第四十四章:──風の道しるべ
戦いの夜が明ける頃、森は静まり返っていた。
焼け焦げた木々、踏み荒らされた遺跡の石板、そして漂う鉄と煙の匂い。
ファナはその場に膝をついていた。
手のひらは微かに震え、息は浅く、胸の奥で何かがこみ上げてくるのを必死に堪えていた。
(わたし……怖くないって思ってたのに……)
けれど実際は違った。目の前で放たれた殺気、鋼の音、血の匂い──それらは、あまりにも生々しく、心に刺さったままだ。
「……ファナ」
気づけば、カイルが横にいた。しゃがみ込み、彼はそっと彼女の銀灰色の髪を撫でた。
「こんなナリしてても、お前……人間で言えば、まだ十五の子供だ」
ファナは俯いたまま、わずかに喉を鳴らした。
「……でも、みんな戦ってた。レリアおねーさんも、カイルおにーさんも……」
「怖くねぇ奴なんていねぇよ。俺だって、本当はああいう連中とやり合うのはごめんだ」
彼の大きな手が、優しく、けれどしっかりと彼女の頭を包み込む。
「……でもな、お前が立っててくれた。あの言葉の力で、戦場が揺らいだ。あれで助かった奴らがいる。だから、今はただ……震えてもいい」
「……うん……」
ファナは静かに目を閉じた。
涙はこぼれなかった。けれど、心の奥で、固く閉じた何かが少しだけ緩んでいた。
その頃、森の反対側。
《影の剣》の部隊は静かに撤退していた。
その中心にいるのは、無傷のまま佇むセリス・アラディア。
部下の一人が問いかける。
「……あれで良かったのですか? ファナ・ラムゼリアを取り逃がしたままで」
「いいのよ。今は、これで」
セリスは月の見える空を見上げながら、唇の端をわずかに上げた。
「マーキングは済んだ。彼女の精神波と干渉記録は、私たちの結界網に反応するよう調整済み。もう逃げ場はない」
「では、次は──」
「時が来たら、囲いを一気に閉じる。まるで何も知らない子猫が、逃げ場を見つけたと信じたところでね」
彼女の瞳は、冷たい硝子のようだった。
「それまでは、泳がせておく。ファナ・ラムゼリアが、“どこまで自分の言葉に責任を持てるのか”……見てみましょう」
セリスは背を向け、漆黒のマントを翻す。
「記録者の血。その真価、確かめさせてもらうわ」
ファナはその日の午後、再び地図を広げていた。
周囲ではカイルが荷物を整え、レリアが村の子どもたちに薬を配っていた。
「……あの時、あの石碑に触れたとき……わたしの言葉が、確かに何かに届いた」
静かに呟いたファナの声に、レリアが微笑みながら応じる。
「ええ。あれはただの記録じゃない。あなたの想いが乗っていたからこそ、力になったのよ」
ファナは地図を指でなぞった。
「次は……この“北の谷”に向かいたい。古い拠点があるって聞いた。語り部が集っていたって」
「それは、あなた自身が“語りに行く場所”を選ぶってことかしら?」
「……うん」
カイルがふっと笑って、荷物を背負い直す。
「なら、行く先があるなら進むだけだな」
ファナは地図を折り畳み、夕陽に照らされた空を見上げた。
まだ怖さは残っている。
けれど、それ以上に「伝えたい」という想いがある。
その一歩が、きっと誰かの光になると、彼女は信じ始めていた。
ファナのイメージ画像を1枚だけ置いています。
本編とは切り離したものなので、 興味のある方だけご覧ください。




