冬の甘さとバレンタインの告白
二月の屋敷の庭は、冬の静かな美しさに包まれていた。梅のつぼみはほのかに開き始め、淡いピンクの花びらが冷たい空気にそっと息づいていた。
敷石の小径は、朝の霜が薄く残り、陽光にキラキラと輝く。
木々の枝は葉を落とし、冬の空に細いシルエットを描き、遠くの白壁の屋敷は、澄んだ陽光に照らされて凛と佇んでいた。
冷たい風は頬を刺すが、どこか新しい季節の予感を運び、まるで物語が新たなページを開くように静かに響き合っていた。
早希は庭の隅で、落ち葉を箒で集めていた。
黒と白のメイド服に、冬らしい深紅のエプロンを重ね、長い栗色の髪をゆるくポニーテールにしていた。
朝から屋敷の暖炉の掃除を終え、庭の手入れに取り掛かっていたが、二月の陽射しは柔らかく、頬を撫でる風が冷たくも心地よい、早希は庭仕事が好きだった。
梅の花の小さな鼓動や、霜のキラキラした輝きが、心に静かな安らぎを与えてくれる。
「梅、咲き始めたな…バレンタインに花って、なんかロマンチックだね」
早希は箒を一瞬止めて、梅の花を見上げた。
淡いピンクの花びらが風に揺れ、まるで冬の空に小さな恋の詩を囁いているようだった。
彼女は小さな笑みを浮かべ、庭の奥に広がる冬の木々のシルエットを眺めた、庭は、早希にとって心の休息の場所だった。
屋敷の静かな部屋も悪くないが、庭には冬の清らかさがあり、梅の花や霜がそっと心に寄り添ってくれる。
そんな穏やかな時間を過ごしていると、正門のあたりで小さな人影がチラリと見えた。
早希は箒を木の根元に立てかけ、そっと目を凝らす。
門の外に立っていたのは、詩織だった、気弱で純粋な中学生の女の子。
学校は冬休み明けだが、今日はバレンタインらしく、セーラー服ではなく、白いニットのセーターに淡いピンクのコート、チェック柄のスカート、黒いタイツにショートブーツという出立ち。
黒いミディアムヘアはリボンでハーフアップにまとめ、大きな瞳はキラキラと輝き、どこか緊張した光を宿していた。
手には小さな紙袋をぎゅっと握り、いつもより少し背筋が伸びているように見えた。
早希は軽い足取りで正門に向かい、いつもの柔らかな笑顔で声をかけた。
「詩織ちゃん、こんにちは! バレンタインだね! めっちゃ可愛いコーデ、ピンクのコート似合ってるよ!」
詩織はビクッと肩を震わせ、すぐに早希を見上げて頬を赤らめた。
瞳には嬉しさと、強い緊張が混じっていた、彼女は紙袋をぎゅっと握り、かすかな声で答えた。
「う、うん…! こんにちは、早希さん…! あの…今日、バレンタインだから…その、来ちゃった…」
早希は詩織の緊張した様子にくすりと笑い、門の外まで出て、しゃがんで目線を合わせる。
「バレンタイン! めっちゃロマンチックな日だね! 詩織ちゃん、その紙袋、なに? もしかして…?」
早希の少しからかうような声に、詩織の頬がさらに赤くなる。
彼女はモジモジと紙袋を胸に抱き、恥ずかしそうに頷いた。
「うん…あの、早希さんに…チョコ、作ったの…。バレンタイン、だから…」
詩織の声は震えていたが、瞳には真剣な光が宿っていた。早希の胸が、ふわりと温かくなった。彼女は笑顔で詩織の手をそっと握り、言った。
「え、ほんと!? 詩織ちゃんの手作りチョコ! めっちゃ嬉しい! 庭のベンチで開けよう? あったかい紅茶も出すよ!」
詩織はこくこくと頷き、早希の後ろについて庭の中へ入る。
敷石の小径を歩く二人の足音が、冬の風に混じって小さく響いた。梅の花が道の両脇で静かに揺れ、霜が陽光を浴びてキラキラと輝く。
まるで庭全体が、詩織の小さな勇気を優しく見守っているようだった。
