第二話 色餓鬼と納豆食べジジィ
突然の怒号を前に思わずビクッ、と盛大に震えるアタシと沙雪。
声のした方を見ると、そこいたのはドリルを持ったよぼよぼのおじいさんだった。
老人は怒鳴り声を出した印象とは裏腹に、真っ赤な顔をしながらアタシら二人に近づいてくる。
突然のことに身動きが取れなくなっているアタシと沙雪に、おじいさんが捲し立てるように納豆臭い口を開きながら語り始める。
「いいか、恵方巻っていうのはな!神聖な方角を向いて黙って食べるもんだ!……それを何だお前達は。方角も無視して女の子同士でイチャつく口実にするたぁ……どうなっても知らんぞ!?」
……なんか、食べ物を粗末にするなー的な説教でも始めるつもり?
でもアタシら、本当にキスしそうになるくらいにちゃんと恵方巻は食べたんだから、そこまで言われる筋合いはないはず。
そんな風に安堵させようと傍らの沙雪の手をぎゅっと握りながら、無言でおじいさんの顔を軽く睨みつけるアタシ。
対するおじいさんは、額に青筋を立てながら話を続ける。
「いいか、よく聞けッ!!そんな不謹慎なことをしとると、”色餓鬼”に魅入られちまうんじゃぞ!?……それでもいいのか!!」
「……ハァ?色餓鬼って何よ?」
「色餓鬼……それは、近所の人妻との不倫に狂い女への妄執だけで化物へと変貌した哀れな小僧の成れの果てだ。その名の通り色欲に狂ったその化物は、恵方巻を正しい方角に向かずに自分達がイチャつくための言い訳程度に両端から食べ合いっこしているうら若き少女達のもとに現れるのだと言われている……。お前ら、本当に狙われたいのか!?」
「えぇ……条件があまりにも限定的すぎるうえに、人妻に手を出したくせにアタシら世代を狙ってんの?流石にそんなの、絶対におじいちゃんがこの場で急いで思いついた適当なホラ確定じゃん……」
「普通に何もかもドン引き……」
気力を取り戻したのか、沙雪もアタシを庇うかのように身を乗り出しながらおじいさんへと追撃する。
そんなアタシらを前に、おじいさんが目を見開きながら叫ぶ。
「うるさいッ!!つべこべ言わずにアンタらは早よ逃げ――は、はぅあッ!?」
突如、おじいさんがアタシらの背後を見て固まる。
これまでとは一転、顔面蒼白となっておりとても演技とは思えなかった。
まさか、恐る恐るアタシと沙雪が振り返ると、そこにいたのは――。
「――ゲギャギャッ♡」
瞳を爛爛と輝かせた子供くらいの背丈の”鬼”としか言いようがない化物がアタシ達の方を見ながら満面の笑みを浮かべていた。
どれだけの執着心を溜め込んで来たんだろう。
人生で霊感なんてものが欠片もないはずのアタシでもわかるくらいに、全身からドロリ、と澱んだ瘴気を放ったコイツが――認めたくないことに、おじいさんが言っていた”色餓鬼”なのだと本能で分かる。
分かってしまった。
コイツのヤバさを分かったのは、アタシだけでなく沙雪も同じ――いや、もっと深刻だった。
普段のクール寄りな態度が嘘のように、ガクガクと震えながら涙目でアタシの顔を見つめる。
「あかり……」
「……~~~ッ!!」
沙雪がここまでの状態になるなんて、よっぽどのことだ。
けれど、爪をギチ……、ギチギチッ……と鳴らしながら近づいてくる色餓鬼を前に、身がすくんで二人とも動けなくなっていた――まさにそのときだった。
「――ここは儂に、まかせんしゃいッ!!」
そう叫んだかと思うと、おじいさんが勢いよくギュルルン……ッ!!と起動させたドリルを天高く掲げる――!!
「――おじいさんッ!?」
アタシの呼びかけになど目もくれず、おじいさんは自身の足元を睨みつける。
そこにあったのは、お爺さんが既に用意していたと思われる納豆パックが開封した状態で地面に置かれていた。
既に添付の辛子とカツオだしは入れてあるらしくほのかな風味を漂わせているが、それすらもかき消す勢いでおじいさんが回転しているドリルの先端を納豆パックの中へと突き刺す――!!
「……衰えた握力を補って余りある圧倒的なパワーッ!!これで、誰にも儂を『おじいちゃん、納豆上手く混ぜれないんだねー』だの『お義父さん、無理せずに私が混ぜておきますから……』などと馬鹿に出来ないことを証明してみせるッ!!――皆の者、とくと見よ!儂こそが、”納豆食べジジィ”であるッッ!!!!」
刹那、裂帛の気合とともに放たれたおじいさんのドリルが、パックごと盛大に納豆を跡形もなくかき混ぜていく――!!
「ゲギャ、ギャ…………」
突如始まった自身とは全く関係ない場所で始まった凶行を前に、色餓鬼ですらどうしたらいいのか分からずに困惑しているようだ。
……アイツの注意が逸れている今しかない。
そう判断したアタシは、沙雪の手を取って走り出す――!!
「行くよ、沙雪!!」
「……ッ!ありがと……!!」
そのまま駆けながら後方に振り返ると、ようやくこちらに気づいて慌てて向かってくる色餓鬼とパックと納豆の残骸をバラまきながらドリルを振り回して「臭ぇッ!?」とわめいている納豆食べジジィさんの姿があった。
……おじいさんが無事なことに安堵したものの、あのままだと警察に職質されるんじゃないかという懸念はある。
とはいえ、今は人のことを心配している余裕なんて流石にない。
逃げきれそうなことを確信したアタシは、そのままの勢いで自分の家へと疾走していく――!!




