第五十二章:──ただの声、ただの物語
夜明け前の空はまだ深い群青に沈んでいた。
焚き火の残り火がぱちぱちと音を立てる傍らで、ファナは眠っていた。
微かな寝息と、落ち着いた表情。その傍に、カイルとレリアは座っていた。
ファナは前日、ついに声を取り戻していた。
だが、それは“語り部としての力”を伴ってはいなかった。
語っても、人々の心に幻は浮かばず、心を揺さぶるような共鳴も起きなかった。
ただの声。ただの物語。
だが、それでも彼女は語った。
村の子どもたちに、昔話をひとつ。
「……ちいさな光が、風に吹かれて歩いていた。誰にも気づかれず、でも、誰かのそばにいたくて……」
物語の終わりに、ひとりの子どもが小さく言った。
「また、明日も話してくれる?」
ファナは微笑み、小さく頷いた。
それだけで、充分だった。
レリアはファナの眠る横で、焚き火に木をくべながら言った。
「……少しだけ寂しいわね。あの子の語りに、もう“力”はない」
カイルは静かに頷いた。
「……でも、俺は、正直よかったと思ってる」
レリアが目を細めてカイルを見る。
「どうして?」
「こいつの語りの力は強すぎる。誰かを優しく包む力でもあったが──それ以上に、支配にも向いてた」
カイルは、火を見つめたまま、低く続けた。
「こいつなら、間違った使い方はしない。争いを止める力にしてくれると信じてる。……だけどな、世の中の権力者や悪党どもは、そうは考えない」
レリアは小さく頷いた。
「……あの力があれば、絶対に裏切らない部下を作れる。敵を操ることもできる。洗脳に近いものね」
「ああ。そうなったら、ファナは世界中の誰かに狙われ続けることになる。……そんな未来は、ごめんだ」
焚き火が、少し弾ける音を立てた。
カイルの視線が、そっとファナに向く。
「こいつはまだ人間で換算して15歳だ。子どもだ。……いっぱい遊んで、学んで、泣いて、笑って……子供らしいことを、めいっぱいさせてやりたい」
レリアは目を細めて、その横顔を見守った。
「過去の記録を語り、残すのはその後でいい。今は、子どもらしく生きて欲しい。……そう思ってる」
「……それを、支えるのが私たちの役目、ってわけね」
「そういうことだ」
ファナの寝息は静かで、穏やかだった。
炎の揺らぎが、そっと彼女の頬を照らしていた。
──たとえ“力”がなくても。
──その声は、確かに誰かの心に届いている。
ファナの新しい物語は、ここから始まろうとしていた。




