第四章:焔に消える歌
その夜、ラゼンの森を貫くように、風が一陣吹き抜けた。
そして次の瞬間、轟音が空を裂いた。
村の中央で火柱が上がり、警鐘の音が森に響き渡る。
「火だ——っ、帝国の兵がっ!」
悲鳴と怒号。武器を手に取る音、家屋が崩れ落ちる轟き。
それは一瞬で、長き平穏を裂く、血と炎の夜の幕開けだった。
帝国の魔導兵団は、魔法による火計とともに、夜陰に紛れて村を包囲していた。
その動きは迅速かつ的確で、すでに北と東の退路は断たれていた。
ファナは、弟のリッカの手を引いて村の外れへと走っていた。
「お姉ちゃんっ、父さんと母さんは!? どこっ……」
「……まだ家に戻っていなかった……っ。探しに行きたいけど、今は、リッカを連れて……!」
涙と煙で視界が滲む中、ファナの脚は必死に動き続ける。
人々は混乱しながらも武器を取り、帝国兵に応戦する。だが、相手は戦術的に訓練された正規軍。
盾を固め、炎の矢を放ち、逃げ場を一つずつ封じていく。
そして、村の中心——焚火の広場に、一人立ち塞がる老獣人の姿があった。
長老・エル。
灰色の毛並みは煤にまみれ、その瞳は燃え上がる火よりも熱かった。
「貴様ら……森の言葉を知らぬか」
帝国兵たちは無言で剣を抜く。魔導の気配が空気を揺らし、呪符が淡く光る。
エルは深く息を吸い、そして叫んだ。
「走れ、ファナ……お前だけは、森の記憶を抱いて——生きろ!」
彼の杖が地を叩き、周囲に土の防壁を立ち上げる。その隙に、ファナは決意を固めて走り出す。
両親の声が、炎の向こうからかすかに聞こえた気がした。
けれど振り向いてはいけない。
リッカの手を離すわけにはいかない。
「お願い……森よ、私たちを導いて……!」
ファナは秘密の抜け道へと身を投じた。
それは子どもの頃、遊びのように両親に教わった、森の奥へと抜ける隠された小径。
いま、それが命の綱となる。
背後では村が焼かれ、悲鳴と怒声が交錯していた。
エルの声も、もう聞こえない。
涙が頬を伝う。けれど走ることをやめなかった。
森は今、獣たちの血を吸い、嘆き、怒っている。
その中心にいたはずの少女は、今やただの一人の逃亡者だった。
だが彼女は——生き延びる。
それが、エルの願いだったから。
それが、森の記憶をつなぐ者としての宿命だったから。




