第23話 恋バナ
「おにいの好きな人、教えてっ!!」
その言葉を聞いたとき、すぐに一人の人間が思い浮かんだ。笑顔が可愛らしくて、天真爛漫で、何事にも一生懸命な女の子。その名は――
「柚希っ!」
「そうだけどそうじゃないのっ!」
「いでででで!!」
柚希は俺の頬を指で掴み、つねってきた。顔面を走る痛覚が、寝ぼけた頭を目覚めさせる。好きな人、と聞かれたら柚希と答えるに決まってるのになあ。
「私以外で好きな人ってこと! 分かるでしょ!」
「なんで急にそんなこと聞くの!?」
「いいから! 答えないとだめなのーっ!」
「あ、口元にカレーついてる」
「えっ、本当?」
「……隙ありっ!」
「ひゃっ!」
咄嗟に口周りを拭おうとした柚希の隙を突き、素早く体を起こした。馬乗りになっていた柚希を優しく押しのけ、ベッドから抜け出して床に立った。
「じゃっ、夕飯食べてくるから」
「こっ、こらーっ!」
「うおっ!?」
しかし、今度は後ろから抱きしめられてしまった。動きだしたところを止められたものだから、転んでしまいそうになる。なんとか体勢を立て直して振り向くと、柚希がむーっと頬を膨らませて俺の顔を見上げていた。
「おにい、真面目に答えて」
「……柚希?」
「いないならいないって言って。すぐ放すから」
いつもの明るい雰囲気は消え、柚希はいつになく真剣な表情を見せている。流石にただ事じゃないと思い、改めて柚希の方に向き直った。俺の腰を掴む手をのけて、ベッドに座る。
「柚希、何かあったの?」
「わ……私には何もないけど」
「ふーん……」
何の理由もなく恋バナを持ち掛けてきたとは考えにくい。となればこうなった原因があるはずだが、思い当たるものが一つある。……悠のことだ。
「柚希」
「!?」
両手で柚希の肩を掴み、顔と顔を突き合わせる。通話を終えて眠っていた間、悠と柚希の間でなんらかのやり取りがあったと考えるのが妥当だ。だったら直接聞きだすのが一番早い。
「おっ、おにい!?」
「……悠から何か聞いた?」
「えっ……とお……」
柚希は分かりやすく視線をそらした。この妹は嘘をつくのが得意じゃない。小さい頃にいたずらがバレたときも、俺のプリンをこっそり食べたときも、すぐに嘘がバレていたからな。
「おっ、おにいが悪いんじゃん!」
「えっ?」
悪事が知られた子どものように開き直る柚希。俺が何かを言う前に、次々とまくし立ててくる。
「だってだって、悠ってば『自撮り写真を送ったらずっと残っちゃうから、代わりに電話した』って言ってたんだよ?」
なんだ、そういう理由だったのか。私服姿を見せたくないと前に言っていたから、おかしいと思っていたけど。でも、そのことと俺の好きな人に何の関係があるんだ。
「それがどうしたの?」
「だからっ、そのっ……悠がそんなに頑張ったんだから、おにいもさあっ!」
「俺が?」
「悠に告るべきだったじゃん!!」
「!!!?!?!!?!?」
論理がスカイツリーより高くかっ飛ばされた!? ちょっと待て、悠が頑張ったことと俺が告ることに何の因果関係があると言うんだ!?
「おまっ、何を聞いたんだよ!?」
「秘密! 乙女同士のやり取りを知るなんていけないことなんだよ!?」
「今更お前が言うの!?」
「とにかく! 悠はっ、悠はっ……!」
早口ながらも、柚希は必死に言葉を紡いでいる。悠のためなのか、俺のためなのか、自分のためなのか。それは分からなかったけど、何が何でもという気持ちだけははっきりと伝わってきた。
「おにいが誰を好きなのかっ、知りたいのっ!」
俺が聞いた中で、今日一番の大声だった。画面の向こうにいた悠は、言おうとしていたことを寸前で取り消したように見えた。さっきはその理由が分からなかったけど、今なら分かる。
雫石詩音という人間が誰を愛しているのか、悠は自信が持てなかったのだ。
だから、悠はそれまでの発言を全てなかったことにした。俺の返事を聞かなかった。今までの関係を維持したまま、明日からも普段通りに過ごそうとしたのだ。
「なあ、柚希」
「なにっ?」
「俺ってさ、誰を好きに見える?」
「わたし!」
「そうじゃなくて。柚希以外で」
「うーんとね……」
俺が肩から手を離すと、柚希は口元に指を当てて考え込んでいた。自分が誰を好きなのか、なんてことを他人に聞いても仕方ないとは思う。だけど、今の俺は……その問いにすら、自信のある回答を持たなかった。
「正直に言うとね。おにいは優しいけど、どっか他人に遠慮してるよね」
「遠慮?」
「そ! あんまり踏み込まないって言うか」
他人に興味がない、とでも言いたいのだろうか。たしかに友達は少ない方だと思うし、恋人だって出来たことはないけどさ。
「だけどね、悠の前だとなんか違うの!」
「違うって?」
「だってっ、あんなに楽しそうにお話してるんだもん! 息ぴったりーって感じ!」
「そうかな……」
自分では思ってもみなかった。けどたしかに、悠と話している時は自分のテンポで話せている気がする。
「だからねっ、おにい!」
「うん」
柚希は天井を見上げた。これからの未来を夢想するかのような、楽しそうな表情を見せ――はっきりと言った。
「……おにいは、きっと悠のことを好きになると思うんだ!」
その目には、期待と不安の両方が映っているように見えた。




