第五十五章:──言葉なき声、交わらぬ想い
語りの聖域――それは、静寂に包まれた古代の石造遺跡。
長く風に削られ、苔むした石碑が並ぶその地に、ファナたちはようやく辿り着いた。
その中央に、既にセリスの姿があった。彼女の周囲には帝国の精鋭が陣を敷き、空気には張り詰めた気が満ちていた。
「……来たのね、ファナ」
セリスの声は穏やかだった。だがその奥には、冷たい覚悟が潜んでいた。
ファナは歩み寄り、静かに言葉を返す。
「話したくて、来たの。……あなたに、伝えたいことがあるの」
「語りは、誰かを救う力になる。それは、わたし自身が一番知ってる」
ファナの言葉に、セリスは一瞬まぶたを伏せた。
「けれど同時に、語りは利用される。歪められ、武器になる」
「わたしは……それでも、語りを信じたい。誰かに届いて、心に残るなら、それでいい」
「それが、悲劇を生むなら?」
「語りが生むんじゃない。悲しみを選ぶのは、使う人間の心だよ」
両者の声は、静かに交差し、決して交わらなかった。
やがてセリスは短く息を吐いた。
「……ならば、語りの源を封じるしかない」
そして彼女は封語術の陣を発動した。
轟音と共に、聖域を包む空間が軋み、光が弾けた。
周囲が歪み、音が消える。
レリアが何か叫んだが、声が届かない。
カイルが剣を抜いたが、斬るべきものはどこにもない。
ファナは叫ぼうとしたが、喉から音が出なかった。
──声が、消えていく。
──語りが……
セリスの封印術は、語りの痕跡そのものをこの空間から断ち切ろうとしていた。
だがその時だった。
「……昔ね、銀の髪のおねーさんが来てね。物語を話してくれたんだ」
聖域の端にいた小さな少年が、震えながらも言葉を発した。
「そんとき、すごくあったかくなった。……だから、おれも、誰かに話したいって思った」
その声はか細く、誰にも命じられたわけでもなかった。
けれど、その一言が、沈黙に風穴を開けた。
ファナは驚きに目を見開き、そして……ゆっくりと、涙をこぼした。
──語りの力がなくても。
──わたしが語ったことは、生きていた。
セリスは微かに目を伏せた。
「……語りは、消えないのね」
その声は、震えていた。
しかし彼女は、なお背を向けた。
「だとしても。私は、それでも進まなければならない」
その背中に、カイルが一歩踏み出した。
「……待て、セリス。お前も、本当は……」
だがその言葉は、封じられた空間に吸い込まれ、届かなかった。
沈黙の中、少年の語りだけが続いていた。
ファナはその声に耳を澄ませながら、小さく呟いた。
「ありがとう……今は、あなたが語り部だね」
光の届かぬ沈黙の地に、かすかな灯が揺らめいていた。




