第2話「混沌への入口」OーN
オレツエー系ではありません
SFです
ーー5月21日午前8時5分ーー
星が誕生してから死を迎えるまでの時間を
測り取ろうと時計の長針が刻む音のように
________自分の心臓の音だけが漂う時間が続いた。___________
ビビビビビビビビビビ。
自己の胸の鼓動は速まり動悸が激しくなった。足はわなないて雪山で震える子鹿のように、そして陽キャのグループに入れられた陰キャのように制御不能であった。
思考ができなかった。頭が働かなかった。
ビビビビビビビビビビ。
何が起きたのかすらも知り得ない。
ビビビビビビビビビビビビビ。
ただ、神隠しのような起こるべきでない事態に瀕しているのだと脳に警告が響いていた。
耳が痛い。
鋭利なツヴァイハンダーのような大ぶりの剣で指の先を1本1本削ぎ落とす痛み。
体が暑い。
釜鍋地獄で大柄な体躯の大鬼に釜鍋で茹でられているような暑さ。
体内から発する業火の熱気。
体が発火していた。
ビビビビビビビ。
ビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビビ。
約15年近く生きたこの体で未だ経験したことのない先の見えない時間の迷路。引き下がることは許されていない。
純黒の闇の中、
形すらわからない空間がこの体をすっぽりと覆っていた。
ビビ…ビビビ……ビ?
そんな真っ黒なペンキで塗られた視界に穴が開けられた。
光が差し込む。
そのアリの巣穴の入口のように細い出口から透き通るような綺麗な声が聞こえてきた。
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女性だろうか。
若い女の歌声が聞こえる。
そよ風を謳う彼女の声は清流のようなせせらぎで光を吹き込んできた。視界に映る闇の衣は浄化されまばゆい明かりで充満される。
そこには、いつもの小汚い教室とその空間に立つひとりの女がいた。
こちらを見据えて立つ彼女はどこか安堵したようだった。
沖縄の海のように透き通った彼女の目は逸らすことを許してくれなかった。
彼女の顔は、花開いた水仙のように儚く崩れそうなくらいに繊細であった。
彼女の表情は、「いま、君が居る世界。君は好き?」と尋ねているようだった。
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毎日変化のない暮らし。
そんな世界は、美しい何色もの色で塗られた世界に変化した。
今まで見てきた世界の姿などただの白黒テレビで移された光景のようにくすんで変化のない2色だけだったように思えた。
自分と世界。
ただその白黒という2色しかなかった過去の世界は、いまや鮮やかな色に満ちた世界になった。
彼女という何色もの色で塗られた姿を見てしまった。
知ってしまった。
この世界における最上級の幸福の偶像に出会ってしまった。
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「カアーッ!」
すぐとなり、耳から1メートルも離れていない至近距離でカラスのはちきれんばかりの鳴き声を聞いた。
驚きそのまま反対方向に倒れる。思わず動かした右腕が不運にも机にぶつかりじわじわと痛みがやってきた。
彼女の動ずる気配はまるでなかった。
さも当たり前のように。俺は反射的に目を閉じていたのでゆっくりと擦りながら目を開いた。
驚いた。
そんな言葉で伝わるだろうか。
そこには、カラスを肩に載せた彼女が立っていた。
地球が45億年以上前から自転と公転をしているようにさも当たり前のようにその彼女は言った。
「驚かせちゃったかな。ごめんね。」
彼女のこそばゆい表情とともに紡ぎ出された風鈴のようにやさしく身を撫でるようで風鈴のように唐突に音を織りなしたその美しい声に絶句した。
地球が誕生してから現在まで起こった事柄を紙に書き出すのにかかる時間のように長い長い時間が過ぎてから俺は口を開いた。
「べ、別に。」
彼女は答えを聞けたのが嬉しいのかふっと笑みを浮かべ語りだした。
ほんとうに優しさという海に愛された声。
「この子はね、タスだよ。そして私はレイ。」
彼女は肩に載せたすべての物質を飲み込んだブラックホールのように黒い翼を持つカラスを指した。
レイ。
いい響きだ。似ている。あの子に。
なぜだろうか。初めて出会ったレイという名に聞き覚えがあった。彼女は俺の後ろの方を指さして語る。
「あの子は麻衣。女の子なのよ。」
そこには先程のカラスとは別のカラスが立っていた。
この世の色を全て抜き取ったような真っ白な羽を生やしたそのカラスは振り返った俺のまなこをじっと見つめその後レイの方を見た。
カラスに名前をつけるやつがいるだろうか。
カラスを従えるやつがいるだろうか。
いくらでも疑問に思えることはある。
ただなぜか、今目の前で起きていることはひどく自然なことのように思えた。
「じゃあね。能登まさし君。」
彼女はそう告げると二羽のカラスは翼をはためかせ風を起こした。机に置かれた様々なプリントが撒き散らされる。
舞い上がったプリントがすべて床に落ちた時すでにカラスも彼女も居なくなっていた。
ただ目の前に落ちたプリントには、住所らしき数字列と
「とりあえず死なないでね。」
そう書かれていた。
顔が歪んだ。なんなんだ。
これは。
そこに驚きも嫌悪もなく、ただ、
口角がつり上がっていた。