第46話 相合傘
「ね、ねえ。そろそろ終わりにしたら……?」
「そうだね、柚希。終わりにしよっか」
「そっ……そうか……」
涼しい顔の悠に対して、膝に手をついてうなだれる俺。すっかり日が沈み、街灯のみが公園を照らすようになった頃、ようやく悠が練習を終える気になったようだ。
「おにい、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫……」
柚希が心配そうに俺の肩に手を置いた。柚希はともかく、悠よりは体力があると思っていたんだけどな。いったい何が悠を駆り立てたんだろう……。
「あっ」
「ん?」
不意に柚希が声をあげた。つられて空を見上げると、ぽつぽつと雨粒が落ちてくる。天気予報のお姉さんは夜も晴れるって言ってたのにな。
「降ってきたな。早く帰ろうか」
「おにい、傘持ってる?」
「いや、晴れだと思ってたから」
「折り畳み傘持ってるから、一緒に入る?」
「ああ、そうするか」
柚希は持っていた手提げ袋から黒い傘を取り出していた。そういえば、悠は大丈夫かな。
「悠は? 傘とか持ってる?」
「いえ、その……」
悠は両手を頭に乗せて髪を守りつつ、首を横に振った。そうか、弱ったな。流石に傘一本で三人は無理だし、だいいち帰る方角が違う。
「柚希、さっきのお釣り」
「えっ? なっ、なんのことかなっ?」
「そうじゃなくて。コンビニでビニール傘でも買ってきてよ」
「あっ、ああ! なんだ、それならそうと言ってよ~!」
「言わなかったらどうするつもりだったんだよ」
「……し~らないっ」
やっぱりネコババするつもりだったんじゃねえか、というツッコミをそっと飲み込んだ。とにかく、これで三人とも濡れずに済むな。折り畳み傘かビニール傘を悠に貸して、俺と柚希が一本の傘で帰れば――
「はい、おにいっ」
「ん?」
考え事をしていたら、柚希が折り畳み傘を手渡してきた。ビニール傘を買ってくるまでこれで凌いでよ、ってことかな。なんて軽い気持ちで受け取ると、柚希が「しめしめ」とでも言いたげにニヤッとほほ笑んだ。
「よしっ! じゃあっ、おにいは悠を送って帰ることっ!」
「えっ!?」
「私はダッシュで帰るからっ! 悠に風邪なんか引かせちゃだめだからねーっ!」
「ゆ、柚希!?」
「悠、また明日ねーっ!」
引き留める間もなく、柚希はとんでもない瞬発力で走り去っていった。ソフトテニスにそのダッシュ力は必要ないだろ、などと思ったが時すでに遅し。俺は悠と二人で公園に残される。
「えっと……」
「……」
悠は両手を頭の上に乗せたまま、じっと俺の方を見ている。長袖長ズボンの青いジャージが徐々に濡れていき、紺色のように見える。
「……お、送って行くよ」
「そんなことより、宝の持ち腐れをやめてくれませんか」
「えっ?」
「傘、差してください」
「あっ、ああ!」
手元の折り畳み傘に視線が注がれていることに気が付き、慌ててカバーを外した。外側の紐をほどき、持ち手のボタンを押して傘を広げる。
「ごめんごめん」
そっと傘を差し出すと、悠は何も言わずに入ってきた。片手でもう片方の腕を抑えて、目も合わせずに俯いている。距離が近くて恥ずかしいのかな、なんて思うのは自意識過剰か。
「家はどっちだっけ?」
「……中学の方です」
「そっか」
よく考えれば、同じ中学の学区内なんだからそんなに遠くないのか。あまり意識したことはなかったけど、意外と俺たちの家は近いってわけだな。
「じゃ、行こうか」
「気にしないんですか」
「えっ、何が?」
「あ……相合傘、ですけど」
歩きだそうとしたら、悠が服の裾を掴んできた。二人きりで傘に入るのを気にしているのかな。それこそ中学生じゃあるまいし、何よりこれ以外に濡れずに済む方法がない。
「気になる?」
「いえっ、その……。知り合いに見られたらどうするんですか」
左斜め後ろにいる悠は、もじもじとするばかりで歩こうとしない。俺と噂になるのが嫌なのかな。
「ごめん、俺と付き合ってる――とか、誤解されたくないよな」
「いえっ、そうじゃないんです。むしろ、そうなったら詩音先輩に申し訳ないというか……」
悠はいつも強気かつクールに振る舞っているのに、時折こうして自信のなさを覗かせることがある。自分という存在への不安なのか、あるいは春先輩へのコンプレックスなのか。
「悠」
「先輩……?」
俺は右手に傘を持ち替えて、左手で悠の手をとった。不安そうにしている悠は見たくない。悠は悠であって、春先輩ではないのだから――自分であることを恥じてほしくはなかった。
「手、繋いでいこうよ」
「えっ、でも」
「いいじゃん、誤解上等だ」
悠が濡れないように右手で傘を持ちながら、左手を強く引いた。悠は驚いたように目を丸くしていたけれど、手を振り払おうとはせず、俺についてきてくれている。
「……ほっ、本当に誤解されますよ」
顔を赤くした悠が、呟くように口を開いた。別に、悠とだったら誤解されて構わない。その方が嬉しい、とすら思う。
「何が問題なの?」
「えっと、それは……」
悠は口をもごもごと動かすばかりで、なかなか答えられない。だんだん雨が強くなり、足元には水たまりが出来つつある。
「……ことです」
「えっ?」
何か言ったみたいだけど、雨音で聞こえなかった。聞き返してみると、悠はそっと俺の耳元に顔を寄せて――一言。
「自分は先輩の恋人なんだって、私まで誤解しそうなことですっ」
……予想外の発言に、心を射抜かれたような気がした。
悠の家に到着するまでの約十分間、なんだか妙に照れくさくて、俺たちは一言も会話を交わさなかった。結局、知り合いに会うことはなかったけれど……それが幸運だったのかどうかは、俺には全く判断がつかないことであった。




