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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第二部

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第三十三章:火の粉と囁き

挿絵(By みてみん)

夜の街道沿い。

木々が低く茂り、草の湿った匂いが夜気に混じっていた。

 

護衛隊の野営地は、わずかな空き地を切り開くように設営され、数台の荷馬車を中央に円形に並べていた。

焚き火の赤い光が揺れて、商人たちは怯えた顔で寄り添い合い、小声で囁きを交わしていた。

 

「本当に大丈夫なのか」

「魔物が出るって話だぞ」

焚き火の煙が細く立ち上り、空は雲が薄く流れる星空だった。

ラゼルは火の光を受けた鋭い目で周囲を見渡し、短い言葉で指示を出す。

「荷馬車はまとめろ。火を絶やすな。監視交代は二人組で三巡。」

バルクは火から離れ、影に溶けるようにして周囲を偵察へ向かった。

足音ひとつ立てず、草の上を滑るようだった。

 

メルは珍しく口を閉じ、魔道書を開いたまま焚き火を見つめていた。

光がその横顔を照らすと、青い瞳に一瞬真剣な色が宿る。

 

セナは杖を両手で抱え、目を閉じて周囲の魔力の流れを探っていた。

眉をわずかにひそめ、唇が何かを呟いた。

 

リクトは腰の剣を抜き、刃を月明かりに翳して確かめた。

その黒髪が乱れて、汗がこめかみを滑り落ちた。

 

「……来るかもしれねぇな。」

 

ファナは短剣を握る手に汗をにじませ、呼吸を整えようとしていた。

(……怖い。でも逃げたくない。)

猫耳がピクリと動き、尻尾が小さく震えた。

焚き火の赤がみんなの顔を浮かび上がらせた。

燃える音が、夜気にパチパチと響く。

 

その静寂を、葉の擦れる音が破った。

不自然に大きい。

 

低い、湿った唸り声。

 

「来るぞ!」

ラゼルが叫ぶ。

 

闇の中から、黒い影がいくつも飛び出した。

犬に似た体躯だが異様に大きく、頭部には骨のような外殻。

赤く濁った目が火を映していた。

「陣形を崩すな!」

ラゼルの声に即座に応える冒険者たち。

バルクが弓を引き絞り、矢が音もなく放たれた。

 

魔物の目を貫く。

メルが詠唱を開始。

「灼けろ――《フレイム・ランサー》!」

火の槍が走り、魔物の体を突き抜ける。

 

セナが冷静に杖を振りかざす。

「《ウィンド・バインド》。」

風が渦巻き、一体を地面に叩きつけた。

 

リクトが前衛で剣を振るい、吼えるように叫んだ。

「来いよ、てめえらッ!」

剣が鈍い光を返し、魔物の頭を断つ。

 

そして、ファナ。

短剣を構え、目の前の魔物を睨む。

呼吸が荒い。

でも足は動いた。

「来ないで……!」

突進してきた魔物に、横から斬りつける。

だが硬い外殻が弾く。

腕が痺れた。

 

「下がれ!」

リクトが怒鳴る。

 

「いや、下がらない!」

叫ぶファナ。

魔物の腕が彼女を薙ぎ払うように弾き、ファナの体は地面を転がった。

 

土の感触、草の匂い、肘と手のひらに走る激痛。

 

血が滲む。

 

(……怖い。でも、逃げたくない……!)

 

魔物がのしかかるように迫った。

牙が光る。

息が詰まる。

喉に鉄の味が上がった。

 

「――下がりなさい。」

 

影が走った。

白銀の髪が月明かりを切り裂くように揺れた。

レーネの短剣が魔物の首を切り裂く。

 

血飛沫が闇に散る。

魔物が悲鳴を上げ、崩れ落ちた。

ファナの瞳が大きく見開かれた。

 

「レーネさん……!」

「大丈夫?」

息を切らさず、落ち着いた声だった。

月光を反射する銀白の髪、瞳は冷たい紫灰。

ファナは腕を抱えて起き上がった。

 

「……痛い、でも、うん。」

レーネはすぐに周囲を見回す。

「囲まれないように散開!」

鋭い声。

 

仲間たちが反応し、隊形を立て直した。

リクトが歯を食いしばりながら剣を振るった。

セナが即座に魔力を制御し、援護射撃を放った。

メルが炎を纏う呪文を完成させ、敵の列を焼き払った。

 

最後の魔物が叫び声をあげて崩れると、静寂が戻った。

草の匂い、血と泥の臭気が立ちこめる。

冒険者たちの息遣いが荒い。

 

商人たちが震え声で礼を述べた。

「た、助かった……ありがとう……」

 