ベンチに腰を下ろすと、早希は屋敷から持ってきたポットで紅茶を淹れ、二人分のカップを用意した。湯気が立ち上るカップを詩織に渡し、微笑む。
「はい、詩織ちゃん。あったかい紅茶、飲んでリラックスしてね。で、チョコ、見せて見せて!」
詩織は紙袋をそっと開け、中から綺麗にラッピングされた小さな包みを取り出した。
ピンクのリボンで結ばれた箱には、丁寧に手書きの「早希さんへ」というメッセージが添えられている、早希は目を輝かせ、箱を受け取った。
「わぁ、めっちゃ可愛いラッピング! 詩織ちゃん、めっちゃ丁寧だね!」
詩織は恥ずかしそうに目を伏せ、紅茶のカップを握りながら呟いた。
「うん…お母さんに、ちょっと手伝ってもらったの…。でも、チョコは、私が…一生懸命、作った…」
早希はリボンをそっと解き、箱を開けた。
中にはハート型のチョコレートが並び、表面には小さな花の模様が描かれている、早希は感嘆の声を上げ、詩織を見つめた。
「めっちゃ可愛い! 詩織ちゃん、こんな上手なチョコ作れるんだ! 食べるの、もったいないくらい!」
詩織の頬が赤くなり、彼女はカップをぎゅっと握った。
「ほ、ほんと…? 早希さんが、喜んでくれるなら…嬉しい…」
早希はチョコを一つ手に取り、そっと口に入れた。甘いカカオの香りが広がり、ほのかな苦味が心を温めた。
「美味しい! 詩織ちゃんのチョコ、めっちゃ優しい味するよ。ほんと、ありがとう!」
早希の素直な称賛に、詩織の瞳がキラリと光った。彼女は紅茶を一口飲み、勇気を振り絞るように口を開いた。
「早希さん…あの、私…チョコだけじゃなくて…話したいことが、あって…」
詩織の声は震え、瞳には真剣な光が宿っていた。早希は詩織の様子に少し驚き、そっとカップを置いて彼女を見つめた。
「うん、どんなこと? 詩織ちゃん、なんか、めっちゃ真剣な顔してるね」
詩織は深呼吸し、セーラー服の代わりに着ているスカートの裾をぎゅっと握った。
彼女の瞳は、冬の空のように澄んでいたが、どこか覚悟を秘めていた。
「私…早希さんのこと…大好き、なの…。ずっと、早希さんと一緒にいる時間、ほんと幸せで…。バレンタインだから…ちゃんと、伝えたいって…思ったの…」
早希は一瞬、目を丸くした、詩織の言葉が、冗談のように軽く響いたが、彼女の真剣な瞳を見て、すぐに本気だと悟った。
詩織の頬は真っ赤で、瞳は潤み、けれどしっかりと早希を見つめていた。
早希の胸が、ドクンと高鳴った。彼女はこれまでの詩織との時間を思い返した。
春の紫陽花、夏のひまわり、秋の紅葉、クリスマスのイルミネーション、初詣の鳥居。
詩織の純粋な笑顔、栞に込めた小さな想い、庭での穏やかな時間。
早希は気づいた、詩織との時間が、彼女の心にどれほど大きな光を灯していたかを。
詩織の気弱さや純粋さ、勇気を振り絞る姿が、早希の心をそっと温めていたことを。
「詩織ちゃん…」
早希はそっと呟き、詩織の手を両手で包んだ。その温もりに、詩織の瞳がわずかに揺れた。
早希は微笑み、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私も…詩織ちゃんのこと、大好きだよ。詩織ちゃんとの時間、いつも心が温かくなる。バレンタインで、こんな気持ち、伝えてくれて…ほんと、嬉しい」
詩織の瞳が、キラキラと輝いた。彼女の顔がパッと明るくなり、まるで冬の空に星が瞬くようだった。
「ほ、ほんと…? 早希さん…私の、気持ち…受け止めてくれる…?」
早希はこくんと頷き、詩織の純粋な瞳を見つめた。
「うん。詩織ちゃんの気持ち、ちゃんと受け止めるよ。私も、詩織ちゃんとこれからも一緒にいたい」
