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桜の詩と新しい春

 

 四月の屋敷の庭は、春の盛りに華やいでいた。梅の花は散り、代わりに桜が満開を迎え、淡いピンクの花びらが風に舞い、敷石の小径に柔らかな絨毯を織りなしていた。

 庭の片隅では、新芽が芽吹き、若草色の緑が陽光に輝く。

 遠くの白壁の屋敷は、春の光に照らされて穏やかに佇み、そよ風は桜の香りを運び、まるで新しい物語がページをめくるように軽やかに響き合っていた。

 早希は庭のベンチの脇で、桜の木の下に落ちた花びらを箒で集めていた。

 黒と白のメイド服に、春らしい薄いピンクのエプロンを重ね、長い栗色の髪をゆるく三つ編みにしていた。

 朝から屋敷の窓拭きを終え、庭の手入れに取り掛かっていたが、四月の陽射しは暖かく、頬を撫でる風が心地よい、早希は庭仕事が好きだった。

 桜の花びらの舞う姿や、新芽の小さな鼓動が、心に春の活力を与えてくれる。

「桜、ほんときれいだな…詩織ちゃん、喜んでくれるかな…」

 早希は箒を一瞬止めて、桜の木を見上げた。満開の花びらが風に揺れ、まるで春の空に詩を紡いでいるようだった。

 彼女は小さな笑みを浮かべ、紙袋にそっと手を伸ばした。中には、詩織への進級祝いとして用意した、日本語に翻訳された海外の詩集が入っている。

 エミリー・ディキンソンやシルヴィア・プラスの詩を厳選した一冊。

 詩織の詩への愛を知る早希にとって、春の新しい門出にふさわしい贈り物だった。

 

 そんな穏やかな時間を過ごしていると、正門のあたりで小さな人影がチラリと見えた。

 早希は箒を木の根元に立てかけ、そっと目を凝らす。

 門の外に立っていたのは、詩織だった。

 一三歳、中学二年生に進級したばかりの女の子。

 

 新学期が始まったばかりだが、今日は週末らしく、セーラー服ではなく、白いブラウスに淡い桜色のスカート、黒いタイツにショートブーツという出立ち。

 黒いミディアムヘアはリボンでハーフアップにまとめ、大きな瞳はキラキラと輝き、春の喜びと少しの緊張を宿していた。手には小さな布バッグと紙袋を抱えていた。

 

 早希は軽い足取りで正門に向かい、いつもの柔らかな笑顔で声をかけた。

「詩織ちゃん、こんにちは! 中学二年生、おめでとう! めっちゃ春っぽいコーデ、可愛いね!」

 詩織はビクッと肩を震わせ、すぐに早希を見上げてパッと笑顔になった。

 頬がほんのり赤く、瞳には嬉しさと少しの照れが混じっていた。彼女は布バッグをぎゅっと握り、明るい声で答えた。

「う、うん…! こんにちは、早希さん! あの…進級、ちょっとドキドキしてるけど…早希さんに、会いたくて…!」

 早希は詩織の弾んだ様子にくすりと笑い、門の外まで出て、しゃがんで目線を合わせる。

「ドキドキするよね! 新しい学年、めっちゃ楽しみだね! ね、詩織ちゃん、庭の桜、めっちゃきれいだよ。ベンチでゆっくり話そう!」

 詩織はこくこくと頷き、早希の後ろについて庭の中へ入る。

 敷石の小径を歩く二人の足音が、春の風に混じって小さく響いた、桜の花びらが道の両脇でひらりと舞い、陽光を浴びてキラキラと輝く。

 まるで庭全体が、詩織の新しい春を優しく迎え入れているようだった。

 ベンチに腰を下ろすと、早希は紙袋から詩集を取り出し、詩織に差し出した。

「詩織ちゃん、進級おめでとう! これ、プレゼント。詩織ちゃんの詩好き、知ってるから…ちょっと特別な詩集、選んでみたんだ」

 詩集の表紙は、シンプルながらも春らしい淡い緑色で、タイトルが金色の文字で刻まれている。

 

