫び、ストレッチャーが雪を掻き分けるようにして運ばれてくる。

「出血レベルは?」

「30%から40%程と考えられます」

「銃創確認」

専門用語が手袋越しに飛び交う。

金属の音、身体が持ち上げられる。

秋桜はただ呆然と救急隊員の動きを眺めていた。

「ご家族ですか?」急に声を掛けられ秋桜の方がびくりと揺れる。

「違います…」あまりに掠れた声だったので、自分の声だと理解するのに時間がかかった。

救急隊員が小さく頷き、「でしたらこちらで対応します。後のことは警察から連絡がいくかもしれません。」と急いで言い残して行った。

扉が閉まる。

サイレンが再び響き救急車はゆっくりと動き出す。

赤い光と、ピーポーという音は徐々に聞こえなくなり、やがて闇の中に消えていった。

残っているのは足跡と雪、そして血の色だけだ。

秋桜はその場に立ち尽くす。

助かったのかも分からないまま。

名前も知らないまま。

執筆開始2026年2月13日

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