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短編(単発・企画)

異世界ファンタジーは日本人に合わない

作者: ディスマン

純粋さの欠片もない作品だなおい

 異世界転生は今この瞬間にも生み出されている。

 エンタメ界隈で消費されるこの巨大コンテンツは多岐に渡って展開され、多くのカルチャーの礎となってきた。

 私もコミックは読ませてもらっているし、素直に楽しませてもらっている。だが、この著作を書くにあたって、そのような素直さは邪魔となることだろう。なぜなら、私は考えれば考えるほどに矛盾や欠点、俗に言うセキュリティホールのような抜け穴に気付かされるのだ。

 今回は、日本人が異世界で生き抜くハードルの高さについて述べていきたい。というよりは、漫画やノベル上の表現について鋭く斬り倒していくだけであることを念頭に置いて欲しい。




 まず最初に、異世界とは何だろうか。

 概念そのものの意味として異世界とは、現実世界とは異なる別の世界のことを指す。特にファンタジー作品においては、魔法やモンスターが存在する、中世ヨーロッパ風の別世界を指すことが多い。ここで賢い読者なら気づくと思うが、この時点で大きな疑問が二つほど出てくる。

 一つ目は、異世界に対する認識である。現実世界とは異なるというが、これは所詮は別世界とやらを目の当たりにした人間の主観に過ぎないのだ。例えば、地球人が急に別の惑星にワープしたとしよう。その人間は地球外のことを知らない。これは異世界と呼べるだろうか? 答えは否である。確かに地球とは環境が全くの別物であることは確かだが、同じ宇宙の中で星間移動しただけであって世界そのものは変わってはいないのだ。つまり、仮に下校時に足元に魔法陣が出てきて異世界召喚されようが、そこが世界ごと違うとは言い切ることはできないのだ。ただ、我々が想像もつかないほど遠い別惑星かもしれない。この可能性は少なからず残るのである。魔法があろうがドラゴンがいようが、それは別の星の生態系であったり技術の一種でしかないのだ。

 二つ目は、中世ヨーロッパ風の文明である点である。歴史好きなら知っているだろうが、ヨーロッパと違って日本には中世という時代区分はない。大前提として、中世とは西洋史の中にしかない時代区分なのだ。歴史上で過ごしたことのない歴史や文化であるはずの中世風文明世界に、現代の日本人が行ってすぐ馴染めたりする方がおかしい。まだヨーロッパ人の方が順応できるだろう。なのに、そんな世界で日本人がスムーズに生活に溶け込むなど可能だろうか。ましてや国どころか時代も違う世界で、現代日本人が現代日本の道徳や価値観を持って過ごすのは、社会不適合でしかないのである。


 ダンジョンというものも不思議でしかない。ダンジョンは現在では洞窟の中にある迷路という意味合いで使われるが、本来は地下牢という意味がある。ならば洞窟や地底に続く穴などをそう呼ぶ作品ならまだいいが、バベルの塔のような天空へと登っていくタイプのものをダンジョンと呼ぶのは、私には阿呆としか思えない。

 ダンジョン内の宝箱やら最奥のボス部屋なども存在自体がおかしいものだ。なぜ入り組んでいるだけの地下通路に宝箱がある? 誰がなんのために置いた? ダンジョンが生成したのか? であれば何故宝箱の中身を人間にしか価値のない代物にするのだ?

 これだけでかなりの謎や疑問が浮かび出てくる。世界が人間の都合のいいように作られ過ぎているのだ。それこそ、クリエイターや作家によるご都合主義の産物なのだろう。実際に異世界があるとして、そんなゲームのように都合のいい世界ではないことだけは確かである。


 亜人に関してツッコミはないのかとお思いだろうが、答えは是だ。人間以外に二足歩行で知能の高い知的生命体はあり得ない。なんてことはあり得ない。所詮、人類とは奇跡や偶然によって存在しているに過ぎないのだ。

 考えてみよう。なぜ霊長類が飛び抜けて知能が高かったのか? なぜ文明レベルまで発展できたのか? なぜ言葉を話せるのか?

 その答えは、全て偶然だからだ。偶然霊長類が知能の高い生物で、偶然その中から進化して人間が生まれ、偶然言語能力を獲得し発展した。ならば、獣人だって偶然地球にいないだけであり得ない話ではない。それだけ簡単なことなのである。


 ここで新たな疑問が浮かぶ。神はなぜ人の形をしているのか。もちろん動物の見た目だったり異形だったり、あるいは姿形のない思念体だったりも存在するが、世間一般が思う神の姿は、まさしく人間の姿と同じなことだろう。

 私はここである仮説を提唱する。神の姿とは、当時の人間が最も崇拝していた対象の姿を模写したモノである。例えば、人型の神なら当時の王・神職者の姿や性別が反映されている。これは日本神話でも見られる傾向だ。王ではなく共和制の国であれば、コロコロとトップが変わるため人の神はいない。代わりに、最も生活と密接な動物や自然の姿を神とする。世界樹や狼神がその例だろう。

 つまり、神が実際に現れてその姿を人が書き残したのではなく、人が神のイメージやモデルを決めたのである。キリスト教において、召されたキリストや主に翼がなくて天使にあるのは、翼に頼らずとも宙に浮ける絶大な力があることを暗示しているとも考えられる。


 異世界の話に戻って、大前提から考えてみよう。異世界に送られる人間の9割以上が、現代の学生や会社員などである。要するに、ほぼ21世紀の人間なのだ。これはおかしな話である。やれ魂の循環や女神とかの力が働いたとかありながら、その対象は2000年以降の人間がほとんどだ。戦国時代の武士とか、中世の芸術家が送られる話はほぼ皆無に等しい。これは、かなり矛盾した話ではなかろうか。これだけでも、異世界の神の存在を根本から揺るがすに値する。なんなら、召された後のキリストを異世界に送って布教することも出来なくはないだろう。聖⭐︎おにいさんができてこれができない理由が一切ないのだから。


 このように、面白さの裏には説明のできない、またはしっかり立証されていない疑問や矛盾が数多くある。作家たちや業界のミスでしかないのかもしれないが、そういった欠点に注目して作品を楽しむのも一つの手段であることは間違いない。

 何にしろ、銃社会でもなく治安のいい民主主義国家に生きている日本人は、良い意味で異世界に向いていない。もし日本人を投入するなら、第二次世界大戦以前である必要がある。モンスターや魔法を使う悪人がいて、法律や治安も未熟な世界において、平和の中で生きていたことはデメリットでしかない。それならまだヒトラーが異世界転生する方が面白いし現実的だ。

 剣と魔法の世界に生きるためには、剣と魔法を使うことに倫理的ストッパーがあってはならない。故に、転生した現代日本人は決してまともな人間であってはならないのだ。

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