第44話 鬼コーチ
春先輩が部室にやってきた翌日の放課後。悠、そして柚希とともに――俺は今、市内の公園にいた!
「さてっ! 練習しよーっ!」
「おっ、おう……」
「……」
張り切って大声を出す柚希と、ジャージ姿で無表情の悠。たまたま今日は柚希の部活が休みだったので、二人三脚の練習に付き合うと言ってくれた。それは有難いのだが……明らかに柚希のテンションが高い。
「さてっ! やっぱり体力作りからだよねっ、まずはランニングしよっか!」
「な、何キロ?」
「んー、10キロくらい?」
「えっ!?」
文化部二人(座って本読んでるだけ)に10キロも走らせたら明日学校に行けなくなるけど!? 何考えてるんだこの妹は!?
「ちょっ、ちょっと待てよ。そんなに走れないって」
「えー? 本気で100メートル10秒台狙う気ある?」
「二人三脚でそれは無理だろ!?」
「とにかく! 二人には絶対勝ってほしいのっ! 甘ったれたこと言うなら30キロに増やすよ!?」
「朝までかかるわっ!!」
やっぱり、柚希は運動のことになると張り切ってしまうみたいだ。東北大会出場は伊達じゃないな……。
結局、俺は必死に柚希と交渉して、ランニングの距離を1キロまで短くしてもらったのだった。
***
妹に追い立てられながら、公園の周りの道を悠とともに走っていく。柚希は大きな声を張り上げ、俺たちのことを励ましていた。
「はいっ! がくいーん、ファイッ!」
「おー……」
「ファイッ!」
「おー……」
ちなみに学院というのは俺たちの学校の略称だ。普段、部活でランニングする時と同じ掛け声なんだろうな。それにしても――
「こらっ、悠! ちゃんと声出してっ!」
「だっ、出してるって……」
「だめっ、聞こえないっ!」
……隣を走る悠は、本当に苦しそうだ。まだ半分くらいなのに、珍しく顔を歪めてかなり息を切らしている。あまり運動は得意じゃないんだろうな。
「はあっ、はあっ……」
「悠、大丈夫か? 無理しなくても――」
「だめーっ! 甘やかすなっ!!」
「ひえっ!?」
悠に声を掛けただけなのに、後ろを走る鬼コーチから怒号が飛んできた。ちょっと可哀想だけど、柚希も本気で取り組んでくれているのだと思うと文句も言えない。
「だ、大丈夫ですっ……。詩音先輩っ、気にしないでっ……」
「なら、いいけどさ……」
「そうそうっ! 人のこと気にするならもっと声出せーっ!!」
「お前はお前でなんなんだよおおっ!?」
軽い酸欠状態に陥りながら、なんとか走り終えた俺たちであった……。
***
「はあっ、はあっ……」
「ぜいっ、ぜいっ……」
公園に戻ってきた俺と悠は、ベンチに隣同士で座ってうなだれている。俺、意外と体力なかったんだな。やっぱり定期的に運動しないとだめか……。
「もーっ、二人とも情けないんだからーっ!」
一方で、同じ距離を走ったはずの柚希は汗一つかいていなかった。俺たちの前に立ち、腰に手を当ててじいっと視線を送ってくる。
「これはもっと鍛えないとだめだねっ! もう1キロ行こうか!?」
「むっ、無理だからっ! 頼むから勘弁してくれえ……」
「むー……」
柚希は不満そうに口をとがらせた。まずいな、このままだと本当に走らされそうだ。なんとか気をそらさないと……。
「ゆ、柚希……」
「なに?」
俺はポケットから財布を取り出し、千円札を手に取った。首をかしげる柚希の手を取り、それを握らせる。
「これでさ、俺と悠のスポドリでも買って来てよ。柚希もアイスとか買っていいから」
「ほんとっ!? いいの!?」
「うん、頼むよ」
「やったー! 高いアイス買っちゃおー!」
柚希は札を握りしめ、コンビニのある方向へとスキップで去っていった。アイスで喜ぶ童心がアイツの心に残っていて助かったな。
「はあ……」