 詩織は目を丸くし、詩集を手に取ってページをそっとめくった。

「え…! 早希さん、これ…! エミリー・ディキンソン…! シルヴィア・プラス…! 私、こんな詩集、初めて…!」

 詩織の声は弾み、瞳はキラキラと輝いていた。早希はそんな詩織の様子に、胸が温かくなるのを感じた。

「ほんと? よかった! 詩織ちゃん、詩読む時の顔、めっちゃキラキラしてるから、絶対似合うと思ったんだ。ね、ちょっと読んでみてよ!」

 詩織はこくこくと頷き、詩集を胸に抱いた。

 彼女は紙袋から小さな栞を取り出し、早希に差し出した。紙製の栞には、手描きの桜の花びらのイラストが可憐に描かれている。

 淡いピンクと白の色合いが、詩織の丁寧な手仕事を物語っていた。

「これ…その、早希さんに、と思って…。庭の桜、きれいだったから…描いてみたの…」

 早希は栞を受け取り、目を細めた。

 桜のイラストは少し素朴だが、春の軽やかな雰囲気が感じられた。

「わぁ、めっちゃ可愛い! 詩織ちゃん、ほんと絵上手だね! この栞、詩集にぴったりだよ!」

 詩織の頬が赤くなり、彼女はベンチの上で足を小さく揺らし、笑顔で答えた。

「ほ、ほんと…? ちょっと、花びらの形、難しかったけど…早希さんが喜んでくれるなら、嬉しい…」

 早希は詩集を手に、そっと詩織の隣に座った。

「じゃあ、詩織ちゃん、早速読んでみて! 桜の下で詩読むなんて、めっちゃロマンチックだよね」

 詩織はこくんと頷き、詩集を開いた。彼女はページをゆっくりめくり、エミリー・ディキンソンの詩「春の希望」に目を留めた。

 桜の花びらが風に舞う中、詩織は小さな声で読み始めた。

「『希望は羽を持つもの…嵐の中でも歌い続ける…』」

 詩織の声は、春の風に溶けるように柔らかかった。

 彼女の瞳は詩の言葉に吸い込まれ、まるで桜の花びらと一緒に舞っているようだった、早希はそんな詩織の様子を、微笑みながら見つめた。

「めっちゃきれいな詩…詩織ちゃんの声、なんか、春そのものみたいだね」

 早希の言葉に、詩織は恥ずかしそうに目を伏せ、頬を赤らめた。

「う…早希さんに、読んでるところ見られると…ちょっと、ドキドキする…」

「え、ほんと? でも、詩織ちゃんの読む詩、ほんと心に響くよ。もう一つつ読んで!」

 早希の明るい声に、詩織はくすくすと笑い、詩集のページをめくった。彼女はシルヴィア・プラスの詩「春の目覚め」を選び、ゆっくりと読み始めた。

「『春は、私の心に新しい光を灯す…』」

 桜の花びらが、詩織の声に合わせてひらりと舞う。

 早希は詩織の声に耳を傾けながら、彼女の純粋さに心を奪われた。

 詩織の読む詩は、まるで春の光そのもののように、庭を温かく照らしていた。

「詩織ちゃん、ほんと詩好きだね。読んでる時の顔、めっちゃキラキラしてる」

 早希の言葉に、詩織は詩集を胸に抱き、恥ずかしそうに微笑んだ。

「うん…詩、読んでると、なんか、早希さんの庭みたいに、気持ちが軽くなるの…。早希さんが、この詩集、選んでくれて…ほんと、嬉しい…」

 早希は詩織の手をそっと握り、微笑んだ。

「私も、詩織ちゃんとこうやって過ごすの、めっちゃ幸せだよ。進級祝い、喜んでくれてよかった!」

 詩織の瞳がキラリと光り、彼女はこくこくと頷いた。

「早希さん…ありがとう…! 中学二年生、早希さんと一緒なら、絶対楽しいよ…!」

 二人は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。春の陽光がベンチを包み、桜の花びらがそっと舞う。

