第四十二章:— 静かなる遺跡、動き出す影
森を抜けた先、白く輝く岩肌の裂け目に、小さな祠のようなものがぽつんと建っていた。
獣人の集落の長老が言っていた「記録の地」――古の言葉を残す者たちの最後の足跡。
「これが……“語り部の洞”」
ファナが呟くと、レリアが目を細める。
「かなり古いわね。石の組み方と苔の浸食の仕方から見て、数百年は経ってる。
でも、誰かが定期的に手入れしてた形跡もある。獣人の中で代々守られてきた場所なんでしょうね」
「……中、行ってみよう」
カイルは無言でうなずき、三人は慎重に洞へと足を踏み入れた。
内部は驚くほど整っていた。
岩壁には獣文字でびっしりと文章が刻まれ、奥には半崩れの書庫のような空間があった。
ファナは一枚の石板に目を留める。
そこに記されていたのは――
《ラムゼリアは記憶を継ぐ。記録を編み、言葉を運び、争いを防ぐために。
かつて帝と語り、獣と結んだ“光の盟約”は、彼女たちが護持していた。》
「光の……盟約?」
ファナは思わず口にする。
「……獣人と帝国が、一時期だけ“対話”で結ばれていたという伝承があるの。
でも、その契約が破棄されたとき、最も早く消されたのが“その記録”だと聞いたことがあるわ」
レリアがそっと補足する。
「つまり、私たちの一族は――その“対話”の証人だったの?」
ファナの声が、かすかに震えた。
「証人であり、記録者。だからこそ、帝国にとっては……不都合な存在だったのよ」
石板の裏に、もう一行だけ文字があった。
《記録は剣に勝る。されど、忘れられればただの石》
ファナはその言葉を胸に刻んだ。
その頃――帝国、エイレル第七軍情報局・特別作戦室。
暗がりの中、ひとりの女が淡々と指示を読み上げていた。
黒の軍装に赤い徽章。銀髪をひとつに束ね、眼差しは鋼のように冷たい。
「対象:ファナ・ラムゼリア。
分類:C-制圧対象 → A-確保優先対象に変更。理由:継承者認定の可能性」
部屋にいた兵たちがざわめく。
「“継承者”? あの神話は作り話では?」
「問題は“彼女を信じる者”が現れることだ」
女の名はセリス・アラディア――帝国直轄の執行部隊《影の剣》の指揮官。
その存在は、軍の内部でも一部にしか知られていない。
「レオン・ヴァルガスは……この件から外されます」
「彼の現地での信用度は高いはずです。なぜ切るのですか?」
「信用の問題ではなく、感情の問題です」
セリスは端的に言った。
「彼は、任務の遂行において“躊躇”を見せた。それは、死に等しい遅延を生む」
報告書の一枚を、無言で破り捨てる。
「我々《影の剣》が引き継ぐ。対象の捕縛は、生死を問わないが――記憶の確保を優先する」
「“記憶の確保”?」
「獣人たちの語り部は、記憶を“意志と共に封じる”技術を使う。
ただの話ではない。“力”だ」
セリスは鋭く告げる。
「次に接触するのは、我々だ。あの少女には“語らせる前に沈黙させる”価値がある」
一方、遺跡の奥では、ファナが古い文書の束に目を通していた。
その中の一枚に、不思議な絵が描かれていた。
――獣と人が並び立つ、二重の王座。
その中央には「語り部」が立ち、両者の間に手を差し伸べている。
「これは……?」
「和解の象徴図よ。獣と人が交わる理想。……でも、もう失われた夢ね」
レリアが穏やかに答える。
「でも、夢って、見られる人がいる限りは……消えないんだよね?」
ファナの言葉に、レリアが微笑んだ。
「そうよ。だからこそ、あなたは“覚えていられる者”であってほしいの」
「わたし……記録する。覚えておく。壊されたことも、奪われたことも……でも、それだけじゃなくて――信じたいことも」
ファナの手が、石の面に触れる。
そのとき――ほんのわずかに、石が淡く光った。
「今、光った……?」
「語り部の血に反応したのかも……」
静かなその光は、しかし確かにそこにあった。
まるで“まだ終わっていない”ことを告げるように。
その夜、三人は遺跡の入り口近くに焚き火を起こした。
「カイルおにーさん。レリアおねーさん。……ありがと。
ここまで来て、ようやく……自分のこと、少しだけわかった気がする」
「だが、それだけお前の首が狙われる理由も、明確になったってことだ」
「うん。でも、それでも……わたし、記録を残したい。
レオンおにーさんのことも。ラゼンの森も。帝国が壊したものも……全部、残したい」
レリアがそっと頷く。
「なら、そのための“居場所”を、これから探しましょう」
ファナは小さくうなずいた。
その瞬間――風が変わった。
カイルが剣の柄に手をやる。
「……来るぞ。気配が、レオンの奴とは違う。もっと冷たい」
森の闇に、まるで刃のような気配が走った。
《影の剣》が、動き出していた。