思い切り息を吐いて、周りを見渡した。ここは都心にあるそこそこ広めの公園。しかし夕方だというのに、遊具で遊んだりボールを蹴ったりする子どもの姿はない。敷地内にいるのは、俺と悠の二人だけ。
「悪いな、柚希が変に気合入ってて」
「いえ……柚希も、私たちのためにしてくれているんですし」
「そっか。でも、本当に無理なときは言ってくれていいんだよ」
「はい……」
悠は力のない返事を残して、俺の体に寄り掛かってきた。右半身にかかる体重に、一瞬ドキッとしてしまったけど……単に体力が限界なだけみたいだな。
「すいません、詩音先輩……」
「い、いいっていいって。いくらでも休んで」
「……」
何も言わず、ただ息を整える悠。なんだかあのカラオケを思い出すな。こうして二人きりで過ごしていた、あの時間を。
――今度は私からした方がいいのかな。
「!」
「先輩?」
「いやっ、なんでもない」
「はあ……」
悠が柚希に送ったメッセージがよぎり、思わず反応してしまった。……二人きりだし、隣同士だし。いやいや、まさかな。悠が自分からキスなんて、しかもこんな時に――
「詩音先輩」
「えっ!?」
不意に名を呼ばれて、素っ頓狂な声を上げてしまった。右隣を向くと、悠がじっと俺の顔を見つめている。
「な、なに?」
「じっとしてください……」
「えっ、えっ!?」
状況を理解できぬまま、悠の顔がどんどん近づいてくる。ほっ、本当にキスする気なのか!? なんでっ、なんで急に――
「……先輩?」
「へっ?」
思わず目をつむっていると、不思議そうな声が聞こえた。慌てて目を開くと、そこには右手に小さな葉っぱを持った悠の姿。
「これ、頭についてましたよ」
「あっ、そう……」
「どうかしたんですか?」
「別に、なんでも」
「そうですか」
悠は淡々と返事をして、地面に葉っぱを捨てた。なんだか自分だけ変に意識したみたいで恥ずかしっ。俺は頬をぽりぽりとかきながら、正面に向き直る。
「お待たせーっ!!」
「「はやっ」」
なんてことをしているうちに、ペットボトルを二本抱えた柚希が小走りで戻ってきた。やれやれ、水分補給にするか。俺はベンチから立ち上がり、柚希を出迎える。
「ありがと。あれ、アイスは?」
「んー? もう食べたよ」
「早くない!?」
「お腹空いてたのーっ! はいこれっ、おにいの分!」
柚希はやいのやいのと言いながら、スポドリを手渡してきた。たしかに口周りにチョコがついているから、アイスを食べたのは間違いないみたいだな。……あれ、お釣りは?
「柚希、お釣りは――」
「はいっ、悠の分!」
「柚希、おつ」
「ほらーっ、早く飲まないと練習始めるよ!!」
「ゆず」
「あーっ! ひどいなあ、この枝折られてるよー!?」
「今関係ないだろ!?」
柚希はベンチの背後にある茂みを指さし、わざとらしい声をあげた。枝がなんだって言うんだよ、それよりお釣りの方が――
「……ん?」
折られた枝をよく見ると、さっき悠がとってくれたのと似たような葉っぱがついていた。……もしかして、悠はわざと葉っぱを俺に? どうしてそんな真似を――
「悠、さっきの――」
「うるさいです。黙ってください」
「ええ!?」
「詩音先輩みたいにキザじゃないので。一緒にしないでくれませんか」
「まだ何も言ってないけど!?」
悠はそっぽを向いて、ちっとも視線を合わせてくれなかった。口実を作ろうとしたのかな……なんて思うと、こっちまで恥ずかしくなってしまう。なんとなく照れていると、柚希が大きな声を張り上げた。
「さっ、二人とも! 練習するよっ!」
「うん、分かった」
「ちょっ、待ってくれって」
いつの間に回復したのか、悠はスッと立ち上がって柚希と共に歩きだした。俺は慌てて二人を追いかけていく。あれ、何か忘れているような。ええと、たしか――
「おっ、お釣り返せよおおおおっ!!?」
情けない絶叫が、公園中に響き渡ったのだった……。




