第22話 返事
「――詩音先輩を、生きがいにしてもいいですか」
何が起こったのか、分からなかった。俺のことを生きがいにしたい、と悠が言ったのだ。もし彼女が出来たら自分を生きがいにしてもらいたい、という俺の発言と合わせれば、導き出される結論は一つ。
――悠は、俺の彼女になりたいと言っているのか?
「……悠」
「はい」
迷いながらその名を呼ぶと、画面の向こうにいる後輩がまっすぐにこちらを見つめた。悠が自分のことを好きなのかもしれない。柚希にそう指摘されても、俺はあり得ないと思っていた。この後輩が俺を好きになる理由が見つからなかったのだ。
「理由を聞かせてくれないかな」
「理由?」
「なんで俺を生きがいにしたいのか、わけを聞かせてほしいんだ」
正直に聞くしかなかった。もちろん頭の中では混乱している。俺は悠にとってただの先輩だし、悠は俺にとってただの後輩に過ぎなかったはずだ。それもまだ今月の初めに出会ったようなものなのだから、生きがいにされるには時間が短すぎる。
「理由が必要ですか」
「へっ?」
「私にとってはただ一人の部活仲間で、ただ一人の先輩なんです。詩音先輩がいなければ、今の高校生活はあり得ませんから」
「……そっか」
いつになく悠は真剣な顔をしていた。一緒に部室にいるときは、こんなに腹を割って自分の感情を打ち明けてくれることはなかったのに。電話越しだと素直になるのかもしれないな。
はっきりと言われたわけではないけど、今の悠は俺への好意を示してくれているのだろう。だったら、俺からも何か返さなければいけないな。
「悠」
「はい」
「俺は大した人間じゃないよ。悠だって、さっき『ただのシスコン』だって言ってたじゃないか」
「もちろんそうです。でも、それが悪いとは言ってません」
「そりゃあ、そうだけど」
「だから、聞かせてください。私は、先輩を生きがいにしてもいいんですか」
「……ごめん、ちょっといいかな」
「はい?」
このままでは何もはっきりしない。曖昧なままで進めていい事柄ではないのだから、どうしても確かめておきたかった。だから――
「もしも彼女になりたいと思ってくれているなら、はっきりそう言ってほしい」
たとえ野暮だと思われようとも、返事から逃げたと思われようとも、構わなかった。悠は大事な後輩で、柚希にとっても大事な親友だ。下手なことを言って関係を壊したくない。
「……もしそう言ったら、詩音先輩は返事をしてくれるんですか」
「必ずする。約束するよ」
「……」
画面の中にいる悠が俯いた。まるで自信なさげに、次の言葉を発する勇気を持てないかのように。
急かすことはせず、ひたすら待ち続ける。自分の中で返事はもう決まっているから、焦ることはない。
「私は」
「うん」
「私は……」
俺と違って、悠は何かを迷っているようだった。自分の感情が分からないのか、俺の返事を予想できないのか、それとも――
「悠、夜ご飯だよー!!」
「「!?」」
スマホのスピーカーから、聞き覚えのある声が響き渡った。最上先輩――悠の姉で、生徒会長――の声だ。沈黙を破るかのような快活な声に、俺たちは二人して虚を突かれてしまう。
「おっ、お姉ちゃん!」
「あれー? 誰かと電話してるの? 邪魔しちゃった?」
「ちっ、違う!」
悠は横を向いて、画面外にいる最上先輩と会話を交わしていた。張り詰めていた緊張の糸が一気に切れたような心地になり、大きく息を吐く。……なんだか、どっと疲れた気がするな。
「ご飯でしょ、すぐ行くから!」
「はーい」
どうやら最上先輩が部屋から出ていったらしく、悠もため息をついていた。姉に対しては意外と子どもみたいな口調なんだな。なんて思いつつ、俺は改めて画面に向き直る。
「えっと、悠?」
「すいません、詩音先輩。……さっきまでの話、全て忘れてください」
「へっ?」
悠は目をつむり、いつもの冷静さを取り戻していた。まるで事務連絡でもするかのように、淡々と話を続ける。
「よく考えたら、先輩みたいなシスコンを生きがいにするなんてどうかしてました」
「なにそれ!?」
「とにかく今日の話は忘れてください。明日からも、私と詩音先輩はただの部活仲間です」
「悠がそう言うなら、それでいいけどさ……」
「では、今から晩御飯なので。そろそろ失礼します」
さっきまでは熱に浮かされていたんです、とでも言いたげな態度だな。悠がそれでいいなら俺も追及しないけど、いまいち釈然としない。
「じゃあ、切りますから――」
「ゆ、悠!」
「はい?」
このまま終わるのは、何か嫌だった。さっきの悠が何を思ったのかは分からない。だけど、せめて俺の気持ちを伝えたい。
「また、電話しような」
「!」
悠は驚いたように目を見開いた。その拍子でスマホを倒してしまったのか、画面に映る景色が目まぐるしく回転する。すると、机上に置いてあった写真立てが見えた。そこに映りこんでいたのは――
「その写真――」
……声をかけようとしたところで、通話が終了した。画面が暗転して、俺はひとり自分の部屋に取り残される。
間違いない。悠の机に飾られていたのは、この間のお姫様抱っこの写真だ。いつも見るような場所に俺との写真を飾る、ということの持つ意味は大きい。悠は「明日からもただの部活仲間」と言ったけれど、俺は嫌でも意識してしまうだろう。
「……」
椅子から腰を上げ、ふらふらと歩き出す。そして重力に身を任せるようにして、ベッドに倒れこんだ。ドスンという音が聞こえて、埃が舞い上がる。
「はあ……」
さっきの出来事は何だったんだろう、という疑問だけが頭の中をぐるぐると回っている。そもそもビデオ通話をかけてきた理由も分からなかったし、悠が告白まがいのことを言い出したのも理解できない。
それでも分かったこと……いや、強烈に意識付けされたことが一つある。今まで考えてこなかった、馬鹿げた話だと取り合ってこなかった事実。そう、それは――
悠が自分のことを好きなのかもしれない、ということだ。
「なーんでかなあ……」
いつも無表情で、ツーンとしているあの顔を思い浮かべる。悠が俺を、いや……誰かを好きになるなんて、あり得るのかな。勘違い? それとも本気?
考えがまとまらないまま、ゆっくりと眠りに落ちていった……。
***
「……?」
部屋の扉が開いたような気がした。誰だあ、俺を起こすのは――
「こらーっ、起きろっ!!」
「ぐええええええっ!!!?!?」
寝ぼけていた俺の身体に、勢いよく飛び乗る者がいた。もちろん、そんなことをする人間はただ一人。
「ちゃんと晩御飯食べないとだめでしょーっ!?」
「ゆっ、柚希っ!?」
「いいからっ、早く起きてってばーっ!」
「起きるっ、起きるからっ!」
ジャージの袖でペシペシと頬を叩かれたので、慌てて上半身を起こそうとした。しかし柚希が俺の両肩を抑え、それを防いでくる。
「なんで止めるんだよ!?」
「起きる前にっ、質問に答えてっ!」
「はっ、はあっ!?」
馬乗りになったまま、じっと俺のことを見下ろしてくる柚希。逆光で表情がよく分からなかったけど、珍しく怒っているようにも見えた。
「おにいっ!!」
「なに!?」
柚希はじいっと俺の目を見つめる。そして大きく息を吸い込み、口を開いた。
「おにいの好きな人、教えてっ!!」
妹との恋バナが、始まろうとしていた……。




