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クールを気取って距離を縮めてくる後輩女子の策略が、妹を通じて俺に筒抜けな件について  作者: 古野ジョン
第一章 クールな後輩との出会い

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第50話 出走直前

「私には――憧れの人がいます」


 肩を組んでいる後輩が、たしかにそう言った。悠が憧れる人。それが誰なのかを考えると、なんだか心がモヤモヤする。……ああ、そうか。やっぱり俺は悠が好きなんだな。


「先輩?」

「いや、いい。続けて」


 左手を出して、話すように促す。悠はさらに口を開いた。


「その人は、私が出来なかったことを成し遂げました。私が絶対に無理だと思っていたことを、軽々とやってのけました」

「出来なかったこと?」

「はい」


 となると、何かの偉人に憧れているのかな? それともスポーツ選手? ……いや、違うか。そんな()()()な憧れを抱くような人間ではないだろう。


「小さい頃から、私には越えられない壁がありました」


 ピンと来た。小さい頃から悠が越えられなかった壁。そんなの一つしかないだろう。


「お姉ちゃん……いや、最上春という人です。言ってしまえば、あの人は私の上位互換でした」

「上位互換って、そんな」

「私より足が速くて、私より点数が高くて、私よりたくさん頭を撫でられていました。最上家の長女として、何一つ欠点のない人でした」


 悠がそう言い切った瞬間、一段と大きい歓声が巻き起こる。どうやら部活対抗リレーの決着がついたらしい。前の方にいる係員が大きな声を張り上げている。この余韻が冷めれば、いよいよ俺たちの番。


「子どもの頃から、あの人は望むものを全て手に入れていました。私はせいぜい余り物を受け取るだけ」

「悠……」

「私はあの人を羨ましく思っていました。いえ……妬んでいました」


 気取らず、はっきりとそう言った。嫉妬という感情にはある種の醜さを伴う。しかし、悠は隠すことなくそれを開示したのだ。この後輩は並々ならぬ覚悟で口を開いているのだと、俺は悟った。


「自分を変えたいとは思っていました。あの人を妬むのはやめて、超えるために努力をしないといけないんだって、分かってはいたんです」

「うん」

「だけど、心のどこかで諦めていました。私が一段登っている間に、あの人は百段分も上に進んでいたので」


 決して大げさな比喩ではなく、本心からそう思っているのだろうな。最上春という壁はあまりにも厚く、高い。赤の他人である俺だってそう思うのだから、身近で見ていた悠はなおさらそのことを感じていたはず。


「二人三脚に出場される方、前へどうぞー!」

「あっ、はい!」


 実行委員の声に、思わず反応してしまった。俺たちもそろそろ行かなければ。だけど――悠の話はまだ終わっていない。


「先輩、その……」

「大丈夫だよ、まだ始まらないから。落ち着いて」

「は、はい」


 悠は一度大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。最後まで話を聞かずにスタートすることなんて出来ないよな。


「……そう、諦めていたんです。なのに」

「なのに?」

「憧れの人は、突然現れました」

「!」


 思わずピクリと反応してしまう。悠が憧れた人間、とは誰なんだろう。


「記憶の限りだと、あの人が……望んだ物を手に入れられなかったことは一度しかありません」

「それって――」

「南中の生徒会選挙で、詩音先輩が勝った時です」


 ――鳥肌が立つような心地だった。悠は俯いたままで、どんな表情をしているのかは分からなかった。だけど、もう説明なんかいらない。


 悠が憧れていた人間は、俺だったんだ。


「あの人を超える。それは自分にはとても出来ないことでした」

「じゃあ、俺は――」

「やっぱり、先輩は雲の上の人です」


 その時、悠がゆっくりと左脚を動かし始めた。それに従って、俺も右脚を動かす。レースが始まるまで、もう僅かな時間しか残されていない。


「文芸部さん、お急ぎでお願いしまーす!」

「あっ、はい!」


 俺たちは息を合わせて歩いていく。スタートラインに就き、改めて肩を組むと、悠が再び口を開いた。


「お姉ちゃんは嘘をつく人間じゃありません。きっと、さっき先輩に言ったことも本心だと思います」

「本心?」

「噂をかき消すって話です」

「ああ、なるほど」

「でも、お姉ちゃんが先輩を欲しがっているのも……たぶん本当です」

「……つまり?」

「お姉ちゃんは――噂をかき消したうえで、先輩を手に入れるつもりなんだと思います」


 そう言うと、悠はぐっと姿勢を低くした。実行委員がスターターピストルを用意しているのが見える。本当に始まりの時が近い。


「そろそろスタートでーす!」


 実行委員が合図している。俺たちは一番左のレーンで、じっと始まりの瞬間を待っている。ふと右を見ると、悠はどこか緊張したように表情を硬くしていた。


 俺には春先輩の考えは分からない。どうしてわざわざ噂を払拭させようとしているのか、それも分からない。……でも、分からないことに縛られるのは――もう嫌だよな。


「悠」

「はい?」


 静かに呟く。悠は、俺に憧れているのだと言ってくれた。春先輩を超えた俺という人間に。でも――俺に出来て悠に出来ない、なんてことはないはず。


「悠だって、春先輩を超えることは出来るよ」

「えっ?」

「二人で頑張って走ってさ、春先輩に見せつけてやろうよ!」

「詩音先輩……」


 俺の肩を掴む力が、僅かに強くなった気がした。どうせ選択肢は限られているんだ。今俺たちがすべきことは、レースを最後まで走り切ることだけ。


「位置について! よーい!」


 身体にぐっと力をこめる。俯き気味だった悠は、しっかりと顔を上げて前を向いていた。今年の体育祭もいよいよ大詰めだな。


「詩音先輩」

「ん?」


 悠が小さな声で呟いた。よく聞こうと思い、耳を澄ませる。すると、悠は力強く言葉を紡いだ。



 ――絶対に、勝ちましょうね。



 グラウンド中に、号砲の音が鳴り響いた。

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