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夏の陽光と図書館の夢

 七月の屋敷の庭は、夏の陽光に輝いていた。

 紫陽花の花はしっとりと色褪せ、代わりにひまわりが力強く首を伸ばし、鮮やかな黄色で庭を彩っていた。

 敷石の小径は陽射しに熱され、かすかに揺らめく陽炎が、まるで夏の物語をそっと囁いているようだった。

 遠くの白壁の屋敷は、強い陽光の下で静かに佇み、木々の間を抜ける風は、夏の暖かさを運びながらも、どこか爽やかな涼しさを残していた。

 

 早希は庭の木陰で、ひまわりの周りに水を撒いていた。

 

 黒と白のメイド服に、夏らしい薄い黄色のエプロンを重ね、長い栗色の髪を高めのポニーテールにしていた。

 朝から屋敷の掃除を終え、庭の手入れに取り掛かっていたが、夏の陽射しは容赦なく、額に小さな汗が光る。

 それでも、早希は庭仕事が好きだった。ひまわりの力強い姿や、風にそよぐ木々の音が、心を軽やかにしてくれる。

「ふう、ひまわりって、ほんと元気だな…」

 早希は水差しを置き、ひまわりの大きな花を見上げた。太陽に向かって堂々と咲くその姿は、まるで夏の情熱を体現しているようだった。

 彼女は目を細め、風に揺れる花びらを追いかけた、庭は、早希にとって心の安らぎの場所だった。屋敷の静かな部屋も悪くないが、庭には季節の鼓動があり、花や木々がそっと心に語りかけてくれる。

 そんな穏やかな時間を過ごしていると、正門のあたりで小さな人影がチラリと見えた。

 早希は水差しを木の根元に置き、そっと目を凝らす、門の外に立っていたのは、詩織だった。

 気弱で純粋な中学生の女の子。

 小柄で華奢な体にセーラー服、黒いミディアムヘアが夏の風に軽く揺れ、大きな瞳はどこか弾むような光を宿していた。

 彼女の手には小さな布袋があり、胸に軽く抱かれている。

 早希は軽い足取りで正門に向かい、いつもの柔らかな笑顔で声をかけた。

「詩織ちゃん、こんにちは! 暑いのに、元気だね」

 詩織はビクッと肩を震わせ、すぐに早希を見上げてパッと笑顔になった、頬がほんのり赤く、瞳には嬉しさと少しの照れが混じっていた。

 彼女は布袋をぎゅっと握り、明るい声で答えた。

「う、うん! こんにちは、早希さん! あの…今日、ちょっと、話したいことがあって…」

 早希は詩織の弾んだ様子にくすりと笑い、門の外まで出て、しゃがんで目線を合わせる。

「へえ、なんだか楽しそうな雰囲気だね。どんな話? 庭のベンチでゆっくり聞かせてよ」

 詩織はこくこくと頷き、早希の後ろについて庭の中へ入る。

 敷石の小径を歩く二人の足音が、夏の風に混じって小さく響いた。

 ひまわりの花が道の両脇で力強く揺れ、木々の葉が陽光を浴びてキラキラと輝く、まるで庭全体が、詩織の小さな喜びを祝福しているようだった。

 ベンチに腰を下ろすと、早希は詩織の布袋に目をやった。

「それ、なに? また何か持ってきてくれた?」

 詩織は少し照れながら布袋を開け、中から小さな栞を取り出した。紙製の栞には、手描きのひまわりのイラストが鮮やかに描かれている。夏らしい黄色と緑の色合いが、詩織の丁寧な手仕事を物語っていた。

「これ…その、早希さんに、と思って…。ひまわり、庭で見たから…描いてみたの…」

 詩織は恥ずかしそうに栞を差し出し、早希はそれを手に取って目を細めた。ひまわりのイラストは少し素朴だが、陽光のような明るさが感じられた。

「わぁ、めっちゃ元気なひまわり! 詩織ちゃん、ほんと絵上手だね。これ、庭のひまわりそっくりだよ」

 早希の素直な称賛に、詩織の頬がさらに赤くなる。彼女はベンチの上で足を小さく揺らし、笑顔で答えた。

「ほ、ほんと…? ちょっと、線ガタガタだけど…早希さんが喜んでくれるなら、嬉しい…」

 早希は栞を手に、大切そうに眺めた。

「これ、めっちゃ宝物にするよ。詩織ちゃんの栞、なんか夏の元気をくれる感じ!」

 その言葉に、詩織の瞳がキラリと光った、彼女は少し勇気を振り絞るように、口を開いた。

「早希さん…あの、体育祭、終わったんだ…! 私、頑張ったよ…!」

 詩織の声は、いつもより少し大きく、弾むような響きを持っていた。早希は目を丸くし、すぐに笑顔になる。

「え、ほんと!? すごいじゃん! 詩織ちゃん、どんな感じだった? ぜんぶ教えて!」

 詩織はセーラー服の裾を軽く握り、目を輝かせながら話し始めた。

「うん…あの、走るの、ほんと苦手だったけど…リレーに出て、転ばなかったの! ビリだったけど…みんな、応援してくれて…なんか、楽しかった…!」

 彼女の言葉には、控えめながらも誇らしさが滲んでいた。早希はそんな詩織の様子に、胸が温かくなるのを感じた。

「めっちゃかっこいいじゃん! 詩織ちゃん、走ったんだ! 転ばなかったの、めっちゃすごいよ! どんな応援だったの?」

 早希の興味津々な声に、詩織は少し照れながら続ける。

「クラスの子たちが…『詩織、頑張れ!』って、名前呼んでくれて…。私、びっくりしたけど…なんか、嬉しくて…走ってる時、早希さんのこと、思い出したんだ…」

「え、私!?」

 早希は驚いたように胸に手を当て、笑顔で詩織を見つめた。詩織は頬を赤らめ、モジモジしながら答えた。

「うん…早希さんが、『自分のペースでいい』って言ってくれたから…失敗しても、笑えばいいって思って…それで、頑張れたの…」

 早希の心が、ふわりと温かくなった。彼女は詩織の純粋な瞳を見つめ、そっと答えた。

「詩織ちゃん、ほんとすごいよ。自分のペースで走った詩織ちゃん、絶対かっこよかったんだから! 私、心の中で応援してたの、届いたかな?」

「うん…! なんか、届いた気がする…!」

 詩織はパッと笑顔になり、ベンチの上で小さく体を揺らした。夏の陽光が二人の間を照らし、ひまわりの花がそっと揺れる。まるでこの瞬間が、物語の輝くページのように、鮮やかに刻まれていく。