 まるで庭全体が、二人の新しい春を祝福しているようだった。

 その後も、二人は桜の木の下で詩集を読み合った。

 詩織は詩を声に出して読み、早希はその声に耳を傾け、時折感想を交わした。

 詩織は詩の言葉に心を揺らし、早希は詩織の純粋な表情に心を温めた。

 桜の花びらが二人を包み、春の風がそっと髪を揺らす。

 やがて、詩織は詩集を閉じ、そっと早希を見上げた。

「早希さん…私、こうやって、早希さんと詩読むの…夢みたい…。中学二年生、もっともっと、早希さんと一緒にいたい…」

 早希の心が、ふわりと温かくなった。彼女は詩織の肩にそっと手を置き、微笑んだ。

「私も、詩織ちゃんとこうやって過ごすの、夢みたいだよ。春休み、もっとたくさん一緒にいようね」

 詩織はパッと笑顔になり、こくこくと頷いた。

「うん…! 早希さん、ありがとう…! 春、めっちゃ楽しみ…!」

 二人はベンチに座り、桜の木を見上げた。花びらがひらりと舞い、春の光が二人を照らす。詩織は詩集を胸に抱き、そっと呟いた。

「早希さん…この詩集、ずっと大事にするね…。早希さんからの、春のプレゼント…」

 早希は詩織の手を握り、微笑んだ。

「うん、詩織ちゃんの栞も、ずっと大事にするよ。春の思い出、もっと増やそうね」

 その後も、二人は他愛もない話を続けた。

 詩織は新学期のドキドキや、詩集から浮かんだ新しい詩のアイデアを語り、早希は屋敷の庭に咲き始めた花や、春の新作スイーツの話を笑いながら話した。

 詩織の純粋な笑顔と、早希の穏やかな声が、庭の春の空気に溶け合う。

 

 やがて、陽が西に傾き、空が淡いピンクに染まり始めた。

 詩織は時計を見て、ちょっと名残惜しそうに言った。

「あ…もう、こんな時間…。お母さん、夕飯の準備してるから…帰らなきゃ…」

「そっか。じゃあ、また来てね。詩集、喜んでくれて、ほんと嬉しかったよ。詩織ちゃん、春休み、もっと一緒に詩読もうね!」

 早希の言葉に、詩織はパッと笑顔になり、こくこくと頷いた。

「うん…! 早希さん、ありがとう…! また、来るね…!」

 詩織は詩集と布バッグを手に、軽い足取りで正門へと向かう。

 早希はベンチから立ち上がり、彼女を見送った。

 小さな背中が遠ざかる中、春の風が桜の花びらをひらりと舞わせる。詩織は振り返り、恥ずかしそうに手を振った、早希も笑顔で手を振り返す。

「詩織ちゃん、ほんと…キラキラしてるな」

 早希は小さく呟き、紙袋の中の栞を取り出した。桜の花びらのイラストをそっと撫で、目を細める。

 詩織の純粋さと詩への愛が、春の花のように心に咲いていた。

 一方、詩織は帰り道を歩きながら、詩集をそっと胸に抱いた。

 早希の優しい声と、庭での穏やかな時間が、胸の奥でキラキラと響いている。

 新学期のドキドキと、早希からのプレゼントが、彼女の心を軽やかにしていた。

 彼女は本の世界が大好きだったけれど、早希と過ごした春の時間は、どんな物語よりも鮮やかだった。

「早希さん…大好き…」

 詩織は小さく呟き、頬を赤らめる。四月の夕暮れの風が、彼女の髪をそっと揺らし、新しい物語の続きを予感させた。

 屋敷の庭は、今日も二人の時間を静かに見守っていた。

 桜の花びらが夕陽に輝き、春の風がそよぐ中、早希と詩織の新しい絆は、春の光に照らされて、ゆっくりと花開いていくのだった。

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