第八章:出会いと焚き火の灯
山間の夜は冷え込み、木々のざわめきすら凍りつくような静寂を宿していた。
帝国の追手から逃れるため、ファナとレリアは舗装のない獣道を西へ西へと進んでいた。
昼は人の目を避け、夜に行動する。だが、そんな無理な旅が続いていたせいで、レリアの足は限界を迎えていた。
「……ちょっと、休みましょう。足が……」
レリアが木に手をついてしゃがみ込む。ファナも黙ってその場に腰を下ろした。月明かりが細く山道を照らし、風の音が耳を撫でる。
そのときだった。
「……道を塞ぐなよ、嬢ちゃんたち」
低くも無愛想な声が、闇の向こうから響いた。
二人が顔を上げた先に立っていたのは、剣を背負い、無精髭を生やした青年だった。
肩には獣皮のマントを羽織り、腰には使い込まれた剣。
見るからに傭兵風の男だった。
ファナは即座に反応した。腰の短剣を引き抜き、レリアの前に立つ。
「誰……?」
銀灰の髪が月光を反射し、彼女の瞳が警戒に光った。
しかし、その男はちらりとファナを一瞥すると、面倒くさそうに片手を上げて言った。
「興味ねぇよ。俺は通りすがりの傭兵だ。逃げも隠れもしねぇ」
だが、その瞳は一瞬だけファナの腕へと向いた。
剥き出しの腕には、癒えきらぬ火傷の痕。顔に浮かぶ緊張と怯え。
「……安心しろ。お前を“連れて帰って金にする”ようなヤツじゃない」
その一言に、ファナの動きが一瞬止まった。
心の奥底に閉じ込めていた恐怖が、思いがけず言葉にされ、戸惑いが生まれた。
レリアが前に出て、男へ口を開く。
「あなた……名前は?」
「カイルだ。帝国とは縁がねぇ。むしろ、あいつらにゃ少々借りがある」
カイルは興味なさげに言いながらも、ファナをちらと見る。
「そっちの猫耳の嬢ちゃんが人嫌いでも、あんたが医者なら旅の役には立つ。護衛が欲しけりゃ雇ってく
れ」
レリアはファナを見る。ファナは剣を納めるが、表情は固いまま。
「……彼を信じていいの?」
「今は、私たちだけじゃ遠くまで行けない」
結局、カイルはその夜から二人に同行することとなった。
焚き火の灯が揺れていた。
山中の小さな洞窟の中。カイルは外に罠を仕掛け、簡単な野営を整え、焚き火の前で眠っていた。大の字で寝る姿に警戒のかけらもない。
ファナはその様子を、少し離れた岩陰からじっと見つめていた。
レリアは寝息を立てている。
自分だけが、起きている。起きてしまっている。
あの男、カイル。
(何なんだろう……あの人)
最初は警戒しかなかった。
だが、話しているうちに、彼は必要以上に近づいてこないことに気づいた。
目線も、声の調子も、どこか他人との距離を計っているようで。
(本当に、私を売るつもりは……ないの?)
耳が少しだけ震えた。
焚き火の揺らぎが、眠るカイルの顔を照らす。
その顔には、深く刻まれた傷と、疲労の色。
そして……不思議な安らかさがあった。
(変な人……なのに、少しだけ……)
ファナは眠る彼の横顔を見ながら、初めてほんのわずかに心がほどけるのを感じた。
その夜、彼女はレリアの隣に丸まりながら、焚き火の光を見つめていた。
あたたかい……と、思ってしまった。




