プロローグ:風は西から
この大陸—ユリア大陸は、かつて七つの王国と無数の自由都市によって構成されていた。
文化も宗教も異なるそれぞれの地は、互いに干渉せず、緩やかな均衡を保っていた。
しかし、百年ほど前に現れた一つの勢力が、その均衡を破ることになる。
それが、ガルミア帝国。
かつて辺境の山岳部族だった彼らは、鉄と蒸気を手に入れ、驚異的な速度で周辺の諸国を併呑していった。
帝は「調和による統一」を掲げながらも、征服された国々には重税と圧政が敷かれ、多くの民が虐げられた。
そして今—その拡大の矛先は、大陸南東部の未踏の領域、「翠の盾」と呼ばれる自然地帯に向けられている。
その中にあるのが、ラゼンの森。
大樹が連なり、霧と水が豊かに巡るこの森は、古くから「神の息吹が宿る」と伝えられ、人間たちの手がほとんど及んでこなかった。
それは単に地理的な困難ゆえではない。
この森には、人間とは異なる種族、すなわち“獣人”たちが独自の社会を築き、静かに暮らしていたからだ。
彼らは争いを好まず、他の文明との接触を避けてきた。
外の世界から見れば、まるで“忘れられた民”であったかもしれない。
しかし、ラゼンの森は決して滅びた地ではなかった。
そこには確かに命が息づき、独自の文化が守られ続けていた。
だが、ガルミア帝国にとって、そんな“辺境の静謐”は見逃すには惜しい資源の宝庫だった。
豊かな木材、薬草、獣皮、そして労働力。
帝国の商人や軍部の一部は、すでに密かに森の周辺に拠点を築きつつあった。
森の外側には、かつて小王国だったが、帝国に併合されたミルザ辺境領が広がっている。
そこでは人々の暮らしは疲弊し、古い文化や信仰は粛清されつつある。
しかし同時に、帝国の支配に疑問を抱き、密かに抵抗の芽を育てる者たちも現れ始めていた。
そんな中— 森に生きる一人の少女、ファナ・ラムゼリアの物語が始まろうとしている。
彼女はまだ知らない。
自らの小さな願いが、やがて世界の運命を左右するほどの大きな選択につながることを。




