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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第一部

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第十四章:冷たい眼差しの村

挿絵(By みてみん)

山道を越えた先に、小さな村があった。

木造の家々が寄り添うように並び、畑には初夏の作物が揺れている。

鳥の声とともに、家畜の鳴き声、木槌の音、子どもたちの笑い声がかすかに混じっていた。

「ここなら、少しは補給ができそうだな」

とカイルが言った。

「食料と水を……あと、薬草も少し必要ね」

レリアが頷き、肩にかけた小さな袋を確認する。

ファナはその二人の少し後ろを、うつむき加減に歩いていた。

村の入口を通った瞬間——その空気が変わった。

視線。無言。冷たい風のような沈黙。

門前の農夫が、手に持っていた鍬を止め、目を細めてこちらを睨む。

小さな子どもが母親の裾を引いて何かを囁き、母親は即座にその子の肩を抱いて家の中に連れ戻した。

ファナはそれを、よく知っていた。

あの森を失って以来、幾度も感じた、人間たちの視線。

「また、これだ……」

猫耳を覆い隠すようにフードを深く被り、尻尾を腰布に包んでいたとしても、その違和感を人は敏感に察する。

「……おい、そこの連中……」

 粗末な槍を持った初老の男が、村の中央から歩み寄ってきた。

傍らには若い男たちが数人、石を手に持ち、警戒するように構えている。

「獣人を連れて何の用だ? ここは“帝国に従う村”だ。そんなのを見逃せば、こっちが疑われる」

「私たちは追われてるわけじゃない。通りすがりで、少し物資を……」

レリアが丁寧に言葉を選びながら答えるが、その言葉は届かない。

「黙れ。こっちは平穏に暮らしてるんだ。余計な火種は御免だ。さっさと通り抜けて、他所へ行け」

カイルが一歩前に出ると、周囲の男たちは一斉に身構えた。

彼は短く吐息をつき、視線だけで睨み返す。

「争う気はない。ただ、道端で死ぬのは避けたい。それだけだ」

しばらくの沈黙の後、年老いた男は手を振って村の奥を指した。

「水場だけ使っていい。買い物は……せいぜい干し肉と塩があるくらいだ」

それだけ言うと、彼は背を向けた。

レリアとカイルが先に歩き出す。

ファナは一歩も動けなかった。

全身が冷たい鉄で覆われたような感覚。喉が渇いているはずなのに、何も感じない。

視界がぼやける——いや、涙だった。

誰のせいでもない。何度も言い聞かせた。けれど、その言葉では心の芯は動かなかった。

そのとき——

「……ファナ」

低く、穏やかな声が耳元に落ちた。

カイルだった。

振り返ったファナの目は、うっすらと赤くなっていた。

「ここを出たら、もうすぐ夕暮れだ。人気のない場所を探そう。そこで少し休もう。……な?」

ファナは、こくりと頷き、カイルのコートの裾を掴んだ。

その手は、小さく震えていた。

村の中心部へ向かう道すがら、ファナは突然足を止めた。

「……私、ここで待ってる」

その声に、レリアとカイルが同時に振り返る。

「ファナ?」

レリアが心配そうに問う。

ファナは視線を逸らし、村の外れの木陰を見つめていた。

猫耳を隠すフードの奥、その瞳はどこか伏せたように濁っている。

「……さっきの人たちの顔、見たでしょ。あんな目、また向けられるくらいなら……」

口元がわずかに歪んだ。苦笑とも、諦めともつかない表情。

「私が一緒に歩いたら、余計に嫌な思いをさせちゃう。だから……買い物は、レリアたちで行って。私は……ここで待ってる」

レリアはすぐに何かを言いかけたが、カイルがそれを制した。

「……わかった。じゃあ、ここで休んでろ」

「……カイル?」

と、レリアが振り返る。

「こいつがそう決めたなら、それでいい。だがファナ――」

カイルは静かにファナの目を見た。

「このままずっと下向いてたら、首が痛くなるぞ」

一瞬、ファナはぽかんとした表情になり、そして思わず小さく笑った。

「……うん」

それは、ほんのかすかな変化だった。でも、確かに彼女の中で何かが揺れた。

レリアが微笑んで頷く。

「じゃあ、すぐ戻るね。何か欲しいものは?」

「……甘いのが、少しあったら……嬉しいかな」

「任せて」

そう言って、二人は村へ向かった。

ファナは木の根に腰を下ろし、空を見上げる。

遠くで笑い声が聞こえた。自分の居場所ではない場所から。

でも、それでも。

今は、少しだけ……この距離感が心地よかった。

村の外れ、木陰に腰を下ろしたファナは、膝を抱えてじっと風を感じていた。

空は曇りかけていて、涼しい風が木の葉を揺らしていた。

レリアとカイルは村の中へ買い物に向かった。

少し前までなら、寂しさが先に立っていただろう。

でも今は、それとは違う“重さ”が胸に沈んでいる。

──ひとりになった時間。

それは時に、記憶の扉を不意に開いてしまう。

ファナの瞳が、ふと遠くを見つめたまま揺れ始める。

(……あの時のこと、思い出す)

ラゼンの森が焼かれ、必死に弟と共に逃げた夜。

炎と悲鳴の中、誰かが倒れ、誰かが泣き叫ぶ音が響いていた。

茂みを抜けたその先で、待ち構えていた帝国兵。

弟を逃がそうと身を翻した瞬間、背後から太い腕が肩を掴んだ。

「お前……生きてるじゃねぇか。よし、賞金ものだ……」

耳元で吐かれたその言葉と、無理矢理地面に押し倒された感覚。

背中の草の冷たさ、服をつかまれたときの嫌な力強さ。

叫んでも、誰もいなかった。

──あのとき。

ファナは、無我夢中で爪を立て、噛みついて、蹴って、喉を突いて逃げ出した。

それ以来、男の影が近づくだけで、身体がこわばるようになった。

震えが止まらない。

(……怖い。今でも、思い出すたびに、吐きそうになる)

膝に額を押しつけながら、ファナは浅く、早い息を繰り返した。

でも。

カイルの顔が浮かんだ。

戦い慣れた傭兵。鋭い眼差し。誰にも媚びない態度。

時にぶっきらぼうで、不愛想で、でも……

(でも、あの人は……あの人だけは……)

一度も無理に触れようとはしなかった。

威圧もせず、命令もせず。

ただ、危ないときに前に出てくれて、震えている自分にそっと立ち位置を譲ってくれた。

(……怖くない)

小さな声が心の奥から漏れた。

(本当は……ずっと、誰かを信じたかった)

焚き火の前でカイルが見せた、あの安らかな寝顔。

レリアが抱きしめてくれた、柔らかな腕のぬくもり。

(あたし……あの二人といると、少しだけ……眠れる)

風が、また吹いた。

ファナはゆっくりと顔を上げ、空を見上げた。

曇り空の切れ間に、わずかに光が差していた。

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