選択の星 ①
星に入った瞬間───何も起こらなかった。
音も景色も、重力も、これまでの星と変わらない。
四木も、大音量のレゲエを流しながら、何も言わずにハンドルを握っていた。
この星に入ってから、四木は一度もバックミラーも、サイドミラーも見なかった。
ただ、デバイスに表示された星の名前だけが異質だった。
───選択の星。
「ここ、あんま長くいたくないんすよね、明日、朝イチで出てもいいすか」
そう言ってから、理由は説明しなかった。
代わりに、いつもよりゆっくりと減速し、レゲエの音を下げた。
星の名前を確認するまでもなかった。
ここが、選択の星だということは、わかっていたからだ。
回復の星を出てから、私は一度も「どうしたいか」を考えなかった。
考えなくて済むように、進路を固定してきたのだ。
行き先は決まっていたし、選択という言葉はもう終わったものだと思っていた。
それでもこのジープが減速した瞬間、私は、初めて、逃げ場のない問いの前に立たされた。
この星は珍しく、未だに地を走る車が多いままで、道路はキチンと整理され、信号もついていた。
だが、信号はほとんど意味を成していなかった。
私が青信号を見て渡ろうとすると、赤信号であるはずの車線から車がクラクションを鳴らしながら威嚇し、走り去って行った。
赤信号でも、『進め』を"選択"したのだろう。
歩行者は私の他にいなかった。
ホテルでは、和室、洋室を選ぶことができた。
畳の感覚を久しく味わっていなかったので、和室を選んだ。
裸足で歩く畳の感覚はとても安心するもので、部屋の中をぐるぐると周り、足の裏で畳を味わった。
晩飯を食べに外を歩いた。
小さな店がいい、これは旅の醍醐味だ。
そこでは、カレーライスかラーメンしかなかった。
麺類なんて久しく食べてないな。
迷いはなかった。
───四木からメッセージがきた。
『明日、9時にお迎えにあがります』
いつもより一時間早い。そんなに嫌なのか、この星が。
何ラーメンがあるのかな、と思いデバイスを操作すると、ラーメンは醤油ラーメンだけだった。
まあ、麺類ならなんでもいいか、と思いオーダーした。
「カウンターがよろしいですか、テーブルがよろしいですか」
と、端末は初めて声を出した。
一人だし、カウンターでいいだろう。
「カウンターで」
「3番カウンターへお座りください」
その間、1秒。
店内を眺めると、聞いたことがあるような著名人のサインが多くあった。
そんな風に30秒程過ごすと、もう目の前に醤油ラーメンは提供されていた。
味は───こんなもんだろう。
特筆すべきことはなく、私の晩飯はただ腹を膨らませるだけの作業へと変わった。
夜はまだ始まったばかりだったので、少しだけ酒を引っ掛けようと店を出て道を歩いた。
繁華街まで着くと、酒屋は各種類の専門店に分かれていた。
ビール、ワイン、ウィスキー、等々。
ラーメンでやや腹が膨れていたので、ウィスキーを軽く飲んで、早めに寝るとしよう。
そこではウィスキーはスコッチのロックかストレートの二択だった。
外は少し汗ばむ程の暑さだったので、ロックをオーダーした。
提供までに時間がかかった。
少し口に含み、風味を味わい、ウィスキーの奥深さを改めて感じるものだった。
何層にも味が重なっており、良いものを選んだな、と少しニヤけた。
「お兄さん、選んできたね」
2つ隣に座った、少し年老いたように見える女性が声をかけてきた。
「ほとんど二択だったので。特に選んだ、という感覚はありませんでした」
「それでも、その二択のうち一つを選んだ。それがどれも正しくて、今ここにいて、私と話をしている。正しい道を歩んで来たんだよ」
まるで私の今日の一日が観察されているかのようで、少し驚いた。
「私たちみたいに、身体を弄らない選択をしてきた人間には心地いいんだよ」
グラスを傾け、カウンターに置くと、カウンターに設置された蛇口からウィスキーをストレートでグラスになみなみ注いだ。
「長生きの押し売りなんて、私たちには必要ない。こうして酒を飲むことだけで充分満たされているんだよ。こうして私と話していることは、私も正しいし、お兄さんにとっても正しい選択だった、この星もすぐ気にいると思うよ。明日は昼間の街をぶらりとしてみな」
なみなみと注がれたウィスキーを一気に空にして、また注いだ。
「私にもこの星に住む選択をするチャンスがあった、それも正しかった。愛する夫と出会えたし、その死も看取ることもできた。結果、正しかったんだわ」
「ご婦人、飲みすぎですよ、お水をもらいましょう」
「お兄さんは私の心配する前に、自分の心配をした方がいいよ。ここに残るか、先に行くか、それくらいの選択をしなくちゃ。でも、ここで私と飲み続けることは際限なく正しいよ」
酩酊している様子だ、これ以上の相手は私には荷が重すぎる。
「ご婦人、私はここで失礼します。あまり飲みすぎると身体に毒ですよ」
「いいのよ、私はとっくに肝臓は機械のように強くて曲げないんだから」
とケタケタ笑い、私を横目に見て言い放った。
「選ばなかった人、たくさん見てきたよ。だからさ……ここで帰るのは、あんまり良くないと思うんだよね」
アーッハッハと高らかに笑い、グラスを傾けた。
これ以上相手をしていられない。
私は会計を済まし、逃げるように店を出た。
彼女の言葉に頷いてしまいそうになった自分が、何よりも怖かった。




