晩秋の庭とクリスマスの約束
十一月の屋敷の庭は、晩秋の静けさに包まれていた。秋桜は花を閉じ、紅葉の木々は最後の葉を風に預け、庭の片隅では菊の花が控えめに咲き誇っていた。
敷石の小径は、落ち葉がサクサクと音を立て、まるで秋の物語が最後のページをそっと閉じるようだった。
遠くの白壁の屋敷は、柔らかな陽光に照らされて静かに佇み、晩秋の風は冷たく、けれどどこか優しい香りを運んでいた。
早希は庭の隅で、菊の花壇に水をやっていた。一九歳の彼女は、この屋敷で住み込みのメイドとして働く。
黒と白のメイド服に、晩秋らしい薄いグレー色のエプロンを重ね、長い栗色の髪をゆるくポニーテールにしていた。
朝から屋敷の暖炉の準備を終え、庭の手入れに取り掛かっていたが、十一月の陽射しは穏やかで、頬を撫でる風が心地よい。
早希は庭仕事が好きだった。菊の清楚な姿や、落ち葉の軽やかな音が、心に静かな安らぎを与えてくれる。
「菊って、こんな寒くなっても咲くんだな…」
早希は水差しを置き、菊の花を見上げた。
白と黄色の花びらが風に揺れ、まるで晩秋の光をそっと抱きしめるようだった。
彼女は小さな笑みを浮かべ、庭の奥に広がる裸木のシルエットを眺めた。庭は、早希にとって心の休息の場所だった。
屋敷の静かな部屋も悪くないが、庭には季節の息吹があり、花や木々がそっと心に寄り添ってくれる。
そんな穏やかな時間を過ごしていると、正門のあたりで小さな人影がチラリと見えた。
早希は水差しを花壇の脇に置き、そっと目を凝らす。門の外に立っていたのは、詩織だった、気弱で純粋な中学生の女の子。
学校帰りらしく、セーラー服姿で、黒いミディアムヘアが秋の風に軽く揺れている。
大きな瞳は弾むような光を宿し、手には小さな紙袋とノートを抱えていた。
いつもより少し背筋が伸びているように見え、どこか決意を秘めた雰囲気が漂っていた。
早希は軽い足取りで正門に向かい、いつもの柔らかな笑顔で声をかけた。
「詩織ちゃん、こんにちは! なんか、今日めっちゃキラキラしてるね! いいことあった?」
詩織はビクッと肩を震わせ、すぐに早希を見上げてパッと笑顔になった、頬がほんのり赤く、瞳には嬉しさと少しの緊張が混じっていた。
彼女は紙袋をぎゅっと握り、明るい声で答えた。
「う、うん! こんにちは、早希さん! あの…文化祭、めっちゃ楽しかったから…話したくて…!」
早希は詩織の弾んだ様子にくすりと笑い、門の外まで出て、しゃがんで目線を合わせる。
「文化祭! いいね! どんなだった? 庭のベンチでゆっくり聞かせてよ。菊、きれいだよ」
詩織はこくこくと頷き、早希の後ろについて庭の中へ入る。敷石の小径を歩く二人の足音が、晩秋の風に混じって小さく響いた。
菊の花が道の両脇で静かに揺れ、落ち葉が陽光を浴びてキラキラと輝く、まるで庭全体が、詩織の小さな喜びを優しく迎え入れているようだった。
ベンチに腰を下ろすと、早希は詩織の紙袋に目をやった。
「それ、なに? また栞作ってきてくれた?」
詩織は少し照れながら紙袋を開け、中から小さな栞を取り出した。紙製の栞には、手描きの菊のイラストが清楚に描かれている。
白と黄色の花びらが、詩織の丁寧な手仕事を物語っていた。
「これ…その、早希さんに、と思って…。庭の菊、きれいだったから…描いてみたの…」
詩織は恥ずかしそうに栞を差し出し、早希はそれを手に取って目を細めた。
菊のイラストは少し素朴だが、晩秋の穏やかな雰囲気が感じられた。
「わぁ、めっちゃ優しい感じ! 詩織ちゃん、ほんと絵上手だね。菊、庭のより温かい雰囲気だよ」