リクトが駆け寄った。

「ファナ!血、出てるじゃねえか。大丈夫かよ!」

彼の声が少しだけ上擦った。

ファナは顔を上げて、弱く笑った。

「平気……ちょっとだけだから。」

でも、手と肘からは血がにじみ、土が貼り付いていた。

 

戦闘後、再び焚き火が灯された。

薪がはぜる音が、誰の声もかき消すように大きく聞こえた。

 

商人たちが安堵の吐息をもらす。

「もう大丈夫だな……」

「やっぱり護衛を頼んで良かった……」

ファナは少し離れた場所で、自分の手を見ていた。

包帯を巻いた部分が血で硬くなっていた。

小さな痛みが脈打つ。

 

夜の虫の声。

炎の赤い光が顔を染めた。

 

レーネがゆっくり近づくと、薬草を小さな石板の上で潰し始めた。

葉の青い汁がにじむ。

「沁みるけど我慢して。」

ファナは顔を歪めた。

「……っ、痛い……。」

 

レーネは淡々と、しかし丁寧に血を拭った。

「痛いのは、生きてる証拠。」

薬を塗り込む指が冷たくて心地よかった。

包帯を巻きながら、視線を合わせた。

 

「……さっき、すごく怖かった。でも、逃げたくなくて。」

レーネの手が止まった。

 

「ちゃんと前を向いてたわね。怖かったでしょう?」

ファナは涙を滲ませて、小さく頷いた。

「……はい。」

包帯を結びながら、レーネは静かに言った。

「“好き”ってなんだと思う?」

ファナは戸惑った目をした。

 

「……わかりません。まだ。でも、最近……分かりたいって思うようになりました。」

レーネの目が優しく細められた。

 

「“好き”は形のないもの。

伝えたら消えるかもしれないし、伝えなければ残らないかもしれない。

でも、大切なのは、それを自分が大事だと思えるかどうか、ね。」

ファナはしばらく黙ってから、

小さな声で

「……うん」

と返した。

 

焚き火がパチパチと音を立てた。

炎の粉がひとつ、またひとつ、夜空に吸い込まれるように消えていった。

 

周囲には、冒険者たちが思い思いに座り込んでいた。

戦いの疲れをそのまま抱え込み、言葉もなく、ただ火を見つめていた。

風が弱く吹いて、誰かの髪を揺らした。

草の匂い、湿った土の冷たさ。

そして焚き火の熱。

 

剣を膝に立て、無言で握る指先が白くなるほど力を込めていた。

火が揺れて、その瞳に小さな赤い光を灯す。

(……また助けてもらった。俺、守るって言ったのに。)

(あの目を見た。怖がりながらも前を向いてた。)

(俺も、あれ以上に強くなりたい。)

息を吐き、口を結んだ。

(逃げない。もう止まらない。)

(次は、俺があいつを守る。)

拳を固く握った。

 

杖を横に置き、静かに腕を組む。

月明かりが淡く肩に落ちた。

冷たい風にローブがはためく。

(リクト、いい顔になったな。)

(でも、それだけじゃ勝てないよ。)

(ファナが揺れてる。心が動いてる。)

微かに笑った。

(僕も譲る気はない。)

(ファナが迷ってるなら、その手を取るのは……僕でもいいんだ。)

(真剣に、正面からぶつかる。それが僕の答えだ。)

視線を焚き火に落とし、目を細めた。

 

少し離れた場所で一人、火を背に立っていた。

マントを翻し、月光を背負っていた。

(君の笑顔を引き出したい。)

(だから芝居も演技もした。)

(でも、もう誤魔化せない。本気で告げた言葉を飲み込めなかった。)

青い瞳を伏せ、唇をかすかに噛んだ。

(君はまだ揺れている。)

(それが……僕の救いだ。)

(まだ、可能性があるから。)

背を向け、森の黒い影を見つめた。

 

焚き火の側に座り、膝を抱えた。

包帯が赤黒く硬くなっていた。

指をそっと触れると痛みが走った。

(“好き”ってまだ分からない。

でも、怖くても前を向きたいって思った。)

(逃げたくなかった。)

(誰かを守りたいって思った。)

息を小さく吸い、吐く。

目の奥がじわりと熱を帯びた。

(これも、“好き”に近いのかな。)

(私も、ちゃんと知りたい。)

(ちゃんと伝えられるようになりたい。)

(私の言葉で、誰かを守りたいから。)

頬に当たる焚き火の熱が優しかった。

 

夜空は深く、闇は重く、しかし星は確かに瞬いていた。

長い夜が、誰にも答えを教えないまま、深く、静かに更けていった。

そして、炎の粉が夜空に溶けるように、ひとつ、またひとつ消えた。

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