第三十四章:静かなる決意
陽が傾きかけた頃、三人はようやく峠の宿にたどり着いた。
石造りの建物は古びてはいたが、しっかりとした造りで、暖かな光が窓からこぼれていた。
「はぁ……ようやく……」
ファナはローブのフードを外し、大きく息を吐いた。
長い道のりを歩いた疲労が全身に染みていたが、それでも目に浮かぶ宿の灯りに、どこか心が安らいでいた。
宿の主は、無愛想だが悪い人間ではなかった。事情を多く聞くこともなく、三人に部屋と食事、風呂の用意をしてくれた。
一息ついた夕暮れ時、カイルは背中に剣を担ぎながら言った。
「少しだけ、外で稽古でもしておくか。ファナ、来い」
「……えっ、わたしも?」
「ああ。いざって時、また『助けられるだけ』じゃ納得いかないだろ」
ファナは一瞬戸惑ったが、すぐにレリアが背中を押してくれた。
「大丈夫よ。私も見ててあげる」
宿の裏手には、小さな木立に囲まれた広場があった。風が静かに葉を揺らし、空には夜の帳がゆっくりと降りていく。
「まずは構えから教える。力は要らねぇ。足と目を使え」
カイルは一本の木の枝を剣に見立て、構えの姿勢を教え始めた。
ファナはぎこちないながらも真剣に真似た。何度も構えを崩しながら、何度もカイルに直されながら、それでも諦めずに繰り返す。
「……こう、かな」
「おう、悪くない。だが肘が甘い。敵はここを狙う」
「う、うん……っ」
レリアが横で拍手を送るたびに、ファナの目が少しずつ光を帯びていった。汗が額を伝い、夜風が頬を冷やす。だが、彼女は下を向かなかった。
しかし、しばらくするとカイルが腕を組んで首をひねった。
「……ふむ、やっぱりな。剣はお前にはちと重すぎるかもしれん」
「えっ……」
「剣に振り回されてる。動きが剣に引きずられてるんだ。お前の体格じゃ、長物は相性が悪い」
ファナは少し肩を落としたが、カイルは続けた。
「落ち込むな。戦い方は一つじゃねぇ。……短剣だ。お前にはそっちの方が合ってる」
「短剣……」
「軽い分、素早く動ける。体の小ささと速さを活かすなら、そっちの方が生きる」
レリアが頷いて補足する。
「そうね、ファナの動きは軽いし、敏捷性もあるわ。武器に振り回されるより、自分の身体に合ったものを使った方がいい」
ファナは目を見開き、再び真剣な顔で頷いた。
「……やってみたい、短剣」
「よし、明日には手に入るようにしよう」
一通りの稽古を終えた頃、ファナはふと空を仰いだ。星が、少しだけ瞬いていた。
「……ねぇ、カイルおにーさん、レリアおねーさん」
「ん?」
「わたし、もし帝国に見つかっても……もう、逃げるだけじゃなくて……立ち向かえるようになりたい」
カイルは黙って、彼女の頭を軽く叩いた。
「そう言えるなら、もう半人前だ」
「……まだ半人前かぁ」
「まずはそこからだ」
レリアは目元をぬぐいながら微笑んだ。
「立派になったわ、ファナ。ほんの少し前まで、震えて声も出せなかったのに……」
三人はその夜、疲れた体を風呂で温めた後、素朴な宿の食事を囲んで静かに過ごした。
パンとスープ、少しの野菜と干し肉。特別ではないけれど、安心する味だった。
部屋に戻ると、窓辺に一枚の封筒が置かれていた。
「……これ、誰が……?」
カイルが中身を確かめると、古びた紙が数枚、丁寧に折られて入っていた。
その一枚には見覚えのある筆跡があった。
レリアが紙を広げて読む。
『ファナ・ラムゼリア殿へ。これは貴女に託すべき“鍵”の一部です。
森の記憶は眠りではなく、再生の始まり。道を誤らぬよう願っています。
―ザイロ・フェルドナー』
ファナは思わず息を呑んだ。
紙には古語で記された断片的な言葉の羅列。けれど、どこか懐かしく、心の奥に響く響きがあった。
「これ……森の言葉……」
「読めるのか?」
ファナは頷く。
「なんとなく、わかる気がする……夢で、何度も聞いた……この音」
カイルとレリアは言葉なく頷いた。新たな旅の始まりが、またひとつ形を変えて迫っているのだと、三人とも直感していた。
静かな夜の中、風が窓を叩いた。
それは、森の記憶が再び目覚める合図だった。




