第三十章:動き出す想い
朝の空気は澄み、光がまだ低く地平を這うようにして伸びていた。
集合地点である南門の前には、いくつかの馬車が並び、護衛にあたる冒険者たちが集まりつつあった。
馬のいななき、荷台に積まれる荷物の音、軽い談笑──その中心に、ファナ、リクト、セナの三人もいた。
ファナは緊張したように短剣の鞘に手を置いていた。
セナはいつものように静かな笑みを浮かべ、リクトは腕を組んで視線を周囲に巡らせている。
「おやおや、これは……美しき再会、というやつかな?」
芝居がかった声に振り向くと、そこには「暁鋼の牙」の面々がいた。
ラゼルが静かにうなずき、バルクは相変わらず無口なまま視線をファナに向け、そして──
「ファナくん、今日の君は……いや、いつにも増して綺麗だ。冗談抜きで、僕は本気で、君のことが好きだと思ってる」
そう言ったのは、いつも軽口ばかりだったメルだった。
ファナは一瞬、目を見開いた。冗談のような口ぶりではない。
彼の翡翠色の瞳が、真っすぐに自分を見ていた。
「え……あ、あの……」
言葉が出ないまま、彼女は戸惑いのあまり視線を逸らした。
少し離れた位置でその様子を見ていたリクトが、ピクリと眉を動かす。
「……なに、あれ」
隣でセナが目を細めた。
「動き出したね、想いが。さあ、どうする?」
リクトは答えなかった。ただ、その視線はメルとファナの間に強く向けられていた。
護衛の一行は整列し、ゆっくりと街を後にした。
キャラバンの行き先は東の中規模都市で、道中には森と丘陵地帯が連なる。
盗賊や魔物の出現も珍しくない地域だった。
「前方、異常なし!」
リクトは前衛の先頭に立ち、周囲を睨むようにして警戒している。
その動きは訓練されたものではなくても、彼なりの集中が感じられた。
後方では、セナが馬車の最後尾で杖を軽く構え、地脈の揺れや魔物の気配を感じ取ろうとしていた。
一方、ファナは中央の商人馬車のすぐ横。短剣の柄に手を添えながら、荷車の揺れと歩調を合わせて歩いている。
「ねえ、嬢ちゃん。物語のひとつでも話してくれんかね?」
隣を歩く老商人が笑った。ファナは微笑み返しながら、
「……えっと、じゃあ、ちょっとだけ。道草の精霊の話、聞きたいですか?」
歩きながら語るファナの声は、風に溶けるようにして響き、周囲の雰囲気をわずかに柔らかく変えていく。
彼女の「語り部」としての名残が、そこにあった。
昼過ぎ、休憩地点にて。
荷馬車が停まり、火を起こす者、水を汲みに行く者がそれぞれ散らばっていく。
ファナは、軽く体を伸ばしたあと、荷物の側に腰を下ろした。
(……さっきの、メルさんの言葉……)
心の奥に、まだ小さな波が残っていた。
(本気って……どういうこと? 好きって、どこからが“本気”なんだろう)
胸がざわざわする。それは不快ではなかった。むしろ、少しだけ温かくて、けれど落ち着かない。
遠くから、その様子を見ていたリクトが、苛立ちに似た息を吐く。
「……ったく、なに笑ってんだよ」
自分でもよくわからない感情だった。
けれど、はっきりわかるのは、今のままじゃダメだということ。
(……ファナが誰かに取られる、なんて……)
そんな考えが頭をよぎった瞬間だった。
「敵襲ッ!」
鋭い叫びが森の端から上がる。
一行の左右から、異形の魔物が数体、姿を現した。
黒い皮膜のような体に、鎌のような腕、唸る声。
ラゼルがすぐさま指示を出す。
「二体、左! 残りは右へ! 隊列を守れ!」
リクトは剣を抜き、前衛へ飛び出す。セナも杖を構え、魔法の詠唱を開始。
「風よ、鋭く流れろ──《エア・ブレード》!」
鋭い風の刃が一体の腕を切り裂き、動きを鈍らせる。
一方、ファナは馬車の近くにいたため、すぐに商人たちを下がらせたあと、短剣を手に前へ出る。
敵の一体が馬車の側に迫る。ファナは地を蹴って前に出た。
「──こっち、来ないで!」
細身の短剣を一閃。だが魔物の皮膚は硬く、深くは通らない。
魔物が腕を振り上げた、そのとき──
「危ねぇっ!」
リクトが体をぶつけるように飛び込んできて、ファナと魔物の間に割って入った。
剣を一閃し、もう一度セナの風が吹き抜ける。
連携はうまくいき、魔物は怯んだすきにラゼルがとどめを刺す。
「終わりだッ──!」
鋼の一撃が響き、魔物が崩れ落ちた。
夜。
焚き火の明かりが小さく揺れる。
焦げた薪の匂いと、静かな星の下、あたりはようやく落ち着きを取り戻していた。
ファナは火の明かりを見つめながら、今日のことを思い返していた。
(メルさんの言葉。リクトの助け。セナの魔法……)
何かが、少しずつ変わってきている気がする。
焚き火の向かい、リクトがこちらを見て、なにか言いかけた。だが──
「……いや、なんでもねぇ」
彼は目をそらし、焚き火に小石を投げた。
セナは静かに三人を見ていた。何も言わず、ただ見守るように。
誰も言葉にはしないけれど、確かに何かが動き出した。
──わからないけれど。
今、胸の奥が、ほんの少しだけあたたかかった。




