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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第一部

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第七章:— 揺らぐ影の中で —

挿絵(By みてみん)

ファナは、ゆっくりと村の門をくぐった。

レリアの旅装束を借り、頭には深めのフードを被っている。

耳は隠れ、尻尾も厚手のマントの下に巻き込んだ。

だが、全身に走る緊張は隠しきれなかった。

村は思ったよりも穏やかで、空には澄んだ初夏の光が広がっていた。

小川が流れ、軒先に干された洗濯物が風に揺れている。

獣人を見れば石を投げてきた人間の姿を思い出し、警戒心を強めていたファナは、その静かな空気に戸惑った。

「ファナ、大丈夫。無理に話さなくていいから」

隣で歩くレリアが、そっと声をかけてきた。

彼女の顔には、変わらぬ柔らかさがあった。その眼差しの中に敵意はなく、ただそっと手を差し伸べるような温度だけが宿っている。

ファナは無言で頷いた。

レリアの案内で、二人は村の小さな薬草舎へと入った。薄暗い木の室内、乾いた草の香り。

レリアはすぐに棚の薬壺を確認し、手早く道具を並べていく。

その様子をファナは端の椅子に腰掛け、じっと見つめていた。

ふいに、扉が軽くノックされた。

「レリア先生、お帰りなさい。あの……村長が少しお話したいと」

若い少女の声。ファナは瞬時に身を強張らせ、腰の短刀に手をかけた。だが、レリアが静かにその手を取った。

「大丈夫。彼女は私の助手よ。敵ではないわ」

ファナは黙ったまま、ゆっくりと手を離した。

少女―名をエミナというらしい―はファナに気づいても驚きはせず、にこりと笑って頭を下げた。

「こんにちは。ご滞在のあいだ、お水とかお食事とか、お持ちしますね」

その言葉に、ファナは何か言い返そうとして口を開いたが、声が出なかった。

彼女の中で、人間とは恐ろしいもの、害をなすもの、そう刻まれていたはずだった。けれど、この娘は……笑っていた。

「……なぜ……」

ファナの口から、掠れた声が漏れた。

「え?」

「……なぜ、私に、そんな……」

「そんな?」

「優しくするの……?」

その瞬間、室内が静まり返った。エミナは少しだけ戸惑いの色を浮かべたが、すぐに微笑んだ。

「だって、レリア先生が大事にしてる人だから。だから、私にとっても大事です」

それは、あまりに真っ直ぐな言葉だった。

まるで子供のように、打算も疑念もない、ただの優しさ。

ファナは、思わず視線を逸らした。胸の奥が、ずきりと痛んだ。

彼女は、森の焼ける音を知っている。弟の手を引いて逃げた夜の叫びを覚えている。

長老のエルの、最期の言葉を。そのすべてが、今のような優しさとは正反対にある。

なのにどうして―

レリアと共に過ごす数日間、村の人々は誰一人としてファナに敵意を向けることはなかった。

薬草を取りに山道へ同行すれば、子供たちが彼女に笑いかけ、村の老婆は干しリンゴを差し出してくれた。

「元気、なさそうだねえ。これ、食べるといいよ」

「……ありがとう」

自分でも驚いた。口から自然に出たその言葉。

(……私は、こんなふうに……人と)

それでも、夜になると眠れなかった。

焚き火の影に映る己の手を見るたび、そこに焼け焦げた森の残像が浮かぶ。

優しさを受け取るたび、罪悪感が胸に積もる。

(私は、生きていていいの?)

ある晩、薬草舎の裏手にある小さな丘に登った。

夜風に耳が揺れ、フードを脱ぐと静かに月明かりが射した。

彼方に広がる山々。ファナはそこで、一人で小さく膝を抱えた。

「……わからないよ……お父さん、お母さん……」

「貴女は、まだ自分を許せていないのね」

背後で、静かな声がした。レリアだった。

「私はね……ずっと、誰かのせいにしていたの。帝国のせいで家を失った。でも、そう思い続けると、自分の命もどこか他人のものになってしまうの」

ファナは顔を上げ、レリアを見た。焚き火とは違う、月の光が彼女の髪に落ちていた。

「……貴女は、自分の命を取り戻すために、ここに来た。そう思ってもいいんじゃない?」

その言葉に、ファナは何も返せなかった。

ただ、夜の冷たさと、レリアの言葉のあたたかさが胸に沁みていくのを感じていた。

まだ、心の扉は固く閉ざされていた。

けれど、その扉の向こう側で、小さな音がした。

それは、きっと―希望の音だった。

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