「それでね、早希さん! もうすぐ夏休みなんだ…! 私、図書館にいっぱい通えるの、めっちゃ楽しみで…!」

 詩織の声がさらに弾んだ。彼女は布袋から小さなノートを取り出し、ページをめくる。

 そこには、読みたい本のタイトルや詩集のリストが、丁寧な字でびっしりと書かれていた。

「図書館! いいね! 詩織ちゃん、ほんと本好きだよね。どんな本読む予定?」

 早希はノートを覗き込み、興味深そうに尋ねた。詩織は目を輝かせ、ノートを指差しながら話し始めた。

「うん…詩集とか、童話とか…あと、夏っぽい物語も読みたいの。図書館、涼しくて静かで…なんか、本の世界に入れるから、好きなんだ…」

 早希は詩織の話を聞きながら、彼女の純粋さに心を奪われる。

「詩織ちゃんの話、聞いてると、図書館に行きたくなっちゃうよ。詩って、どんな感じのやつが好き? 前にもちょっと話してたよね、詩のこと」

 詩織は少し照れながら、ノートを胸に抱いた。

「うん…なんか、夏の風とか、花とか、日常の小さなことが詩になってるのが好き…。読んでると、頭の中で絵が浮かぶの。ひまわりとか、早希さんの庭みたいな…」

「え、庭!? それ、めっちゃ素敵じゃん! 詩織ちゃん、ほんと詩人みたいだね。ね、どんな詩が浮かんだか、ちょっと教えてよ」

 早希の好奇心に満ちた声に、詩織は慌てたように手を振る。

「え、だ、だめ! 恥ずかしいよ…! ただ、なんか…ひまわりが、太陽に話しかけてるみたい、って思っただけ…」

「それ、めっちゃいい! ひまわりが太陽に話しかけるなんて、詩織ちゃんの頭の中、絶対キラキラしてるね」

 早希の明るい声に、詩織はくすくすと笑った。彼女はノートをそっと閉じ、ベンチの上で足を揺らす。

「早希さん、話してると…なんか、夏休み、もっと楽しみになってきた…。図書館で本読んで、早希さんに話したいなって…」

 その言葉に、早希の胸が温かくなった。彼女は詩織の手をそっと握り、微笑んだ。

「うん、ぜったい話して! 詩織ちゃんの読んだ本の話、めっちゃ楽しみにしてるよ。庭で待ってるから、いつでもおいでね」

 二人は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。

 夏の陽光がベンチを包み、ひまわりの花がそっと揺れる、風が二人の間を抜け、まるで夏の物語が軽やかに紡がれていくようだった。

 その後も、二人は他愛もない話を続けた。

 詩織は体育祭の他の種目や、クラスの友達の話を少しずつ話し、早希は庭で最近見た蝶の話や、屋敷で焼いた夏らしいレモンタルトの話を笑いながら語った。

 詩織の純粋な笑顔と、早希の穏やかな声が、庭の夏の空気に溶け合う。

 やがて、陽が西に傾き、空が茜色に染まり始めた。詩織は時計を見て、慌てたように立ち上がる。

「あ…もう、こんな時間…! お母さん、心配するから、帰らなきゃ…」

「そっか。じゃあ、また来てね。栞、ほんと嬉しかったよ。夏休み、図書館の話、楽しみにしてるから!」

 早希の言葉に、詩織はパッと笑顔になり、こくこくと頷いた。

「うん! 早希さん、ありがとう…! また、来るね…!」

 詩織は布袋を手に、軽い足取りで正門へと向かう、早希はベンチから立ち上がり、彼女を見送った。

 小さな背中が遠ざかる中、夏の風がひまわりの花びらをひらりと舞わせる。

 詩織は振り返り、恥ずかしそうに手を振った、早希も笑顔で手を振り返す。

「詩織ちゃん、ほんと…キラキラしてるな」

 早希は小さく呟き、ベンチに戻って栞を手に取った。ひまわりのイラストをそっと撫で、目を細める、詩織の純粋さが、夏の陽光のように心に輝いていた。

 一方、詩織は通学路を歩きながら、ポケットの中の栞をそっと撫でた。

 早希の優しい声と、庭での穏やかな時間が、胸の奥でキラキラと響いている。

 体育祭を乗り越えた小さな自信と、夏休みの楽しみが、彼女の心を軽やかにしていた。

 彼女は本の世界が大好きだったけれど、早希と過ごした時間は、どんな物語よりも鮮やかだった。

「早希さん…また、会いたいな…」

 詩織は小さく呟き、頬を赤らめる、七月の夕暮れの風が、彼女の髪をそっと揺らし、新しい物語の続きを予感させた。

 屋敷の庭は、今日も二人の時間を静かに見守っていた。

 ひまわりの花が夕陽に輝き、木々の葉がそよぐ中、早希と詩織の小さな絆は、夏の光に照らされて、ゆっくりと花開いていくのだった。

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