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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第二部

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第三十四章:揺れる想いと決意の先に

挿絵(By みてみん)

夜明け前の空はまだ群青の影を引きずっていた。

灰になりかけた焚き火の中で、赤い炭が微かに息をしている。

煙が冷たい空気に薄く滲み、しんとした張りつめた匂いを残す。

 

商人たちが荷をまとめ、ゆっくりと起き出していた。

吐く息が白く揺れる。

馬たちが鼻を鳴らし、曇った土を踏みしめる音が小さく響いた。

 

ファナは焚き火の傍で、包帯を巻いた手を見つめていた。

赤茶けた染みがまだ生々しく固まっている。

昨夜の痛みが指先に戻るようで、微かに震えた。

(怖かったけど、逃げたくなかった。)

(……でも、“好き”って何だろう。)

息を吐き、湿った風に白い吐息を溶かした。

その視線は、焚き火の奥で揺れる小さな命のような赤に吸い込まれていった。

 

街道を進む隊列は、夜の湿気をまだ纏った道をゆっくりと進んだ。

馬の蹄がぬかるみを踏む鈍い音が、商人たちの安堵した吐息に混じる。

森の葉が冷たく光り、風でざわめいた。

 

リクトは前を歩きながら、何度も振り返ってはファナの姿を目で追った。

やがて小さく息を吐き、肩を落とす。

歩みを少し遅らせ、ファナに並ぶ。

 

「……昨日は、すまなかった。」

声が低く、硬い。

ファナは驚いたように目を見開き、けれどすぐに微笑んだ。

「ありがとう。リクトも頑張ってた。」

互いに目を逸らし、耳が赤くなったのを見ないふりをした。

 

少し後ろを歩いていたセナが、肩をすくめて微笑む。

「落ち着いたね、二人とも。」

 

ファナが苦笑いを浮かべた瞬間、横からメルの声が飛んだ。

「お、可愛い子猫ちゃんも随分素直になったじゃないか。」

 

ファナは眉をひそめて睨みかけたが、頬が赤くなったままだった。

「……ありがとう。」

メルはわざとらしく両手を広げ、軽口のまま目を逸らした。

「どういたしまして、お姫様。」

その軽さに、セナはため息をつき、リクトはあからさまに不機嫌そうにそっぽを向いた。

 

列の後ろで少し遅れて歩くファナの横に、レーネが静かに歩みを合わせた。

長い銀白の髪が風に揺れ、控えめな刺繍が光を拾った。

 

「昨日、助けてくれてありがとう。」

ファナの声は小さかった。

レーネは横目で見て、柔らかく笑った。

「無事で何より。怖かったでしょう?」

 

ファナは俯き、包帯の上からそっと指を置いた。

「……“好き”って、やっぱり難しいですね。」

レーネは少しだけ歩を緩め、ゆっくりと息を吐く。

「風のようなものよ。」

「捕まえようとすれば消える。でも、感じることはできるわ。」

ファナは目を瞬き、小さな笑みを零した。

 

「感じてみます。」

レーネは頷き、前を向いた。

「それでいいのよ、ファナ。」

 

森が深くなる場所を通るとき、不意に風が止まった。

冷たい気配が背筋を撫でる。

 

バルクが影のように先行し、すぐに手を上げて合図を送る。

葉が擦れる音、低い唸り声。

 

「来る。」

ラゼルの声は短く鋭かった。

 

魔物が森から飛び出した。

四足の獣型、泥と血の匂い。

赤い瞳が闇に光る。

 

商人たちが悲鳴を上げ、馬がいななく。

「防御陣形!」

ラゼルが指示を飛ばす。

 

バルクが側面に走り、短剣を閃かせて切りつけた。

メルの声が低く詠唱を刻み、光の帯が魔物を貫く。

セナは腕を伸ばし、魔法の矢が精密に敵を撃ち抜いた。

リクトは剣を構え、獣を正面から受け止めた。

 

「ファナ、下がれ!」

だがファナは短剣を握り、震えながらも前を睨む。

「いや、下がらない!」

 

息が詰まりそうだった。

心臓が跳ねる。

(怖い。でも、逃げたくない。)

 

魔物が突進してくる。

 

ファナは刃を突き出す。

切っ先が浅く刺さり、魔物が怒り狂ったように爪を振り下ろす。

ファナの体が弾かれ、転がる。

 

「ファナ!!」

リクトの叫び。

 

土の感触、血の匂い。

視界が回転し、魔物の牙が迫った。

 

