第2話 妹からの伝言
「入るの!?」
「さっきからそう言ってます。私の話、聞いてなかったんですか?」
「いや、その……」
ボブにまとめた髪を耳にかけながら、女子はじっと冷たい目で見つめてくる。なんだか怖いなあ、この子。入部する分には俺は構わないけど、後であまりの活動実績(虚無)に幻滅されるんじゃないだろうか。
「ちょっ、ちょっと椅子に座ってて。書類探すから」
「分かりました」
二個並んだ机のうち、扉側にある方を指さすと、女子は落ち着いた所作で椅子に腰を落ち着けていた。なんだか動きが洗練されているな。お育ちが良さそうな雰囲気もあるし、どこか名家のご令嬢だったりして。
「えーと……」
壁に据え付けられた棚の上に手を伸ばし、積まれた段ボール箱の一つを漁った。入部届なんて滅多に使う書類じゃないからな。んーと……あった!
「じゃ、これに必要事項を書いてよ」
「はい。あの……ペンとか、お借りしていいですか」
「ん? ちょっと待ってね」
身の回りがちゃんとしてそうな子なのに、ペンは持ち合わせていないんだな。たまたまインクでも切れているのかな。なんてことを考えながら、胸ポケットから三色ボールペンを取り出した。
「これでいいかな?」
「……あ、ありがとうございます」
女子はペンを受け取ると、逆さに持ったり顔に近づけたりして注意深く眺めていた。ボールペンなんか見ても仕方ないだろうに、どうしたんだろう。
「書かないの?」
「……あまり急かさないでください」
そう返事をしつつ、女子が入部届を書き始めた。その間に、俺は机を挟んで向かい合うようにして反対側の椅子に腰かける。どれ、まず名前は……。
「最上……悠って読むの?」
「はい。それが何か?」
最上、か。どこかで聞き覚えがある。ああそうか、生徒会長の名字も最上だったな。たしか三年生の女子だ。……ということは?
「もしかして、生徒会長の妹さん?」
「……まあ、一応」
「そっ……そうなんだ」
心なしか、最上さんの表情が厳しくなった気がする。もしかしてお姉さんと仲良くないのかな。それとも、「生徒会長の妹さんですか」なんて質問は聞き飽きているのかもしれない。
「ごめんね、悪いこと聞いた?」
「いえ、別に。よくあることですから」
「そっか」
「……でも、あなたには覚えていてほしかった」
「えっ?」
「なんでもないです。それより、ここの電話番号って携帯でいいですか?」
「ああうん、それで大丈夫」
最上さんは淡々と必要事項を書き続けた。今どき住所や電話番号なんか書かせるのもどうかと思うけど、緊急連絡先ってことだし仕方ないよな。
「……あの」
「ん?」
ふと気づくと、最上さんが机上にスマホを出していた。俺の顔をじっと見て、何か言いたげにしている。
「電話番号、合っているか不安なので。試しにかけてもらっていいですか?」
「オッケー、ちょっと待ってね」
手書きで携帯の番号書くことって多くないし、ちゃんと合ってるか心配になることってあるよな。きっちり確かめるあたり、しっかりした子だ。
「えーと、080の……」
ポケットから自分のスマホを取り出し、入部届に書かれた最上さんの番号を打ち込む。そのまま発信ボタンを押した数秒後、最上さんのスマホが鳴動した。
「電話来た?」
「はい。ありがとうございます」
「良かった。じゃあ切っちゃうね」
切断ボタンを押して通話を終了したのだけど、まだ最上さんがこちらをじっと見ている。今度は何だろう?
「あの」
「何?」
「一応、あなたの番号を連絡先に登録しようと思うんですけど。まだお名前をお聞きしてないです」
「ああ、そうだった!」
俺としたことが、自己紹介を忘れていたな。こほんと咳ばらいをして、息を吸い込む。
「雫石詩音、二年生。一応、文芸部部長をやってる」
「改めまして、私は最上悠といいます。よろしくお願いします」
「よろしくね。最上さん、って呼べばいいかな?」
「あなたは先輩なんですから、呼び捨てで構いません」
「最上、って感じ?」
「……まあ、それでもいいですけど」
最上はなんだか不満そうな表情を浮かべつつ、入部届を俺の方に差し出してきた。いつの間にか記入を済ませていたみたいだな、仕事が早くて助かる。
「これでよろしいですか?」
「うん、問題ないよ」
「分かりました。では、今日は帰ります」
「えっ、もう?」
止める間もなく、最上は席を立った。俺に一瞥もくれず、すたすたと部室の出口の方に歩いていってしまう。
「では、明日からよろしくお願いします。失礼します」
「う、うん。お疲れ様」
最上があっという間に部室を出ていき、扉の閉まる音だけが響き渡る。美少女が来たかと思えば、入部届を記入し、嵐のように去っていった。春ってのはこういう季節なんかなあ。……あれ、そういえば。
「ボールペン、返してもらうの忘れてた……」
思わず、空っぽになった胸ポケットに指を突っ込んだ。
***
最上が帰った後は、また文庫本を読んでいたのだが……だんだん眠くなってきた。椅子に座ったまま、うつらうつらと船を漕いでいると――
「おにいー! かえろーっ!!」
「うわっ!?」
突然の大声で目が覚めた。バーンと扉が開いて、ジャージ姿でラケットバッグを背負った女子が現れ……って、妹の柚希じゃないか。コイツは昨日入学したばかり、つまりピカピカの一年生だ。
「あーっ、寝てたでしょ! 健気な妹はソフトテニスで汗を流していたというのに、おにいったらひどいなー!」
「あれ、お前もう入部したの?」
「うん! 今日はもう終わったから、おにいと帰ろうと思って!」
柚希はニコニコと満面の笑みで立っていた。そうか、もう六時近い時間になっているのか。
「分かった、ちょっと待ってな」
「ねえねえっ、悠って来た?」
「えっ?」
机の脇に置いてあったリュックサックを持とうとすると、柚希が部室の中に入ってきた。悠って……ああ、最上の名前か。
「最上悠って子? 来たけど」
「中学校の同級生なの! うちに遊びに来たことあるでしょ?」
「えっ、そうだっけ?」
「えーっ、覚えてないの?」
じゃあ会ったことがある、ってことか? それならそうと言ってくれればよかったのに。なんで伝えてくれなかったんだろう。
「それで、その子がなんだって?」
「さっきLINEきてさー。文芸部に入ったよって言われたから」
「ああ、なるほどな」
もしかして、文芸部があることも柚希から聞いたのかもしれないな。それなら納得だ。でも柚希と仲が良いとは思わなかった。
「そうそうっ、おにいのことも言ってたよ!」
「えっ!? 何!?」
「えーっとねえ……」
ちょっ、なんだか怖いなあ。変な男とかつまんない男とか女々しいとかガキンチョとか悪口言われてたらどうしよう。口数が少なかったから本音が分かんないんだよな。いったい何を――
「『連絡先もらえて嬉しい。先輩のボールペン持ってきちゃったけど、バレてなかったら返したくないな』だって!」
「……へっ?」
笑顔のまま、溌剌と言い切った柚希。一方の俺は、さっきの最上とはとても整合性がとれない発言に……ただただ困惑するばかりだった。




