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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第一部

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43/253

— 鎖を選んだ者の回想 —

挿絵(By みてみん)

森の空気は、帝都のそれとは違っていた。

湿り気を含んだ土の匂い、朝露の滴る草の手触り。

そこに生きる者たちの視線には、鋭さと、それ以上に温もりがあった。

——それが、皮肉だった。

俺の任務は、彼らの中に“溶け込む”ことだったからだ。


「……おにーさん、また魚たくさん釣ったの? すごいっ!」

ファナの瞳がきらきらしていた。

銀灰の髪が陽に照らされてきらめいていた。

……可愛い子供だった。

お調子者で、傷だらけで、怖がりで……それでも、まっすぐで、あったかかった。

最初は警戒されたが、弓の腕と「よそ者なのに遠慮しない態度」が意外にウケた。

最初の印象を崩さないまま、「役目」をこなすことは得意だった。

情報を集める。地形を把握する。信頼される。

それが、俺に与えられた「鎖」。

けれど、ある日を境に、何かが変わっていった。


ファナが森で足を滑らせて、動けなくなっていた。

血が出て、泣いていて、名前を呼ばれて。

俺は何の迷いもなく、彼女を抱き上げて、手当てしていた。

「ほら、泣き虫はしっぽが逃げ出すぞ?」

冗談のひとつも出てくるようになっていた。

任務とは、何だったのか。

これは、演技だったのか。

そう思い始めたとき、任務が“苦しく”なっていった。


帝国の命令は、冷徹だった。

「森の構造と防衛を記録せよ」

「不安分子の情報を優先せよ」

「最終段階に備え、指揮系統に影響力を持て」

簡単だった。俺はそれに向いていた。

だけど、簡単じゃなかったのは「ここに居てはいけない」と思いながらも、

心が、ほんの少し、居場所と錯覚し始めたことだった。

俺は――

ファナが笑うたび、誰かが「ありがとう」と言ってくれるたび、

ほんの少しずつ、“スパイ”である自分が嫌になっていった。


それでも、俺は告げなかった。

正体を明かすこともなく。

帝国に反旗を翻すこともなく。

最終通達が届いたとき、「例の森を制圧する」と聞いたとき、

俺は逃げることも、止めることも選ばなかった。


あの夜。

帝国の軍が進軍する音が聞こえる中で、ファナが村はずれで俺を見つけた。

——「レオンおにーさん!」

その声を、聞いた。

でも、振り返れなかった。

彼女の目を見たら、俺は――何かを選びなおしてしまいそうだったから。

任務を終えた俺には、今さら戻る場所などなかった。

自分の行動を正当化することでしか、生きていけなかった。

でも。

逃げるように立ち去ったその夜、俺は一度だけ、木の陰で膝をついて泣いた。


それから数ヶ月。

帝国に戻った俺は、昇進した。指揮権を得た。

だが、どんな勲章よりも、あの森で“捨てたもの”のほうが重かった。

ファナが生きていると知ったのは、ほんの最近だった。

それでも、会って何が言える?

「すまなかった」か?

「守りたかった」か?

そんな言葉で済むはずがない。


それでも。

もし、もう一度目の前に現れたとき、彼女が俺に問うのなら。

——「なんで、あのとき……?」

そのときは、きっと答えよう。

俺の“弱さ”と“罪”のすべてを。

そのときだけは、英雄でもスパイでもなく、

ただのレオン・ヴァルガスとして――。


……それが、最後に許される“贖い”だと、思いたい。

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