第三十八章:— 焔と影の向こうに
道の脇を吹き抜ける風が、草木をざわめかせる。
日が傾きかけた頃、三人は小さな村の外れに足を止めた。
そこには物寂れた井戸と、朽ちかけた小屋が残されていた。旅の者がよく立ち寄る“野営所”として知られているらしい。
「今日はここで一晩を明かしましょう」
レリアが提案し、カイルは無言で周囲の地形を確認する。
ファナはいつも通り荷を下ろしながらも、どこか落ち着かない気配を感じていた。
「……なんか、空気が……変じゃない?」
「……わかるか」
カイルが低く呟く。
「風が止んでる。獣の鳴き声も消えた」
それは、自然が何かを“警戒”している証だった。
その日の昼、村の広場でレリアはひとりの老婆と言葉を交わしていた。
「……森の奥から、不気味な兵たちが出入りしているのを見たんですよ。あの紋……帝国のものでしょう」
その一言に、レリアの表情がぴたりと止まった。
「ありがとう。気をつけます」
別れ際、老婆はぽつりと呟いた。
「誰かを、探しているようでしたよ」
夕刻、焚き火の火がゆらゆらと揺れていた。
静かな闇が降り、空にはまだ星が浮かびきっていない。
そんな中、カイルが背中越しに囁いた。
「……来るぞ」
「え……」
「足音が、一つや二つじゃない。囲むように、遠巻きに動いてる。
こっちに気づいてるって“知らせるため”の動き方だ」
ファナの胸が、早鐘を打ち始める。
「帝国……?」
「たぶんな」
カイルはゆっくりと立ち上がる。レリアも手に符術の札を持ち、淡く光る印を起こし始めた。
「ファナちゃん。いい? 何があっても離れないで」
「……うん。でも……わたし、逃げない。ちゃんとここにいるから」
震える声の中にも、確かな意志があった。
木々の合間に、揺れる松明の光が見えた。
影が近づき、ついに一人の兵が姿を現す。
「……確認。獣人の少女を見なかったか?」
黒い鎧に、見覚えのある紋章。間違いなく帝国軍だ。
レリアが一歩前に出る。
「通りすがりの旅人です。獣人? 森には多いでしょうに」
「……名を聞いていないのに、妙に反応が早いな」
その言葉に、カイルの目が細くなった。
「用がないなら、これ以上近づくな。火の粉がかかるぞ」
「ふん……退く」
兵士たちは踵を返し、森へと戻っていった。
が、その中に。
その中に――いた。
ファナの金の瞳が、暗がりの中で、ある顔を捉えた。
(……嘘、でしょ……?)
背が高く、肩に弓を背負った男。その長い黒髪と、斜めに走る額の傷痕――忘れるわけがない。
「……レオン……?」
ラゼンの森で「英雄」と呼ばれ、皆の憧れだった青年。
笑えば皆がつられて笑い、誰より仲間想いで、誰より強かった“あの人”。
彼が……帝国の軍にいた。
ファナの声は誰にも届かず、彼の目もこちらを一度も見なかった。
けれど。
――最後、彼の背中がふと、止まった。
一瞬、森の闇に消える前。
ほんの一瞬だけ、彼は“こちらを見た”気がした。
目が合った……と、思った。
けれどそこに、かつての微笑みはなかった。
「……ファナちゃん! どうしたの!?」
レリアの声に我に返ると、ファナはその場に膝をついていた。
カイルが駆け寄り、肩を支える。
「誰を見た?」
「……知ってる、ひと……だった。仲間だったの……でも……帝国に……なんで……!」
答えはなかった。
ただ、遠ざかる影がひとつ、今も脳裏に焼きついて離れない。
その夜、三人は言葉少なに眠りについた。
焚き火の炎が静かに燃え続ける。
ファナの手には、昨日市場で手に入れた青いブレスレットが握られていた。
だが今夜だけは、その祈りが届くとは思えなかった。
(……レオン……どうして……?)
風が、焚き火の炎をひとつ、揺らした。