早希の素直な称賛に、詩織の頬がさらに赤くなる。彼女はベンチの上で足を小さく揺らし、笑顔で答えた。
「ほ、ほんと…? ちょっと、色塗るの難しかったけど…早希さんが喜んでくれるなら、嬉しい…」
早希は栞を手に、大切そうに眺めた。
「これ、秋の宝物にするよ。詩織ちゃんの栞、なんか心がほっこりする感じ!」
その言葉に、詩織の瞳がキラリと光った。彼女は少し勇気を振り絞るように、ノートを手に持ち、口を開いた。
「早希さん…あの、文化祭、ほんとすごかったの…! 喫茶店のポスター、みんなに褒められて…私、めっちゃ嬉しかった…!」
詩織の声は、いつもより大きく、弾むような響きを持っていた。早希は目を丸くし、すぐに笑顔になる。
「え、めっちゃすごいじゃん! 詩織ちゃんのポスター、絶対可愛かったんだろうな! どんなだった? ぜんぶ教えて!」
詩織はノートを膝に置き、目を輝かせて話し始めた。
「うん…ポスター、紅葉とコーヒーカップの絵、描いたの。クラスの子たちが、『詩織、めっちゃ上手!』って言ってくれて…喫茶店、すっごく賑わって…私、ウェイトレスも少しやったの…!」
彼女の言葉には、控えめながらも誇らしさが滲んでいた、早希はそんな詩織の様子に、胸が温かくなるのを感じた。
「めっちゃかっこいい! 詩織ちゃん、ウェイトレスやったんだ! どんな感じだった? お客さん、どんな人来た?」
早希の興味津々な声に、詩織は少し照れながら続ける。
「うん…ちょっと緊張したけど…みんな、笑顔で『ありがとう』って言ってくれて…。友達と一緒に、メニュー運んだり、笑ったり…なんか、楽しかった…!」
早希は詩織の話を聞きながら、彼女の純粋さに心を奪われる。
「めっちゃ素敵! 詩織ちゃん、ウェイトレス姿、絶対可愛かっただろうな! ポスターも、どんなだったか想像しただけでワクワクするよ!」
詩織は少し考え込み、ノートに挟んだ小さなスケッチを取り出した。
そこには、紅葉とコーヒーカップが描かれたポスターのラフ画があった。
「これ…下書き、持ってきたの…。こんな感じだった…」
早希はスケッチを覗き込み、目を輝かせた。
「うわ、めっちゃ可愛い! 紅葉とコーヒーカップ、めっちゃ秋っぽい! 詩織ちゃん、ほんとセンスあるね!」
詩織はスケッチをそっと閉じ、頬を赤らめた。
「早希さんがそう言ってくれると…なんか、もっと自信出てくる…。文化祭、ほんと、いい思い出になった…」
早希は詩織の手をそっと握り、微笑んだ。
「詩織ちゃん、ほんとすごいよ。文化祭、キラキラした時間だったんだね。私、心の中で応援してたの、届いたかな?」
「うん…! なんか、届いた気がする…!」
詩織はパッと笑顔になり、ベンチの上で小さく体を揺らした。晩秋の陽光がベンチを包み、菊の花がそっと揺れる。
まるでこの瞬間が、物語の輝くページのように、鮮やかに刻まれていく、
詩織は少しの間、静かに菊の花を見つめていた。
彼女の瞳には、いつもの純粋さに加えて、どこか覚悟を決めたような光が宿っていた、早希はその変化に気づき、そっと尋ねた。
「詩織ちゃん、なんか、考え事? いつもより、ちょっと真剣な顔してるね」
詩織はビクッと肩を震わせ、セーラー服の裾をぎゅっと握った。彼女は深呼吸し、勇気を振り絞るように口を開いた。
「早希さん…あの…私、ちょっと、話したいことがあって…」
その声は小さく、けれど確かに響いた。早希は詩織の真剣な瞳を見て、優しく微笑んだ。
「うん、どんなこと? ゆっくり話してね。私、ちゃんと聞くよ」
