第三十一章:揺れる心、交わる視線
朝靄に包まれた草原を、淡い光が静かに照らしていた。
ファナは寝袋の中で小さく丸まりながら、目を開けた。
まだ焚き火の香りが残る空気の中、昨夜のことが心の奥に残っている。
メルのまっすぐな言葉。リクトの微妙な距離。そして、セナの穏やかな眼差し。
(……「好き」って、やっぱりよくわからない。でも、胸が――あったかかった)
頬にふれる風に、猫耳がふるりと揺れた。
ファナはゆっくりと体を起こし、右耳の近くに付けた赤いリボンをそっと整えた。
「……昨日より、少しだけ」
呟きながら胸に手を当てる。何かが少しずつ、自分の中で変わっている。そんな気がしていた。
護衛隊の朝は早い。
荷馬車の車輪点検や食糧準備が進む中、セナはリクトに声をかけた。
「リクト、ちょっといい?」
「……なんだよ」
「向こう、少し人が少ないから。歩こう」
不審げな顔をしながらも、リクトはセナの後を追った。
しばらく歩くと、荷馬車の影に隠れた静かな場所に辿り着く。
「昨日のメル、すごく真っ直ぐだったよね」
セナの一言に、リクトはむっとした顔で唇を噛んだ。
「……うるせえ、知ってるよ」
「ファナに“好き”って、君も言ったんだよね。ちゃんと、覚えてる?」
リクトの目が、わずかに揺れる。
「……あれは、偶然聞かれただけだ」
「でも、本気だったんでしょ?」
セナはふわりと笑みを浮かべたまま、まっすぐにリクトを見つめた。
だがその目は、静かな決意に満ちていた。
「……このまま“いい仲間”でいるつもりなら、僕が連れていくよ。ファナのこと――本気だからね」
リクトの肩がぴくりと動いた。
「……っ!」
睨み返した先にあったのは、嘲るでも優越でもない、同じ“覚悟”を宿した視線だった。
「……引けねえよな、やっぱ」
低く呟いたリクトの言葉に、セナは静かに目を細めた。
「そのほうが、ずっと面白いと思うよ。君も、僕も」
午前の道中。平坦な草原を、荷馬車を囲んで進む護衛隊。
突然、商人のひとりが声を上げた。
「車輪が――!」
先頭の一台がぬかるみにはまり、車輪のひとつが外れかけていた。
一同が足を止め、修理に取り掛かる。その間、小休止となった隊の中で、ファナは荷馬車のそばに座り、小さな子どもと話していた。
「……だから、風の精霊は最後にこう言ったの。“君が笑ってくれるなら、どんな嵐も越えてみせるよ”って」
「わぁ……それ、ほんとう?」
「ふふっ、どうかな。けど、わたしは信じてるよ」
猫耳を揺らして微笑むファナに、子どもが目を輝かせる。
少し離れた場所から、それをじっと見ている影が二つあった。
リクトは無言で立ち、剣の柄に手をかけたまま、何かを噛みしめるように。
セナはマントを揺らしながら、微かに笑みを浮かべていた。
(やっぱり、あの子は……)
二人の視線が交わることはない。ただ、想いだけが交差していた。
その夜、星が瞬く天幕の下。
セナは一人、空を見上げていた。銀茶の髪が夜風に揺れる。
「……あの子が誰を選ぶかは、わからない。でも」
その声は淡く、けれど確かに熱を帯びていた。
「僕は、もう決めてる」
セナが拳を握ると、その背後に気配が落ちる。
リクトだった。無言で立ち、ただ一言。
「引けねえな……俺も」
それだけを告げて、すれ違うように背を向けた。
――それは宣戦布告でもあり、同時に、誓いの言葉でもあった。
翌朝。
空はすっきりと晴れ渡り、遠くの山々までくっきりと見えていた。
ファナは朝の準備を終え、ふとセナとリクトの方を見る。
ふたりとも、どこかぎこちないような、でも――どこか、あたたかいような。
「なんか……変な感じ」
ファナは小さく呟いて、胸に手を当てた。
「でも、悪くない。うん。ちょっとだけ、あたたかい感じがする」
そうして彼女は微笑み、ふたりの元へ歩き出した。
朝の光が三人を包み、次の旅の始まりを静かに告げていた。