詩織の瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべ、突然早希に抱きついた。
「早希さん…! ほんと、嬉しい…! 私、こんな気持ち、初めてで…!」
詩織の小さな体が、早希の胸で震えていた。早希は驚きつつも、そっと詩織を抱きしめ、背中を優しく撫でた。
「よしよし、詩織ちゃん、めっちゃ可愛いよ。こんな勇気、すごいんだから」
詩織は早希の胸に顔を埋め、しばらくそのままだった。冬の風がベンチを包み、梅の花がそっと揺れる。早希は詩織の髪を撫で、そっと顔を近づけた。
「詩織ちゃん…いい?」
詩織は顔を上げ、潤んだ瞳で早希を見つめた。彼女は小さく頷き、目を閉じた。
早希はそっと詩織の額に唇を寄せ、初めてのキスをした。
柔らかく、温かな感触。
詩織はほんの一瞬、ビクッと体を震わせたが、すぐに受け入れるように目を閉じ、早希の温もりに身を委ねた、二人はしばらくそのまま、冬の庭の中で静かな時間を共有した。
梅の花の香りが、そっと二人を包み、まるでこの瞬間が、物語の最も輝くページのように、永遠に刻まれていくようだった。
やがて、詩織はそっと早希から離れ、恥ずかしそうに微笑んだ。
「早希さん…私、ほんと…幸せ…」
早希は詩織の頬をそっと撫で、微笑んだ。
「私も、詩織ちゃん。バレンタイン、こんな特別な日になるなんて、思わなかったよ」
二人は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。冬の陽光がベンチを包み、梅の花がそっと揺れる。
まるで庭全体が、二人の新しい物語を祝福しているようだった。
その後も、二人は紅茶を飲みながら他愛もない話を続けた。
詩織はチョコ作りの苦労話や、バレンタインのドキドキを語り、早希は屋敷での冬の準備や、庭に飛んできた小鳥の話を笑いながら話した。
詩織の純粋な笑顔と、早希の穏やかな声が、庭の冬の空気に溶け合う。
やがて、陽が西に傾き、空が淡いオレンジに染まり始めた。詩織は時計を見て、ちょっと名残惜しそうに言った。
「あ…もう、こんな時間…。お母さん、夕飯の準備してるから…帰らなきゃ…」
「そっか。じゃあ、また来てね。チョコも、告白も、ほんと嬉しかったよ。詩織ちゃん、最高のバレンタイン、ありがと!」
早希の言葉に、詩織はパッと笑顔になり、こくこくと頷いた。
「うん…! 早希さん、ありがとう…! また、来るね…!」
詩織は紙袋を手に、軽い足取りで正門へと向かう。早希はベンチから立ち上がり、彼女を見送った。小さな背中が遠ざかる中、冬の風が梅の花びらをひらりと舞わせる。
詩織は振り返り、恥ずかしそうに手を振った。早希も笑顔で手を振り返す。
「詩織ちゃん、ほんと…キラキラしてるな」
早希は小さく呟き、紙袋の中のチョコを手に取った。
ハート型のチョコをそっと撫で、目を細める。
詩織の純粋さと勇気が、冬の星のように心に輝いていた。
一方、詩織は帰り道を歩きながら、ポケットの中の栞をそっと撫でた。
早希の優しい声と、庭での温かな時間が、胸の奥でキラキラと響いている。
バレンタインの告白と、初めてのキスが、彼女の心を軽やかにしていた。
彼女は本の世界が大好きだったけれど、早希と過ごしたバレンタインは、どんな物語よりも鮮やかだった。
「早希さん…大好き…」
詩織は小さく呟き、頬を赤らめる。
二月の夕暮れの風が、彼女の髪をそっと揺らし、新しい物語の続きを予感させた。
屋敷の庭は、今日も二人の時間を静かに見守っていた。
梅の花が夕陽に輝き、冬の風がそよぐ中、早希と詩織の新しい絆は、冬の光に照らされて、ゆっくりと花開いていくのだった。