第17話 確信
「えっと……」
最上はやや俯いて、何か言いたそうにしている。どうしたものかと思っていると、柚希が俺の手から体を降ろして、すっと立ち上がった。
「柚希?」
「あ~、気が変わった!」
「えっ、何が?」
「やっぱり、二番が一番をお姫様抱っこ!!」
「……へっ?」
柚希はそう言い放つと、俺の後ろを見てニヤっと笑った。まるで何かを確信したような、そんな表情にも見えた。
「だから最上が嫌だろうって――」
「おにいっ、王様の命令は絶対だよっ! ……ねっ、悠?」
再び後ろを振り向くと、最上はきょとんとして固まっていた。しかし、間もなくいつもの表情で――静かに呟く。
「……うん。王様の命令は絶対」
「い、いいのか?」
「早く終わらせてください。柚希がうるさいですから」
最上は制服のスカートを整えながら、すっとしゃがみこんだ。……そういえば、別に「抱っこされたくない」と明確に言われたわけじゃなかったな。俺が勝手に「嫌がっている」と思っていただけだし。
「じゃあ、ここ座って」
「はい」
片膝をつくと、最上は俺の腿の上に座る。顔は向こうを向いていて、どんな表情かは分からない。ただ、その視線の先にいる柚希はいつになくニヤついていた。
「先輩、重かったらすいません」
「別に大丈夫だよ」
「柚希とどっちが重いですか?」
「そりゃ柚希だよ。俺が作った飯食べてるんだから」
「……だって」
「いいじゃん! おにいのご飯美味しいんだから!」
柚希はむーっと頬を膨らませて地団駄を踏んでいた。二人とも、別に体重なんか気にしなくていいのに。若いうちはたくさん食べたほうがいいに決まってるんだからさ。
「最上、こっち向いて」
「えっ?」
「俺の首、掴まってないと落っこちるよ」
「……はい」
最上が俺の首に掴まる。顔はこちらに向いているけれど、視線は合わない。……それにしても、こんな近距離で顔を突き合わせたのは初めてだな。つい、見とれてしまいそうになる。
「おにい、何してんの?」
「なんでもない。最上、失礼するよ」
「は、はい」
了承を得てから、腰と腿の裏に手を入れた。柔らかいながらも芯のある感触に、思わずドキリとしてしまう。
一方で、最上は珍しくぼーっとしているように見えた。緊張しているのか、あるいは恥ずかしいのか。なんて心の内を推察しながら、俺はぐっと両腕に力を込める。
「じゃ、いい?」
「はい」
「せーのっ」
――掛け声を出した瞬間、最上がぎゅっとしがみついてきた。ふわっと良い香りが漂ってきて、クラリとしてしまう。それでも俺は姿勢を崩すことなく、ゆっくりと立ち上がっていった。
「わあっ……!」
俺たちの様子を見ていた柚希が、上ずった声を漏らした。俺の腕に支えられて、最上の身体が持ち上がっていく。両腕に重さを感じながらも、そうは悟らせまいとさらに力を込める。
「すごいっ、本当にお姫様みたいっ……!」
柚希は目をキラキラと輝かせていた。コイツはどうしてこんな命令を出したんだろう。単にお姫様抱っこが見たかっただけ? ……それだけなのか?