詩織はノートを胸に抱き、目を伏せながら、言葉を慎重に選ぶように話し始めた。
「クリスマス…一二月二五日、なんだけど…。その日、早希さんと…お出かけ、できたらなって…思って…」
彼女の声は震え、頬は真っ赤になっていた。早希は一瞬目を丸くし、すぐに柔らかな笑顔を浮かべた。
「クリスマス!? え、めっちゃ素敵な提案じゃん! 詩織ちゃん、どんなお出かけしたい?」
早希の明るい声に、詩織の緊張が少し解けたようだった。
彼女は恥ずかしそうに笑い、ノートをぎゅっと握りながら答えた。
「う、うん…街で、クリスマスの飾り見たり…イルミネーション、きれいだなって思って…。早希さんと、一緒に見れたら…嬉しいなって…」
早希の心が、ふわりと温かくなった、彼女は詩織の純粋な瞳を見つめ、そっと答えた。
「めっちゃいいね! イルミネーション、絶対きれいだよ! 私、クリスマス、屋敷で過ごすこと多いけど…詩織ちゃんと一緒なら、めっちゃ楽しそう!」
詩織の顔がパッと明るくなった。彼女は目を輝かせ、ベンチの上で小さく体を揺らした。
「ほ、ほんと…? 早希さん、いいの…? 私、ちょっと、ドキドキして…でも、すっごく嬉しい…!」
「うん、ぜったい! クリスマス、詩織ちゃんと一緒にお出かけするの、めっちゃ楽しみ! 約束ね!」
早希は詩織の手をぎゅっと握り、笑顔で約束した。詩織はこくこくと頷き、頬を赤らめながら笑った、晩秋の風がベンチを包み、菊の花がそっと揺れる。
まるで庭全体が、二人の小さな約束を祝福しているようだった。
その後も、二人は他愛もない話を続けた、詩織は文化祭でのクラスの出し物のエピソードや、喫茶店での小さな失敗談を笑いながら語り、早希は庭で見た秋の鳥や、屋敷で作ったシナモンクッキーの話を楽しそうに話した。
詩織の純粋な笑顔と、早希の穏やかな声が、庭の晩秋の空気に溶け合う。
やがて、陽が西に傾き、空が茜色に染まり始めた、詩織は時計を見て、慌てたように立ち上がる。
「あ…もう、こんな時間…! お母さん、夕飯の準備してるから、帰らなきゃ…」
「そっか。じゃあ、また来てね。栞、ほんと嬉しかったよ。クリスマス、めっちゃ楽しみにしてるから!」
早希の言葉に、詩織はパッと笑顔になり、こくこくと頷いた。
「うん! 早希さん、ありがとう…! また、来るね…! クリスマス、絶対、楽しみだね…!」
詩織はノートと紙袋を手に、軽い足取りで正門へと向かう。
早希はベンチから立ち上がり、彼女を見送った。
小さな背中が遠ざかる中、晩秋の風が菊の花びらをひらりと舞わせる。詩織は振り返り、恥ずかしそうに手を振った。早希も笑顔で手を振り返す。
「詩織ちゃん、ほんと…キラキラしてるな」
早希は小さく呟き、ベンチに戻って栞を手に取った。菊のイラストをそっと撫で、目を細める。
詩織の純粋さと小さな勇気が、晩秋の花のように心に咲いていた。
一方、詩織は帰り道を歩きながら、ポケットの中の栞をそっと撫でた。
早希の優しい声と、庭での穏やかな時間が、胸の奥でキラキラと輝いている。
文化祭の成功と、クリスマスへの期待が、彼女の心を軽やかにしていた。
彼女は本の世界が大好きだったけれど、早希と過ごした時間は、どんな物語よりも鮮やかだった。
「早希さん…クリスマス、楽しみだな…」
詩織は小さく呟き、頬を赤らめる、十一月の夕暮れの風が、彼女の髪をそっと揺らし、新しい物語の続きを予感させた。
屋敷の庭は、今日も二人の時間を静かに見守っていた。菊の花が夕陽に輝き、落ち葉がそよぐ中、早希と詩織の小さな絆は、晩秋の光に照らされて、ゆっくりと花開いていくのだった。