第二十八章:言葉の意味、心の温度
午前の街路には、穏やかな陽射しと焼きたてのパンの匂いが漂っていた。
ファナはゆっくりと歩きながら、昨日の出来事を思い返していた。
──リクトが、あのとき言った言葉。
「好きだ!」
彼の声が、胸の奥にまだ残っている。
「……“好き”って、どういうことなんだろう……?」
ふと立ち止まり、ファナは耳の先をぴくりと揺らした。
その横を歩くレリアが、ちらりと彼女を見て微笑む。
「大丈夫よ。今日は依頼もないし、少しゆっくりしましょう。薬草と保存食、あと傷薬も補充しておきたいわね」
「うん、わたしも手伝う」
二人は街の店を巡り、布袋に詰められた薬草の香りを嗅ぎながら、必要な物を買い揃えていく。
だが、ファナの視線は時折ぼんやりと宙をさまよっていた。
それに気づいたレリアは、店先でふと立ち止まる。
「ファナ。よかったら、お昼は一人で食べてきてもいいわよ?」
「……え?」
「少し、一人で考えたいことがある顔をしていたから」
ファナは驚きつつも、小さくうなずいた。
「うん……ありがとう、レリアおねーさん」
そうして、ファナは街の一角にある食堂の暖簾をくぐった。
店内はにぎわっていた。昼時のため、空席はほとんどない。
(……混んでる)
店員に案内されながら奥へと進むと、ふと見覚えのある後ろ姿が目に入った。
短い黒髪、軽装の服──リクトだった。
ファナは一瞬立ち止まり、違う席へ行こうとした。
けれど、その席には先に別の客が座ってしまう。
結局、彼女はリクトの向かいにそっと腰を下ろすことになった。
「…………」
「…………」
ぎこちない沈黙が二人の間に流れる。互いに視線を合わせようとはしない。
ファナはスープをすくいながら、そっと口を開いた。
「……このお店、はじめて来た」
リクトは驚いたように彼女を見たが、すぐにスプーンを持ち直し、ぽつりと返す。
「俺も。……でも、思ったより悪くないな」
それはとても短い会話だったけれど、不思議と胸の奥があたたかくなる。
少しだけ、緊張が溶けた気がした。
食事が終わりかけた頃。
リクトが、スプーンを置いたまま、少し俯いて呟いた。
「……あの時のこと、忘れていい。偶然聞かれただけだったし……気にすんな」
ファナはスプーンを止め、黙った。
やがて、そっと顔を上げて、まっすぐに彼を見つめる。
「でも、私は……忘れられないと思う」
リクトが目を見開いた。
ファナは少し戸惑いながらも、言葉を選ぶように続けた。
「“好き”って、まだよくわからない。でも、リクトにそう言われて……嫌じゃなかった」
「…………」
「胸の奥が、あったかくなった気がして……変かな?」
リクトは一瞬驚いた表情を浮かべ、すぐに目を逸らして、小さく笑った。
「……変じゃない、と思う」
その笑顔が、ほんの少しだけ、彼女の心を安心させた。
食堂を出ると、太陽が傾き始めていた。
リクトは少し黙った後、小さな声で言った。
「じゃあ……またな」
「うん」
ファナはうなずいて、ほんの少しだけ微笑んだ。
別れ際、彼の背中を見送りながら、ファナは自分の胸に手を当てた。
(“好き”って……こういう気持ちなのかな)
まだ答えは出ていない。
でも、昨日より少しだけ、自分の気持ちに気づけた気がした。
そのころ、ギルドでは一件の依頼書が届いていた。
「近郊の村からの護衛か……あの子たちにも向いてそうだな」
職員は依頼を掲示板に貼りながら、つぶやいた。
ファナ、リクト、セナ──三人の旅路に、またひとつ、新たな章が刻まれようとしていた。




