第28話 雲の上
金曜の放課後、ホームルームを終えた俺は一目散に校門へと向かっていた。昇降口で外靴に履き替えて、校舎の外に出る。悠を待たせたら悪いし、早く行かないと。
「ん」
校舎前の広場を歩いていくと、校門の前に見慣れた人影があった。鞄を肩にかけ、凛とした姿勢で立ったまま文庫本を読んでいる。あの髪型、間違いないな。俺は背後から声を掛ける。
「ごめん、お待たせ」
「……」
「悠?」
「ひゃっ!」
反応がなかったので名前を呼んでみると、今まで聞いたことのないような声が耳に届いた。悠は慌てた様子で、手に持った文庫本を落としそうになっている。
「だ、大丈夫?」
「はっ、はい。こんにちは、詩音先輩」
悠は髪を耳にかけながら、いつも通りクールに振る舞った。明らかに気が抜けていたように見えたんだけどな。
「具合でも悪いの? 行くのやめようか?」
「いえっ、ちょっと寝不足なだけなので。気にしないでください」
「ならいいけど」
言われてみれば、少し声が眠そうだ。試験前でもないのに寝不足なんて心配だな。遊びに行くのが楽しみで眠れなかった、なんて年齢でもあるまいし。何はともあれ、ひとまず出るか。
「じゃ、とりあえず駅行こうか」
「はい」
悠と一緒に、最寄り駅の方に向かって歩きだした。
***
俺と悠、二人で最寄り駅まで十分ほどの道のりを進む。周りにも帰宅するであろう生徒たちがぽつぽつと歩いていて、金曜ということこともあって心なしかみんな足取りが軽いように見えた。
俺たちの学び舎――森宮学院高校――は田園地帯のど真ん中に立地している。通学路も線路と田んぼに挟まれていて、季節によっては野焼きの臭いが漂ってくることもある。
「悠、ここの通学には慣れた?」
「まだあんまり。すごい立地ですよね」
「俺も中学時代に見学に来たときはビビったよ。こんな田んぼだらけのところにでっかい校舎があるからさ」
なんて言ったところで、ふと気になったことがあった。よく考えれば、悠から中学時代の話をあまり聞いたことがないな。柚希と違って面識はほぼなかったけど、一応俺も悠と同じ中学校に通っていた(つまり、当時から先輩後輩の関係ではある)わけだし。
「……先輩、どうかしましたか」
「ああ、ちょっと考え事してた。あんまり悠と中学の話したことなかったなって」
「中学校、ですか」
「うん。悠はどんな感じだったの?」
「別に、普通の中学生ですよ。柚希とか詩音先輩とかみたいに、特別目立っていたわけじゃないですから」
「そんなに目立ってたかなあ」
「……雲の上の人、でしたよ。少なくとも、私からはそう見えていました」
隣を歩く悠は、どこか遠い目をしているように見えた。この言い方から察するに、悠は中学時代から俺のことを認識していたみたいだな。まあ、友人の兄なんだから当たり前と言えば当たり前かもしれない。それにしても……雲の上、とまで言われるのは違和感がある。
「俺だって普通の生徒だったよ。ちょっと他人より表に出る機会が多かっただけで」
「うちのクラスでは特に有名人でしたよ」
「それ、俺が柚希に忘れ物を届けてたからでしょ」
「詩音先輩の気を引くためにわざとやっていたらしいですよ」
「え、本当?」
「……嘘ですけど」
「嘘かい」
悠はそっぽを向いた。柚希が俺の気を引くって、どんな冗談だよ。そんなこと必要ないくらい、これでもかと目をかけているのになあ。
俺たちは変わらず歩き続ける。バイパスの通る高架橋をくぐると、そこから先は一気に街になる。駅はあと少しだ。
「……あれ」
ふと気づくと、悠が数メートル後ろのところで立ち止まっていた。じっと俺の顔を見て、なんだかぽかーんとしている。
「どうしたの? やっぱり具合悪い?」
「いえ、違うんです。……ちょっと、不思議だなって」
「何が?」
首をかしげていると、悠が小走りでこちらに近づいてきた。何かと思えば、俺の学生服の袖を掴んでくる。
「ゆ、悠?」
「……詩音先輩と二人でいるのが、本当に不思議なんです」
「へっ? へっ?」
悠が視線も合わせずに俯いているので、俺はただただ困惑するしかない。不思議? いっつも文芸部の部室で二人きりなのに? 今更?
「ちょっ、本当にどうしたの?」
「そのっ、詩音先輩は本当に雲の上の人で……手の届かない人だと思っていたので」
もごもごと小さな声で呟き続ける悠に、どんな対応をすればいいのか分からない。しかも、悠が学生服を掴む力はだんだん強くなっていて……まるで俺を逃がさないようにしているみたいだった。
もしかして、悠は不安になっているのかもしれない。俺がどこかに行ってしまうのではないか、そんなことを考えているのだろう。
「悠」
「はっ、はい」
名前を呼ぶと、悠が顔を上げた。やっぱりどこか心配そうなで、心細げな目をしている。伝えるべきことは、極めてシンプルに。
「ちゃんと隣で歩いてるから、大丈夫だよ」
「詩音先輩……」
「ほらっ、次の電車来ちゃうからさ。行こっ!」
明るい声を出してみると、悠は黙って頷いてくれた。俺たちは再び歩き始め、駅を目指す。
「……」
悠はいつもの表情に戻っていたけど、さり気なく俺の学生服を掴んだままだった。……このまま電車乗るのかな、ちょっと恥ずかしいんだけど。でも、周囲の目は気になるけど――嫌という気にはならないな。
後輩の隣を歩く幸せを噛みしめながら、歩を進めていった俺であった。