その瞬間、光の帯が横切り、セナの魔法が炸裂した。

 

メルの詠唱が重なる。

獣が悲鳴を上げ、血を撒き散らして崩れた。

 

ファナは息を切らし、腕の包帯が再び赤く染まっているのを見た。

 

リクトが駆け寄り、肩を掴んだ。

「……血、出てるじゃねえか。大丈夫かよ!」

ファナは苦笑いしながら、肩で息をした。

 

「平気……ちょっとだけだから。」

リクトは奥歯を噛みしめ、目を逸らした。

「ったく……無茶すんなよ。」

セナが魔法で辺りを確認しながら近づいた。

「まだ残党はいない。大丈夫そうだ。」

ラゼルが短く指示を飛ばし、全員を整列させた。

「油断するな。周囲を確認、商人たちの無事を確かめろ。」

魔物の死骸から血の匂いが立ち上り、森の風がそれを運んでいった。

 

午後には街道が開け、遠くに城壁が見え始めた。

石造りの門が太陽を受けて白く輝く。

 

護衛隊列はゆっくりと進み、疲れた商人たちが安堵の声を上げた。

「ここまで無事に来れたのは、みなさんのおかげです!」

商人の代表が深々と頭を下げる。

 

リクトは少し居心地悪そうに肩をすくめた。

「……今回は、ちゃんとできたな。」

ファナは血の滲んだ包帯を見て、でも小さく笑った。

「うん。」

 

セナが横から茶化すように笑う。

「そういう素直な顔は、もっと見せなよ。」

ファナは

「もう、やめてよ」

と言いながらも、頬が赤くなるのを隠せなかった。

 

メルが後ろから歩み寄り、軽く手をひらひらさせた。

「まったく、良い子たちだな。」

その目は一瞬、鋭くファナを射抜くように見た。

 

隊列が街門をくぐり、ギルドの前に到着する頃には夕暮れが近づいていた。

橙色の光が石畳を照らし、長い影を作る。

 

暁鋼の牙のメンバーは荷を降ろし、互いに短く頷き合う。

ラゼルはファナたちに無駄な言葉を残さず、鋭い灰色の瞳で見据えてから去った。

バルクはファナを一瞬見て、すぐに視線を逸らし、肩を落として歩き出す。

 

メルだけが足を止めた。

マントを翻し、振り返った。

一瞬、いつもの軽い笑みを消し、青い瞳が真剣な光を宿す。

「また会おう、ファナ。」

「今度は、君の“好き”がどんな色か、ちゃんと教えてくれよ?」

 

ファナはきょとんと目を丸くした。

頬が一気に赤くなる。

目を見られなくて視線を落とし、声を絞り出した。

「……う、うん……。」

 

メルはその反応を見て、ふっと微笑む。

「いい返事だ。」

軽く手を振り、背を向けた。

 

暁鋼の牙の仲間と合流し、街の雑踏に消えていった。

ファナは真っ赤な頬のまま、しばらくその背中を目で追った。

胸の奥が熱くて、鼓動の音がうるさかった。

 

「……色、か。」

 

小さく呟いた声は、自分でも聞こえたかどうか分からなかった。

 

リクトはその横顔を睨むように見た。

歯を食いしばって、低く吐き捨てた。

「……見送ってんじゃねえよ。」

セナは目を伏せて、小さくため息をついた。

「……手強いな、あいつ。」

 

ギルド前を離れ、街道へ向かう石畳を三人で歩く。

沈みかけた太陽が長く影を伸ばし、風が冷たく火照った頬を撫でた。

誰も何も言わない。

けれど、同じ方向へ、同じ速度で歩いていた。

 

(“好き”がどんな色か、なんて分からない。)

(でも、心臓が痛いみたいにドキドキして、息が詰まるくらい恥ずかしくて。)

(怖いけど、嫌じゃなかった。)

(ちゃんと知りたい。)

(ちゃんと答えたい。)

(逃げたくない。)

 

(クソ……。)

(俺が何度も言えなかったことを、あいつはさらっと言いやがる。)

(……でも負けたくねえ。)

(次は、俺が真正面から言ってやる。)

 

(“好きの色”か。上手いこと言うな。)

(でもムカつく。)

(俺だって、ファナに一番近い色を見せたい。)

(もう譲らない。)

 

三人の足音が石畳に響く。

夜明けの風が冷たく、でもその中に確かに、火照った頬と小さな火が灯っていた。

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