第三十五章:揺れる夜、微笑みの朝
夜明け前の峠の宿は、まだ深い静けさに包まれていた。
木造の建物が軋む音と、時折遠くで鳴く鳥の声以外は、何も聞こえない。だが、その静寂は唐突に破られた。
――ガタン。
窓の外、誰かの足音。そして次の瞬間、宿の扉が力任せに破られた。
「来たか……っ!」
目を覚ましたカイルがすぐに剣を抜き、レリアはすでにファナの体をかばっていた。
「敵よ、複数!数は……五、六人?帝国の兵じゃなさそうね、でも動きが訓練されてる……傭兵?」
「どっちにしても容赦しなくていいな」
カイルがそう呟いた時、ファナは震える手で短剣を手に取った。
心臓が早鐘を打つ。脚はすくみ、喉は乾いている。それでも、逃げようとは思わなかった。
「……やる、やるの……私も……!」
声は震えていたが、目の奥には確かな決意が宿っていた。
敵が部屋に侵入する寸前、カイルが前に出て迎撃する。
レリアは魔術で敵の足を縛り、動きを封じた。ファナは隙を見て、一人に飛びかかる。
「っ……!」
短剣を振る。しかし勢いだけで斬れるものではない。
敵の刃がかすめ、肩に浅い傷が走った。痛みよりも、自分の非力さに涙がにじみそうになる。
だが、カイルの声が飛ぶ。
「引くな、踏みとどまれ!力じゃない、狙いと意志だ!」
ファナは必死に相手の動きを見た。そして、刃ではなく足を狙い、一撃を与える。
「きゃっ……!」
敵が体勢を崩し、レリアの炎の矢がとどめを刺した。
戦いは数分で終わった。傭兵たちは誰も生き残らず、動機は不明のまま。
しかし、誰も無傷ではなかった。カイルの頬には薄く血が滲み、レリアも息を荒げていた。ファナは手にした短剣を落とし、その場に膝をついた。
「……終わったの?」
レリアが静かに頷く。
「ええ、よくやったわファナ。あなた、初めてだったのに……」
ファナの手は震えていた。だが、彼女は泣かなかった。
「怖かった……けど、逃げたくなかったの。二人が、いてくれたから……」
カイルは何も言わず、ただその肩に手を置いた。
ファナはこくりと頷いた。そして、ふと胸元にある包みを見つけた。
それは昨夜、誰かが宿の扉の下に差し入れていった小さな巻物だった。
「これ……なんだったんだろう……?」
広げてみると、それは“森の記憶”に関する古文書の写しだった。
そこには、ラゼンの森に伝わる精霊の話、そして“最後の巫女”についての一節が記されていた。
『森は、まだ終わっていない』
その文を読んだ瞬間、ファナの胸の奥に、何かがふっと灯った。




