第41話 機嫌直し
春先輩とカラオケに行った翌日の放課後。いつも通り、俺は部室の椅子に座って悠が来るのを待っていた。
きっと春先輩から昨日のことは聞いているだろう。悠がどう思ったのかはともかくとして、何を聞かれても正直に答えなければな。
「……失礼します」
「うん、お疲れ様」
気付けば、悠が扉を開けて入ってくるところだった。心なしか、声に元気がない。そのうえ扉の前で立ち尽くしたまま、動こうともせずにじっとしている。
「悠?」
「……」
悠は肩掛け鞄のベルトをぎゅっと掴んだ。僅かに俯いて、表情は冴えない。
「……詩音先輩は」
「うん」
「詩音先輩は、お姉ちゃんのことが好きなんですか」
「!」
思わず席を立つ。ガタッという音が、静かな部室に響き渡った。
「なっ、なんでそんなこと言うんだよ!?」
「行ったんですよね、カラオケ」
「……うん」
「噂で聞きました。詩音先輩とお姉ちゃんが二人きりだったって」
悠は淡々と呟いた。意図的にそうなったわけではないけど、二人きりだったのは紛れもない事実。状況的に、他の部長の誰かが噂を広めたのだろう。
「ごめん。言い訳するつもりはないよ」
「分かってます。それに……先輩がお姉ちゃんとどうなろうと、私に止める権利はないです」
「でも、それじゃ――」
「いいんです。詩音先輩には、お姉ちゃんみたいな人の方がお似合いですからっ……」
明らかに本意ではなかった。悠は何かを我慢するかのように、必死に言葉を紡いでいる。自分の行いが原因で悠に思いつめさせてしまったことを、ひたすらに後悔した。
「悠、本当にごめん。でも、春先輩とは何もないんだ」
「お姉ちゃんが『詩音くんは本当にいい子だね』って言ってました。学校で一番の人気者からアプローチされているなんて、先輩は羨ましい人ですね」
「だからっ、俺はっ……!」
「本当に、いいんです。私なんかと一緒にいたら、先輩も迷惑でしょうから」
「ゆ、悠っ!」
「今日は失礼します。では、また……」
呼び止めも空しく、悠は扉に手をかけた。このまま帰らせてしまったら、悠はもう二度と部活に来ない。そんな予感がして、気づいたときには駆け出していた。
「待って、悠っ……!」
俺は悠の気持ちを裏切ってしまったのかもしれない。だけど、このまま悠と会えなくなるのは嫌だった。まだ俺は何も伝えていない。何もっ、悠には何もっ……!
「悠っ!」
「!」
扉を開きかけていた右腕を掴むと、悠は驚いたように目を見開いていた。ゆっくりとこちらに振り向き、信じられないといった表情を浮かべている。
「……何するんですか。帰れませんよ」
「誰が帰っていいって言ったんだよ」
「いつからそんなパワハラをする先輩に――」
「違う! ……俺が、帰ってほしくないんだよ」
先輩として帰るなと言っているわけじゃない。俺自身が悠に帰ってほしくないんだ。だからこうして、腕を掴んでまで止めている。
「どうして止めるんですか。詩音先輩が好きなの、お姉ちゃんですよね」
「違うっ! そんなわけないだろ!?」
「しっ、詩音先輩……」
びくっと反応した悠を見て、我に返った。こんなに声を荒げるなんて冷静じゃないな。もっと落ち着かないと。
「ごっ、ごめん。でも、本当に春先輩のことは何とも思ってないんだ」
「……それは分かってます」
「えっ?」
「詩音先輩が簡単に人を好きになるわけないって、分かってます」
そう言いつつ、悠は恨みがましいような視線を向ける。その言葉は別の意味を含んでいるように聞こえた。……姉ではなく、自分のことはどう思っているのかと。
「ごめん。悲しい思いさせたよな」
「別に、悲しくなんかないです。先輩なんか……」
悠は口を尖らせ、いじけているような素振りを見せた。悠に対して、俺がどう思っているか。そんなの、俺自身だってはっきりとは分からない。でも――もう、悠に寂しい思いはさせたくなかった。
「悠」
「せっ、先輩……?」
掴んでいた右腕を動かすと、悠はひらりと身体を反転させ、こちらを向いた。扉に押し付けるような姿勢になりつつ、じっと悠の目を見つめる。
「な、なんですか。無理やり何かする気ですか」
「嫌だったらしないよ」
「……そういう優しさ、いらないです」
悠は努めてクールに振る舞っているみたいだった。それでも頬をほのかに赤く染めていて、視線を合わせようとしてくれない。それでも、口元にそっと顔を寄せると、悠は静かに目を閉じた。そのまま、俺は――
後輩と、唇を重ねた。
「んっ……」
悠が微かに嬌声を漏らす。あの時と同じ、柔らかな感触。俺たちは互いを確かめるように、優しく触れあってから……そっと、唇を離した。
「悠……」
「……壁ドンなんて、漫画の読みすぎじゃないですか」
「嫌だった?」
「きっ、聞かないでください。……機嫌直しにキスなんて、随分と調子が良いんですね」
「別に、そんなつもりじゃないよ。俺がしたかっただけ」
「……そうですか」
悠の顔はさっきよりも赤くなっていた。俺たちは扉の前で立ったまま見つめ合う。このまま、こんな時間が続いていけば――
「詩音くん、いますかーっ!!」
「「!?」」
しかし次の瞬間、悠の背後にある扉が開いた。俺たち二人が視線を向けた先にいたのは、いつも通りにオーラを解き放つ一人の人物。
「生徒会からお知らせを持って参りましたーっ!」
「お姉ちゃんっ……!?」
「はっ、春先輩……!?」
俺たちは顔を見合わせ、唖然とする。初めて、俺の前に――最上姉妹が揃った瞬間だった。




