第十七章:焚き火の傍で、少しだけ
夜が深まり、星々が頭上に瞬いていた。
焚き火は静かに燃え、辺りには木々が奏でる微かな葉擦れの音が響いていた。
エリオットが森の中に消えてから、時間はゆっくりと流れていた。
三人だけの、静かな時間。
レリアは小さな鍋で干し野菜のスープを煮ていた。
薬草と塩をほんの少し加えた簡素なものだが、湯気の立ち上る香りはどこか温かかった。
その横でカイルが小さなパンを温めていた。
手つきは無骨だが、慣れていた。
戦場の合間で鍛えられた、必要最低限の生きる技術。
ファナは火の向こう側で、膝を抱えながら座っていた。
焚き火の光が銀灰の髪を照らし、横顔に淡い影を落とす。
レリアがふと、ファナの方に視線を向けた。
「……気づいてた?」
「ん?」
カイルがパンをひっくり返しながら返す。
「ファナが、私たちと出会ってから……一度も、笑ってないの」
その言葉に、カイルの手がぴたりと止まった。
「……確かに。声を出して笑ったどころか、微笑んだ顔も、見てねぇな」
ファナはそれを聞いても、反応しなかった。
けれど、焚き火を見つめる瞳が、わずかに揺れた。
レリアはそっと言葉を継いだ。
「仕方ないのよ。家族も、村も、命ごと焼かれて……きっと心の中にまだ、夜が続いてるのよ」
「……夜明け前ってやつだな」カイルが低く呟いた。
「だから、少しでも……何か、軽くなること。ほんの一つでも……」
レリアの声は優しく、火のように穏やかだった。
彼女は鍋をかき混ぜながら、ふと笑って言った。
「ねぇ、ファナ。年齢って、いくつなの?」
ファナは目をぱちくりと瞬いた。
少し戸惑ったように顔を上げ、か細い声で答える。
「……十八」
カイルがパンをひっくり返しながら、ぼそっと呟いた。
「獣人は人間より成熟早いんだっけか。じゃあ、人間換算だと……十五、十六くらいか?」
「そうね。身体は大人びてても、心は……まだ幼さを残してるくらい」
ファナはまたうつむいたが、どこか照れくさいような、落ち着かないような空気が彼女の周りに漂った。
レリアはさらに問いかける。
「好きな食べ物は? 森にいた頃、何が一番好きだった?」
ファナは、答えに少し迷ってから、ぼそっと呟く。
「……焼き果実。リッカ……弟とよく作ってた」
「果実を焼くの? どんなの?」
「……小さい実を、葉っぱで包んで、火に入れて……甘くなるの」
レリアは目を輝かせた。「おいしそう! 今度試してみたいな」
カイルは少し肩をすくめて笑う。「森の飯は知らねぇが、焦げなきゃ何でもうまいだろ」
ファナの肩が、わずかに震えた。
その震えが、笑いか、それとも感情の揺らぎかは分からなかった。
けれど、レリアもカイルも、それに気づいていた。
レリアがさらに続ける。「他には? 趣味とか……よくしてた遊びとか」
「……編み物。木の皮とか草の茎で、縄とか作るの。……夢中になれるから」
「なるほどな。器用な手してると思ったよ」と、カイル。
「何か作るのって、いいわよね」と、レリアも頷く。「心が静かになれるし」
ファナは少しだけ火を見つめたまま、ふっと小さな吐息を漏らした。
(……こうして話すのも、悪くない)
それは、まだ笑顔ではなかった。
でも、重く垂れていた心の扉が、ほんの少しだけ開いた音がした。
焚き火は、優しく揺れていた。
それはまるで、夜の中にある小さな灯火。
いつか彼女の心に、本当の笑顔が戻るまで、絶えず燃え続けるであろう温もりだった。