「最上、大丈夫?」
「いえ……大丈夫です」
俺の耳元で囁くように、小声で返事する最上。何を思っているのかな。ぎゅっとしがみつかれているから、表情がよく見えない。
「なーんか、恥ずかしいな」
「えっ?」
なんとなく、声をかける。こんな綺麗な子をお姫様抱っこするなんて緊張するな。ドラマの中ではよく見る光景だけど、いざやってみるとドキドキする。
「どうして恥ずかしいんですか。柚希の時はそう見えませんでしたけど」
「最上みたいな子を抱っこするなんてさ、妹とはわけが違うよ」
「先輩は意外とピュアなんですね」
いつもの凛とした声で、最上はそう言い放った。もしかすれば、妙な気分になっているのは俺だけなのかもしれない。だけど、身体越しに伝わる最上の拍動は、通常のそれよりも速い気がした。
「二人ともーっ、こっち向いてー!」
「「えっ?」」
声に反応して、二人で柚希の方を向く。次の瞬間、スマホのシャッター音が鳴り響いて……カメラマンが満足げな表情を浮かべた。
「えへへっ、撮っちゃった!」
「ゆ、柚希!」
「んー? どうしたの?」
「いや……その……」
不意に撮られて動揺したのか、最上はいつになく慌てた声を上げていた。柚希は相変わらずニヤニヤとしている。こっちはこっちで何を考えているのか分からないな。なんだか、この状況を楽しんでいるようにも見える。
「こら柚希、勝手に写真撮らないの」
「えー、せっかくお似合いなのにい」
「お似合い?」
「あっ! ……おにいっ、今の忘れて!」
「えっ? あっ、うん」
柚希は手で口元を抑え、「しまった」と言わんばかりだった。俺と最上がお似合い、と言いたいのか? 俺が良くても、最上がそう思わないだろうに。
「じゃあじゃあっ、今度はちゃんと撮るから! 二人ともこっち向いて!」
なんて思っていると、また柚希がスマホを構えた。どうやら意地でも俺たちのお姫様抱っこを写真に収めたいらしい。
「えー、別にいいのに」
「いいから! 撮るの!」
「後で見たら恥ずかしいじゃん。なあ?」
「……」
同意を求めて話を振ったのだけど、最上はそっぽを向いてなかなか口を開かない。恋人でもないのにお姫様抱っこなんて、将来黒歴史になってしまいそうだと思うのに。
「……一枚くらい、撮らせたらどうですか」
「えっ?」
「いえ、そうしないと柚希が引き下がらないと思ったので」
最上は柚希の方を見たままそう言った。だったら止める理由はないけどさ。
「柚希、撮っていいって」
「任せて! 縦で撮るから壁紙にしてねっ!」
「しないけど!?」
「はいっ、笑ってー!」
柚希が改めてスマホを構えて、こちらに向かって手を振っていた。俺は最上を抱っこする腕に力を込めて、笑顔を作ろうと努める。
「おにいっ、ちゃんと笑って!」
「笑ってるってば!」
「悠も! もっといい顔してよー!」
「してるってば……」
最上はまたもごもごと言いよどんでいた。部活で唯一の後輩をお姫様抱っこして写真撮影、なんて変な青春だなあ。やっぱり黒歴史になるかもしれん。
でも――最上となら、いいか。そんな風に考えている自分がいた。
「はいっ、チーズ!」
ふと気を抜いていた瞬間に、柚希がシャッターを切っていた。笑顔を作ろう、というのが頭から抜けていたから、ひょっとして間抜けな表情だったかも。
「……うん、撮れた!」
「そっか。最上、降りるか?」
「はい。お願いします」
ゆっくりと腰を落とすと、最上は床に足をつけて俺の腕から降りた。おお、腕が疲れた。まだまだ研鑽が必要かもしれないな。そういや、俺はどんな顔で写ったんだろう。
「柚希、写真見せてよ」
「あっ、うん! ちょっと待っ――」
「柚希っ!」
俺が歩み寄ろうとした瞬間、それより先に最上が柚希のもとに走っていった。まるでスマホを俺から隠すようにして、柚希の腕を掴む。
「ふえっ!? な、なに悠!?」
「先輩、今日はこれで失礼します。柚希、一緒に帰ろう」
「えっ、帰るの!?」
最上は机の横に掛けてあった鞄を手に取り、柚希を引きずって部室の出口に向かって歩いていく。あっという間の出来事で、俺はただただ呆然と眺めることしか出来なかった。
「ちょっ、おにいがまだ――」
「いいから。先輩、また明日」
「ああ、うん……」
去り行く最上の背中を見つめる。……何だろう。何かを忘れている気がする。王様ゲームで命じられたこと。お姫様抱っこの前に、最上に命じられたこと――
「な、なあ!」
「はい?」
大きな声をあげると、最上がこちらに振り返った。俺はなるべく平静を装って、いつも通りに挨拶をする。
「悠、また明日な」
「!」
最上はすぐにこちらから顔を背けて、部室の扉を開けた。いつも通りの冷静さで、廊下に歩き出していく。
何の返事もなし……か。少し寂しさを覚えつつ、自分も帰ろうと身支度を始めようとしたその刹那。扉の向こうから、たしかにその一言は聞こえてきた。
「お疲れ様です、詩音先輩」
扉の閉まる音が、部室に響き渡った。




