第五十四章:──揺らぐ理想、辿る灯火
朝焼けの気配が森の木々を静かに染めていた。
ファナは背負い袋を肩に掛けながら、振り返って村の広場を見つめた。
昨日まで彼女が語った場所。子どもたちが眠たげな目をこすりながら、名残惜しそうに見送っていた。
「ありがとう。……また、必ず来るよ」
かすれた声で、けれど確かな言葉を告げてファナは微笑んだ。
レリアが背後からそっと手を置く。
「行こう。今度は、語りの火を絶やさないための旅よ」
カイルは無言でうなずき、前を歩き始めた。
一方その頃──
帝国軍別動隊の先頭に立つセリスは、揺れる髪を風に任せながら、地平の彼方に目を据えていた。
「語りの聖域……古代語で“リュミエール・コル”……語りが初めて発せられた地」
彼女の表情は冷たく、整然としていたが、その奥底に微かな迷いの影が浮かんでいた。
「語りを封じる。それが、私の正義」
そう言い聞かせるように呟いた瞬間、かすかに脳裏に浮かんだ記憶。
──幼き日の自分に、誰かが語ってくれた優しい声。
──「悲しいときは、涙を流してもいい。けれど、その後で笑えたら、それは強さだよ」
その言葉に救われたことがあった。
けれど、その“語り”が原因で、家族は国家に利用され、情報操作の道具として犠牲になった。
「だから……私は語りを否定する。あれは力であって、情ではない」
セリスは目を閉じ、もう一度自分に言い聞かせる。
旅路を進むファナたちの足元に、小さな石碑が埋もれていた。
そこには消えかけた文字──「語りは、心の火」とあった。
ファナはしゃがみ込み、その石碑にそっと触れる。
「心の……火……」
「つまり、灯火ね。消してはいけないもの」
レリアが囁き、レオンが一歩前に出る。
「……それを、帝国は消しに来る」
カイルが短く息を吐き、剣の柄を軽く叩いた。
「間に合えばいいがな」
セリスの隊が休息を取る間、配下の一人が彼女に問うた。
「……セリス様。語りを封じた先に、何が残るのでしょう」
セリスは静かに答える。
「秩序。言葉なき平穏。揺るがぬ統治」
「ですが……人が語らなければ、伝えなければ、心はどこに向かえば……」
その問いに、セリスは一瞬だけ沈黙した。
「……それでも、語りがもたらす混乱よりはましだ」
言い切った声は、確かに揺れていた。
夜──
ファナは焚き火のそばで、膝を抱えて座っていた。
「セリスおねーさんは、語りを……全部、消したいのかな」
レリアは少しだけ悲しげな表情を浮かべた。
「たぶんね。けれど、彼女自身が本当にそれを望んでるかは……まだ分からないわ」
カイルが火を見つめたまま、低く言った。
「本気で消すなら、話し合いすらしない。……つまり、まだ迷ってる」
ファナはそっと目を閉じる。
──語ることが罪になるのなら。
──それでも私は、語りたい。
彼女の胸に灯る“火”は、静かに、だが確かに燃え続けていた。




