第十二章:――交錯する刃の狭間で
霧がかかる山の尾根を、三人の影が静かに進んでいた。
夜明け前の冷気が肌を刺す。岩陰に身を寄せながら、カイルが足を止めた。
「……追ってきてるな」
レリアは息を呑み、ファナが緊張に耳を立てる。静寂の中、足音は確かにこちらに向かっていた。
「三人だ。手分けして追跡してるんだろう。まだ包囲されてはいない」
カイルの声は低く冷静だったが、その眼には戦士の鋭さが宿っていた。
「レリア、左に回って一人を引き付けろ。俺は右だ。ファナ――」
ファナの耳がぴくりと動いた。銀灰の髪が風に揺れる。
「……私も戦える」
「本気で言ってるのか?」
カイルの声に棘はなかったが、問いは重かった。
ファナは震える指で鞘を握った。
「戦わなきゃ、また誰かを失う……だから……!」
カイルは目を細め、わずかに頷いた。
「死ぬな。レリアも、お前も」
直後、茂みが割れ、黒鎧の帝国兵が突っ込んできた。光の反射で鋭く光る剣――ガルミア帝国の魔導歩兵だ。
三人は一斉に散開した。
ファナの前に現れた帝国兵は、筋骨隆々とした中年の男だった。
顔の半分に火傷の跡が残り、鎧には無数の血痕が染み付いている。
かつてのラゼン襲撃部隊の生き残りだ。
「お前か……“銀の猫”と呼ばれた獣人の娘は。思ったより小さいな」
ファナは返事をしなかった。足が震え、息が浅くなる。だが、剣は離さなかった。
「おとなしく来れば、殺しはしない……多分な」
男が踏み出す。その一歩の重さに、ファナの本能が叫んだ。
逃げろ、と。
だが、背を向けた瞬間、全てが終わると分かっていた。
「やあっ――!」
振るった剣は、空を切った。重い金属音。帝国兵が片手で弾いた。
「ふん。甘い!」
剣の腹で殴りつけられ、ファナの身体が地面に叩きつけられた。息が詰まる。視界が霞む。
それでも、必死に立ち上がる。
「私が……生きてる意味は……」
歯を食いしばり、血の滲む唇から声を絞り出す。
「ここで……倒れるわけには……いかない!」
同じころ、レリアは森の斜面で男の兵士と対峙していた。
医師の手でありながら、細身の短剣を持つその姿は、獣のように鋭く――だが傷つくことを恐れてはいなかった。
「貴様ら獣人の仲間か!」
「……人の形をしていても、心が獣なら、あなたたちこそ“化け物”よ」
そして――
カイルは山の尾根で、素早く動く女兵士と刃を交えていた。互いに一歩も引かぬ攻防。
だが、カイルの方が上手だった。瞬きの隙に女兵士の剣を弾き飛ばし、喉元に刃を突きつける。
「……引きたきゃ、今だ」
女兵士は目を細め、そして素早く後退した。残るは――
ファナの前の、あの男。
「終わりだッ!」
男が剣を振りかぶった――その瞬間、火花が飛んだ。
「――どけ」
カイルの声とともに、横から弾き込まれる斬撃。二本の刃が交差し、金属が裂ける音が響いた。
「ちっ、もう一人か!」
帝国兵はカイルと対峙したあと、舌打ちして後退する。「次はないと思え、“銀の猫”……!」
男が森の闇に消えるのを見届けた後、ファナはその場に崩れ落ちた。
焚き火の灯りが揺れる。
誰も責めはしなかった。レリアはファナの傷を丁寧に拭い、カイルは何も言わずに遠くを見つめていた。
「……私は……」
ファナが小さく口を開いた。
「まだ、怖い……でも……」
そして、レリアがその手をそっと握る。
「怖がっていいのよ。私たち、いるから」
ファナの肩が震えた。
だが、その震えは、恐怖だけではなかった。
それは、自分がまだ――誰かと一緒に歩いていいのだと、ほんの少しだけ思えた証。
彼女の心に、小さな灯が灯る。
それは戦いの中でも決して消えない、希望という名の灯だった。




