第四十三章:──黒の刃、白の誓い
風の匂いが変わったのは、深夜のことだった。
焚き火の残り火が静かにゆらめく中、ファナはふと目を覚ます。
獣人の古遺跡に隣接した仮設の野営地。
カイルとレリアは交代で警備に立っていたが、その瞬間、空気の張りつめた変化に、誰よりも先に気づいたのはファナだった。
「……来る」
わずかな風のざわめき、湿った気配。
そして、殺意をまとった“影”の感触。ファナが跳ね起きると、ほぼ同時に、カイルの剣が月明かりにきらめいた。
「起きろ、全員! 敵だ!」
森の中から現れたのは、漆黒の装束に身を包んだ精鋭たち。
帝国直属の追跡部隊──《影の剣》。その先頭に立つ女性の瞳は、冷たい刃のように光っていた。
「……ファナ・ラムゼリア。確保対象を視認。排除は不可。生体記録を優先する」
セリス・アラディア。 レオンの上官にして、《影の剣》の指揮官。
ファナに向けられたその声は、感情を欠いた命令のようだった。
「レリア、ファナを守れ。俺が前を引きつける!」
「カイルおにーさん!」
「大丈夫だ。行け!」
カイルが前線を引き受ける形で飛び出し、数名の追跡兵と剣を交える。
レリアは素早くファナの手を取り、遺跡の奥へと走った。
その瞬間だった。
──“封じられし言葉、目覚めよ”──
遺跡の奥、ファナがかつて触れた石碑が再び淡く光った。
ファナの心に浮かんだのは、あの石板の言葉。
「記録は剣に勝る」──その意味が、いま、形を持ち始めていた。
「逃げるだけじゃ、だめだ。わたし……わたしは“語り部”なんだ……!」
ファナはレリアの手を振りほどき、振り返った。
《影の剣》の追手が迫る。
その中央にいるセリスが、無言のまま手をかざした瞬間、空気が断ち割れるような圧力が走る。
「下がれ、ファナ!」
レリアが叫んだ──が、ファナは一歩、前に出た。 そして、声を発した。
「──ラゼンの森の風よ、私の記憶に宿れ」
石碑が共鳴した。
その場にいた全員の意識に、一瞬、風の音と共に“幻のような光景”が流れ込んだ。
──青々とした森。
──語り部が、獣と人とをつなぐ儀式を行う光景。
──その言葉に、兵たちの動きが鈍る。
セリスが歯を食いしばった。
「……これが、“語り部”の力……? 精神干渉、いや、記憶の波……!」
だが、干渉が一瞬途切れた瞬間、セリスが跳躍する。
「甘い!」
カイルが割って入る。剣が火花を散らし、ふたりの距離が開く。
「レリア、今だ! 連れていけ!」
レリアがファナの手を再び取り、遺跡の裏口から脱出路へと走る。その背後で、カイルとセリスの激突が続いていた。
その頃、森の外れ──
レオンは、《影の剣》の伝令兵を意図的に別の場所へ誘導するよう密かに工作していた。
「せめて、時間だけでも稼げれば……」
ファナを直接助けることはできない。だが、彼女が逃げ延びるための“裏の道”を開くことはできる。
そう信じて動いていた。
──だが。
「レオン様、まさか、我々を欺いていましたか?」
気配に気づいたときには、セリスの副官に背後を取られていた。
「……君たちは、彼女を“確保”する気などないのだろう」
「命令は命令です。貴方もレオン・ヴァルガスとして、従っていただきましょう」
レオンは剣を抜かずに言った。
「貴様らに、ファナを渡すわけにはいかない」
──だが、すでにセリスは動いていた。レオンの妨害など、想定内。
彼が時間稼ぎを試みていた間に、追跡部隊は別ルートから野営地を包囲していたのだ。
結果として、レオンの行動は“敵の行動を早める”形で裏目に出ていた。
戦闘の末、野営地は半ば焼かれ、ファナたちは辛くも森を越えた。
「……みんな、無事?」
「カイルは後で合流するって。負傷はあるけど、致命傷じゃない」
ファナは静かにうなずいた。
「わたし……力はまだ不完全だった。でも……あのとき、たしかに何かが“響いた”」
レリアはそっと微笑んだ。
「あなたの言葉には、誰かを動かす力がある。それが“語り部”ってことよ」
ファナは拳を握った。
「なら……もっと知りたい。語るべきことを。次に進む場所を……わたし、自分で見つけたい」
燃え残った焚き火の火が、再び強く揺れた。 その光の中、ファナの瞳は、確かな意志を宿していた。




