第十九章:闇より現るもの--闇を裂く刃
夜の森は沈黙していた。
焚き火の灯が赤く揺れるたび、草むらの影が怪しく伸び縮みする。
何かが、そこに“いる”。
ファナは両手で胸元を押さえ、震える息を殺していた。
毛布の上からでも伝わってくる、ぞわりと肌を撫でる冷たい気配。
鼓動が速くなり、猫耳がぴくぴくと音を探る。
「……これは、ただの獣じゃないな」
カイルが低く呟き、腰の剣を静かに抜いた。
焚き火の光が刃に反射し、赤くきらめく。
カイルの視線は森の奥、風が動いた方向へ向いている。
「ファナ、レリアのそばを離れるな」
「ええ、わかってるわ」
レリアは即座にファナの前に出るように立ち、腕を広げるようにして庇う。
その手には薬師用の短杖が握られ、震えてはいない。
医師でありながら、戦う覚悟はとうに出来ていた。
ファナはレリアの背を見つめながら、小さく囁いた。
「……あれ……見たことがある……ラゼンの森で……“あれ”に近い何かが……」
「帝国の実験体か? それとも、もっと……古い何かか」
カイルが目を細めた。
周囲には虫の声もない。ただ、ざらざらと土をこするような音だけが、断続的に聞こえていた。
闇の中に、形のない気配がうごめいている。
それは、明確な殺意ではなかった。
けれど、近づいてくる“確かさ”があった。
「カイル……来る……!」
ファナが恐怖に声を詰まらせながら言ったその時、闇がわずかに裂けた。
赤く光る、点のような何かが──複数、森の中に浮かぶ。
それは目なのか、瘴気の火なのか、それすら判別できない。
だが確かなのは、何かが彼らを見ているということ。
「……全員、絶対に動くな」
カイルの声が、鋼のように鋭く、張り詰める。
ファナはレリアの背に縋るようにして小さく身を寄せた。
尻尾が震え、喉の奥から小さな息が漏れる。
(あれは……“人じゃない”……!)
絶望が再び、心の扉を叩こうとしていた。
だがその夜、闇に現れたものは――まだ何も語らず、ただ見つめていた。
森の奥から、それは現れた。
常軌を逸した形だった。
人でも、獣でもない。
硬質な骨のような外皮に、無数の赤い光が走る。
目とも神経ともつかぬ“何か”が、まるで炎のようにうごめいていた。
ファナはレリアの背後に隠れたまま、声を失っていた。
「――来るぞ!」
カイルが吠え、剣を振るう。
異形の魔物は地を這うような姿勢で突進し、その動きは異常なまでに速かった。
カイルの剣が火花を散らす。
だが、斬ったはずの箇所はすぐに“再生”する。
血は流れない。肉も見えない。ただ、形が崩れてもすぐに戻る“模造された命”のようだった。
「……こいつ、ただの魔獣じゃねぇ! 人の技術が混ざってる……!」
カイルは剣を横に薙ぎ、次の一撃を防ぐ。
地面がえぐれ、焚き火が吹き飛ぶ。
レリアはファナを抱えるようにして身を低くした。
「ファナ、大丈夫!? しっかり、意識を保って!」
「……う、うん……でも、カイルが……!」
「アイツは死なない。だから私たちは、信じて任せるの!」
異形の魔物は獣のような咆哮を上げ、地面を引き裂く。
その尾のような器官が鋭く跳ね、鋼のような刃となって襲いかかる。
カイルがぎりぎりでそれをかわす。
「ハァッ――!」
一瞬の隙に、渾身の一撃を魔物の“目”と思しき箇所に叩き込む。
骨が砕けるような音が響き、魔物は叫び声のような震えと共に体勢を崩した。
「……今だ、消えろ!」
カイルの剣が、再び閃光のように走る。
魔物の胴を斜めに裂き、闇の中へと吹き飛ばした。
地に倒れた魔物は、呻くように震え、やがて……そのまま、音もなく消え去った。
霧のように崩れ、痕跡すら残さない。
数秒の静寂。
その場には、再び焚き火の名残と、三人の荒い息だけが残った。
ファナは膝をつき、レリアに支えられながらカイルの姿を見つめる。
「……カイル!」
男は肩で息をしながら、剣を鞘に納めた。
「……無事か」
そう問いかける声は、掠れていたが、確かに彼らを気遣うものだった。
ファナは、初めて気づいた。
戦いの最中も、彼の視線はずっとこちらを捉えていたことを。
それは、ただの傭兵の役割ではなかった。
確かに「守ろう」とする意志だった。
震えながらも、ファナは微かに目を見開いた。
(この人は、命を懸けて――私を、守ってくれてる)




